Q、愛するOSHO、私はとても多くのグループに参加し、成長に関わる多くの体験をしました。
それにより、自分は変わった、素晴らしい洞察を得たと心から思える体験でした。
しかし私は未だに、同じ間違いをします。
あらゆることをしてきたにも関わらず、過去にしていたことを相変わらず繰り返しており、
そこには選択の余地がないかのようです。
どうしたらいいのでしょうか? 変化というものは続かないものなのでしょうか?
私たちが自分を成長させるためにしているワークはただの幻想であり、何の意味もないことなのでしょうか?
最初に言っておきたいことは、自己改善を目的とした努力は、必ず失敗に終わるということだ。
それはエゴに問題があるからだ。エゴは、絶えず何かを改善しようと努力する。
もっと金を手に入れよう。もっと大きな家を手に入れたい。もっといい車が買いたい。
きれいな女を恋人に、美形の男を夫にしたい、とあれもこれも手に入れようと努力している。
これがエゴだが、それはあなたもよく知っている。
だがその一方で、エゴは別のゲームも展開する。
もっと穏やかに温和になろう。もっと愛情深くなり、悟りを達成しよう。
ブッダのようにならなければ、とエゴは言う。
だがこれもまた向きが変わっただけで、実は同じゲームに過ぎない。
つまり、一方は外にあるもので自分を飾ろうとしていたエゴが、
今度は内側のもので自分を飾りたいと考えているのだ。
だから、あなたが自己改善を試みているのなら、失敗するのは確実だ。
問題なのはエゴであり、向上したい、こうなりたい、ああなりたいと考えるのはエゴの欲だ。
この「~になろう」という考えこそが、エゴの投影なのだ。
だが一度このことを理解したら、革命は起こる。
その革命は、「あなた」が為すべきことではない。
その革命は、エゴの手口を理解することで起こるものだ。
お金や権力、名声や政治などを追い求めていたエゴと同じエゴ、その同じエゴが今度は内側で瞑想のゲーム、
悟りのゲームなどのあれこれのナンセンスをしているとわかったら、
一度、それが同じエゴだとわかったならば、まさにその理解においてあなたの中に笑いが起こる。
ゲームをすることのばかばかしさを、あなたは感じるようになる。
向上はない。
私は変化がないと言っているのではない。変化はある、それも完全な変化がある。
だが向上はない。向上とは修正された形を意味する。
だが変化は、あなたは同じままだが何かがそこに加わる。
それがたとえば、もっといい車、家になり、女性が、男性が付け加えられる。
だがあなたはいつもと同じだ。そして今度はそれが瞑想に向けられ、瞑想者になる。
だがあなたは同じで、深いところでは以前と同じままだ。
そして今度はあなたはさまざまなものを溜め込むようになる。
つまり、性質や特徴、性格、倫理観、徳、知識などをあなたは溜め続ける。
それらは車や恋人にとって代わっただけであり、いつものゲームをしているだけで、
そこには何ら新しいものはない。こうしたことの中に、向上が起こることは決してない。
向上は決して起こらない。
このことがわかった時、つまりこうした欲望である、自分以外の誰かになりたい、
もっと大物に、重要な人に、尊敬される人になりたいという切なる欲望を理解し、
これらがみなエゴのゲームだと一度理解したならば、
その瞬間、突然の変化という目覚しい飛躍、ジャンプが起こる。
その時、あなたはもう以前のあなたではなく、新たなものがあなたの中にある。
いいかな、新しいものは古いものと何のつながりもない。
だから私は、それを向上とは言わない。
新しいものは古いものとは何の関係もなく、そのくらい新しいものは絶対的に、完全に新しい。
古い人は完全にそこにはいない。
それは過去とのつながりのない、完全に新しい存在であり、
この隔たりのゆえに、それを向上と言うことはできない。
霊性(スピリチュアリティ)は達成するものではなく、それは野心で獲得できるものではないからだ。
あなたは「たくさんのグループワークに参加し、成長に関わる多くの体験をした」と言うが、
そうした体験は、成長とは無関係のものだった。
それは単なるエゴのゲームだった。
あなたはそこで満足感を覚え、エゴに褒められてあなたはとても気分が良かった。
エゴはそうした体験を利用し、それは絶対的に危険なものとなった。
エゴに利用されると、なんでもたちまち毒されてしまう。
あなたのそうした体験への期待は、エスカレートしていったに違いない。
あなたは高潔な人になり、敬虔な人になった。
こうしたことはもっともっと沢山起こるだろう。
「あれは良かった、素晴らしかった、もう一度体験したい」と言うなら、
それは継続性のあるものを作ろうとしていることだ。
新しいものは、「あなた」がいない時にしか起こらない。
だがあなた(というエゴ)は片時も自分を離れず、ずっとそこに座り続けるだろう。
たとえもう一度、同じワークを経験しても、それで心満たされることはないだろう。
なぜならあなたは期待して待っているからだ。
「さあ、これが起こるぞ」と待っている時には何も起こらない。
なぜなら、その「待つこと」の中に、”あなた”(というエゴ)がいるからだ。
神秘家・カビールを語る
『 愛の道 』 OSHO 市民出版社
抜粋
これは初期の頃の「不思議なアオサギ物語」シリーズでご紹介したフォト♫
まるで神道の "反転" を表現したかの様な面白いショットになっている所がお気に入りの私デス♫
( ・・) ~ ☆彡★彡
今回の内容は本当に真理を突いた素晴らしく深いメッセージだと思います。
☆_(_☆_)_☆
自分を変えようと思っていても、変わったと思っても、それは一時的な事であり、結局深い所では何も変わらず堂々巡りになっているという事が私達には良くありますね?
それはこの2元的思考の世界に生きる私達が、光というものと陰は一心同体であり、セットになっているという事になかなか気付けないからなのですね~。
(^^;
変わる時は「こうなりたい、ああなりたい」というものを完全に捨てて自分自身を受容し、そしてありのままの自分に安らげた時にしか起こらないという事なのでありましょう。
そしていつでも「今」と「ここ」しかないので、何かを得られたと思った次の瞬間には失っているという事ですね。
だからOSHOは、
新しいものは古いものと何のつながりもない。
だから私は、それを向上とは言わない。
新しいものは古いものとは何の関係もなく、そのくらい新しいものは絶対的に、完全に新しい。
古い人は完全にそこにはいない。
それは過去とのつながりのない、完全に新しい存在であり、
この隔たりのゆえに、それを向上と言うことはできない。
霊性(スピリチュアリティ)は達成するものではなく、それは野心で獲得できるものではないからだ。
と表現されているのですね~~~。
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡
新しいものは、「あなた」がいない時にしか起こらない。
この表現からも、この方は大悟された方なのだなぁと私は感じられます♫
ここに書かれているメッセージは全て真理であり、本当に彼の素晴らしい洞察力と表現力に…
私は唯々感動致します。
☆☆☆_(_☆_)_☆☆☆