大園 エリカ
オオソノ エリカ「汚い」があるから「美しい」が在るのさ
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今回は、前回の「きれいも汚いも同じもの」と同じ内容になりますが、どちらも元は老子の「道(タオ)」から訳されたものになります。☆彡
元(原文)が同じでも、訳者により表現や解釈にそれぞれ微妙な違いがあるのが面白いと思いました♫
(^^♪
✿「汚い」があるから「美しい」が在るのさ ✿
天と地が生まれて 物に名がついたわけだが、
名とは物の表っ面(うわっつら)に ただ張りつくものだ。
美しいと汚いは、別々にあるんじゃあない。
美しいものは、汚いものがあるから美しいと呼ばれるんだ。
善悪だってそうさ。
善は、悪があるから善と呼ばれるんだ。
悪の在るおかげで善が在るってわけさ。
同じように、ものが「在る」のも、「無い」があるからこそありうるんでね。
お互いに片一方だけじゃあ、在りえないんだ。
長い、と言ったって短いがあるから長いのさ。
高い、と言ったって低いものがあるから高いんだ。
ひとつの歌だって、そこに声とトーンがあるから歌になる。
前だって後があるから前もあるわけでね。
だから道(タオ)の働きにつながる人は 知ったかぶって手軽くきめつけたりしない。
ものの中にある自然のリズムに任せて手出しをしない。
すべてのものは生まれでて千変万化して動いてゆくんだからね。
このタオの本当のリアリティを受け入れる時、
人は何かを造りあげても威張らない。
成功しても、その成果を自分のものにしない。
自分のものだと主張しないから、かえって人から忘れられない。そして
誰もその成果を奪い取ろうとしないんだ。
(※「タオ(老子)」 加島祥造 訳より)
夜明けの明るく美しかった月をお届け致します♫
(^^☾