大園 エリカ
オオソノ エリカきれいも汚いも同じもの
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誰が見ても美しいものも、見方を変えてみると、美しいと思えないことがある。
誰が見ても薄気味悪い虫でも、マニアや研究者などには、とても美しく見える。
誰がよいと思うことでも、立場を変えるとよくないことだったりする。
戦争においては、戦っている者のどちらもが、正しいのは自分だと考えている。
でも、いったい、どちらが正しいのだろう。
よいことと悪いことは、同じ場所にある。
見る人によって、よくもあるが、悪くもある。
よいことと悪いことが一つの線上にあるように、
「ある」と思うことは、「ない」に対して存在する。
「ない」から「ある」のだ。
ないものねだりという言葉がある。
この場合の「ないもの」とは、
現実を顧みずに、ありもしないものや、そうあってほしいものを、手に入れようとする願望のことだ。
「持っていない」から「持っている」という実感を切望する。
「よい」と「悪い」、「ある」と「ない」、
「持っている」と「持っていない」。
対極にあるようだが、実は同じことを指し示す。
なにかに挑戦するとき、難しいと思って始めても、終わってみたら、容易だったと思うことがある。
やってみたら簡単でも、その過程では困難だらけだったのではないか。
「長い」と「短い」、「高い」と「低い」などの言葉は、比較するものの状態から生まれた。
そして状態だけではなく、場所や位置すら、比べる対象となる。
「先に行く」か「あとに従う」かは、たまたまその位置があるだけだ。
対極的な言葉は、音楽でいえば和音だ。
楽器の演奏と歌声は、たがいが主張するのではなく、
ただ存在するから、ハーモニーが生まれる。
リーダーとなる人は、なにかを判断するときに、
決まった位置から見た現象だけで優劣やよし悪しを判断しない。
無為自然を知ったうえで、あれこれ説明せずとも、人々を導く。
よいこと、悪いことという考え方をせず、
自分の生き方についても、優劣やよし悪しを持ち込まない。
部下や、後輩や、周囲の人たちの活動が、自分の行った指導や教育の成果だったとしても、
自慢したり、吹聴しない。
誰がなにかをやったから偉いとか、偉くないとか、比べたり、考えあぐねたりするのはナンセンスだ。
真のリーダーは、たくさんの成果があがっても、所有物にしたり、自分の手柄にしない。
大事業を成し遂げても、驕ったり、誇りに思わず、
功名を成し遂げても、偉ぶらない。
もしリーダーが、自分があれをやった、これをやったと主張すれば、
立場を守るために、ストレスが発生する。
そして、その立場を狙う者が現れたり、失脚させようとする者も現れる。
どんなことでも、優劣をつけたり、よし悪しを決定することは、無意味だ。
ポジション争いや、ランキングなど、達人にとってはどうでもいい。
自分が成し遂げたことや、地位や名声などにすがりつくのはやめよう。
すがりつかないから、その功名を比べるものがないのだ。
比べられないから、永久に奪われることもない。
(※「心が安まる老子」 伊藤淳子 訳より)
この雲はハート♡にも見えますし…、
何かの動物の親子の様にも見えますね♫ (子供には天使の羽根が付いています!?)
(^^♪