大園 エリカ
オオソノ エリカ拘りとは、何ぞや!?
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皆様は、何かご自分に「拘り」というものをお持ちですか?
(^^♪
それがハンパでは無くなってしまった人の事を、私達は「専門家」ともお呼び致しますが (笑)、
そもそも私達が持つ、この「拘り」とは一体何なのでしょう?
《 ゚Д゚》!?
人は「拘り」というものを持つが故に、何かを始めようとする「生きる情熱」が生まれます。
それにより人は「努力」というものを始めるので、成長の過程では不可欠なものでもありますが、
その「拘り」とは、行き過ぎると「執着」というものに姿を変えてしまうものでもあるのです。
《 ゚Д゚》!!
最初の内は単に楽しんでいた「拘り」が、いつの間にかその「執着」というものに成っている事に気付かずにいると、
最後はその自分が「拘った」ものに、自分の首を絞められるという様な側面を持つのが、この「拘り」というものでもあるのです。
(^^;
「拘り」が強くなり過ぎると人は頭が固くなり、自らを袋小路に追い込んだりしてしまう事がありますね。
例えば「自殺」してしまわれる方達というのも、その様な狭い視野でご自分の人生を見ていた為に、ご自分でご自身を追い込んでしまわれたという事ではないかと私は思うのです。
もしかしたら、その自分が持っていた「拘り」を捨てれば、他の道が開かれていたのかもしれないのに…です。
( ・・) ~~~ ☆彡
これはちょっと極端な例でしたが、
何でも「過ぎたるは及ばざるが如し」で、
自分の「拘るもの」も "過ぎた"時には、「執着」という病気になってしまうという視野も、私達は心の健康を維持する為には知っておいた方が良いのです。
☆_(_☆_)_☆
そしてこれは、所謂「専門家」と呼ばれる人達にも大いに必要である事だと、私は自分も含めて思います。
何故なら「専門家」という立場で発信するものが、人様に与える影響というものが有るからですね。
( ・・) ~~~ ☆彡 ★彡
その人の持っているその「拘り」は、一体その方の人生の「何から生まれた価値観」なのか?
又その「専門家」の目指しているものの「根を観る」という視野。
その様な事をキチンと自分の中で見極める眼は、「発信者」としても「受信者」としても、物凄く大事な事ではないかと私自身は思っております。
☆_(_☆_)_☆
雲の無いシンプルな空も、又良いものですねぇ♫
(^^♪