大園 エリカ
オオソノ エリカ「食べる事」と健康に付いて ①
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皆様は「肉食派」ですか?
それとも「菜食派」ですか?
これは一つの例ですが、この世にはこの様に「健康的な "食" とはどういうものか?」という事に関しては、様々な見解が有りますね?
(^^♪
ちなみに、私はこのお答えには「絶対的なもの」は存在しないと思っていて、
それぞれの「年齢」や「体質=内臓の強度」、又は「どう生きたいか?」により答えは違って来るというのが正しい答えではないかと思っております。
(^^✿
この世というものは、どの様なものであっても「何かに偏り過ぎる」と、必ず弊害というものが生まれてしまうものなのです。
何故なら、宇宙には常に「バランスを真ん中に保つ」というものが働いているからです。
《 ゚Д゚》☆彡
例えば
「肉食しないとパワー不足になる」
「肉食をしている人は若々しい」
「肉食はパワフルに長生きできる」
「肉食すると、体が重くなったり太る」
「肉食は血液や大腸を汚すので痛風や癌になり易い」
「肉食をすると怒りっぽくなる」
「肉食の人は短命」
「菜食は血をキレイにする」
「菜食は健康的に長生きできる」
「菜食は内臓に負担をかけないのでいつまでも若々しくいられる」
「菜食は性格が明るく穏やかに優しくなる」
「菜食はパワー不足になる」
「菜食は性格が暗くなる」
「菜食は老けるのが早く短命」
etc. etc .etc.…
巷ではこの様に、様々色々な説がありますが、皆様はどの説が正しいと思われますか?
私はこれは「どれも正しい」のだと思います。
(^^♪
つまりこの世には人により色々なケースが存在していて、つまり或る程度の「傾向」というものは有っても、一概に「これが絶対に正しい!」というものは無いという事なのです。
そしてこれは、食に限らず「ダイエット法」に付いても同じ事が言えると私は思います。
(^^✿
例えば、私にはこんな視野もあります。
それは「痩せる為には効果のあるダイエット法」が、必ずしも「健康的である」とは限らないという視野です。
《 ゚Д゚》!!
世の中には、
「太っているけれど健康な人」と「太っていて不健康な人」もいらっしゃる様に、
「痩せていて健康な人」と「痩せていて不健康な人」もいらっしゃる。
「見た目は若々しくても、癌や糖尿病などの病気を患っている人」や
「肉体的に見た目は美しくても、精神が不健康な人」も沢山いらっしゃいますし、
逆に「見た目は年相応や老けているけれど、精神が健康的で穏やかな人」もいらっしゃいます。
(^^♪
その他にも、
「若い時から健康的な食生活には人一倍気を付けていても、或る年齢に達した時に思いもしなかった病気を患ってしまう人」や、
「あまり食べるものに拘らなかったり、不健康なものを食べているのに健康的な人」というケースがあるというのも
又確固たる事実です。
《 ゚Д゚》!!
この様に、色々なケースが事実としてこの世に数多存在するという事を考えてみましても、
この世には万人に当てはまる「絶対的な健康法」などというものは無いという事なのかもしれません。
(※そうであるから、人類はこんなに長く生きているのに未だに健康法やダイエット法が研究され続け、いつの時代も色々な論議が交わされる訳だとは思いませんか?
医師や美容研究家などの言う「健康と美容に良い」とされる食べ物や方法も、時代や研究者により年中コロコロ変わり続けている事実というのをクールに観ましても、結局その様な「絶対的なもの」などという答えはいつまで経っても「有って無い様なもの」であるのかもしれませんね?)
ちなみに「因果」というもので、この人間が与えられた「見た目の美しさ」や「健康」というものを捉えた時は、又違うものの観方や法則というものが出て参ります。
( ・・) ~~~ ☆彡
その法則に照らして考えると
「食べる事に対して、その内容などあまり気にしていないのに非常に健康的」な人がいたり、
「美しいが故に波乱万丈な人生」になる人がいたり、「美人薄命」な方がいたりするのも、
全ては自分の (前世含む) 過去の「徳・不徳」からと捉えたら、何ら不思議ではないのかもしれません。
☆_(_☆_)_☆
只「徳」の貯金も底をつけば、やはりいつまでも "不摂生な生活習慣をしていても健康" とか "暴飲暴食をしているのに内臓がタフ" いう「果」もいつか尽きてしまうのでしょうから、
肉食に拘り過ぎた人は、いつか内臓が疲弊して菜食にしてバランスを取らねばならなかったり、
又菜食に拘り過ぎて頭が頑固になり過ぎ、精神的に健康を損ねた人には又その逆もあったりと言う様な、常に "真ん中に振り戻される" 事が、それぞれ「今の自分に合っている健康的な食生活」になっているのかも!?
(^^ゞ
生まれついて「内臓が元気」で健康な人は、あまり食事療法など付いて考えないで済みますから、「好きなものを食べるのが健康法」と思うでしょうし、
生まれつき弱かった内臓を、自分に合った食事療法や運動などの努力で元気にされた方には、その自分に合った食事や運動を「健康法」だと思われるのは当然ですが、
中には稀に「特異体質」というものを生まれつき持たれた方がいらしたり、
内臓の強弱によっては、例えば「タンパク質を摂った方が良い食事」を勧められる場合と「タンパク質を摂らない食事療法」を勧められる場合も有りますし、(※例えば腎臓が弱い方はタンパク質を控える様な食事を勧められます)
東洋医学では「食べ過ぎ」から来る内臓の疲弊から、怒りっぽくなったり気分が落ち込み鬱になったり(=肝臓の疲れ)、悲嘆的になる(=腎臓の疲れ)と言う様に、
「内臓の働き」と「心=性格」の関連性を唱えるという様なものの観方もあります。
この様に「食べ物」やその「食べ方」というのは、肉体的&精神的にも色々な事が絡んで(※内臓の健康も、絶えずその都度変化する訳で)、様々なケースがある訳ですから、
「自分の健康法は、自分の体が一番知っている」「自分の体が教えてくれる」というのを察知できる方が、一番健康的ではないかと思うのです。
(^^♪
結局、全ての方に当てはまる究極的な「健康法」というものは、その都度「今の自分の体の感覚に聞く」というのがどなたに取っても「正しい食べ方」という事になるのではないかと、私はその様に思っております。
(^^♪
「何を食べるか?」というのは「どう生きるか?」と同じであるという説がありますね?
ちなみに私は「食べる」という行為に一番必要なのは、「感謝」して楽しく調理したり頂くという事ではないかと思います。
(^^♪
それを忘れて、自分の欲やストレス発散としてだけの「食べる」行為になってしまうと、病気になったり太り過ぎたりしてしまうのかもしれないですね。
結局は何事も偏り過ぎずに「程々」を保つというのが「真ん中」をキープする方法であり、それがこの世での "究極の健康法" と言えるのかもしれません。
☆_(_☆_)_☆