大園 エリカ
オオソノ エリカ人間は「自分の本質を解ってくれている」と感じられる人には、自然に素直になる
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今回は、私の若かり頃の体験から実感できたお話しです♫
(^^♪
「芸術家」というものは、感覚が非常に繊細で敏感な所が有ります。
特に私が携わって来たクラシックバレエというものは、「言葉」を必要としない表現力を身に付ける世界。
しかも心も体も極限まで磨き上げる世界でもある為、多くのプロダンサーというものは「語らずとも分かる」という感性・感覚が発達してしまうものなのですね。
《 ゚Д゚》☆彡
そんな私が現役の頃に或る方とお会いして、それまで味わった事の無い体感を漠然と自分の中に感じた事が有りました。
それは何だったのか?というのは後になって解るのですが、初めてお会いした時は何か不思議な感覚がしたのです。
( ・・) ~~~ !?
その後、ご縁だったのでしょうね~、その方とお会いする事が増えたのですが、
私はいつもその方がそこにいてくれるだけで、何故かとても自分の中がリラックスできて穏やかになっている事に気付くのです。
そこには人間の本来の姿である「自然で素直」である自分が、普通にいたのです。
(^^ ♡
それはきっと、私の「魂」の部分が感じ取っていたのだと思います。
「この方は、私の本質の所を視て下さっているのだ!」と。
( ・・) ~~~ ✿
それは「語らずとも魂同士で分かる」という深い深い世界でも有りましたが、
今でもその時の経験を思い出すと、私はあの有名な「北風と太陽」のお話しが頭に浮かんで参ります。
(^^☀
不思議ですよねぇ、そういう方にお会いすると…!
だって何にもお話ししなくても、とても穏やかな気持ちに "自然" になっているのですから♫
《 ゚Д゚》~ ♡
ですので、そういう方とは言葉が必要無いという「感性」と「感覚」の世界をお互い共有するのですね。
そして多分それは、人間関係で最も高尚で貴重な経験なのだと私は思いました。
《 ゚Д゚》☆彡☆彡☆彡
私達は人間関係で「相手の本質を視る」という事を、実は殆どしていないのでは無いでしょうか?
《 ゚Д゚》!!
相手を見ている "つもり" になっているだけで、実は
☆無意識に相手を「自分の望む様に変えたい」というものを基準に接しているか、
☆事実では無い勝手な自分の先入観や憶測で相手を見てしまっているだけで、
相手の方に対して「北風」の様になっていたりしませんか?
(^^;
自分が「分かっていると思う相手」の、何を一体私達は「分かっている」というのでしょうか???
(ちなみにこれは親子関係を始め、全ての人間関係に当てはまります)
(^^;;
その様な眼で自分を観てみる謙虚さというものを、私達は失ってはいけない様に思います。
☆_(_☆_)_☆
私達は自分の事も良く分かっていない部分が有るのに、他人の事を「こうだ」と決め付けたり、又理解しているつもりになって「ああでもない、こうでもない」とお節介に思う事自体、実はとても傲慢な行為であるのですね。(※人間の悪癖の一つ)
(^^;(^^;(^^;;;
勿論この様な事をここで偉そうに語っている私も、気付くとこの行為は「あ、又やっている~~~ッ!(汗)」と良く自覚致しますが (笑)、
それでもそういう事を「自覚できる」所まで来れたのは、やはり今まで自分が色々経験したものが役に立っているからだと思います♫
(^^♪
ちなみに、相手に取って「太陽」となれる方というのは、やはりご自分が人間関係でかなりの苦労をされた方で、そういう人間の「悪癖」で苦しめられたり、辛く悲しい思いをされた経験を持つ方ですね。
大概そういう経験をしてしまうと、心がイジケてしまう人間がこの世の中では大多数ですが、
純粋な眼でものを視る方は心が汚れていないので、同じ経験から得るものは「他人の言う事に左右されず、自分の "心の眼" で、もの(人)の本質を観る」という能力(慈愛)なのでありましょう♫
《 ゚Д゚》♡ ♡ ♡
この様な柔らかくて優しい太陽になりたいものですねぇ…♫
(^^☀
本物の芸術家が持つ "内に秘めた純粋さ" が為せる「美しい人間関係」というものが、この世には有るのです。
だから私は「芸術家」が好きですし、誇りに思えます♫
( ^^) ~ ☆彡
ちなみに私が以前、訳有って「霊能者」について徹底的に勉強した時期に、「語らずとも心が穏やかになれた人がいた」という話しを霊能者の方にしたら、その時に言われた事は
「あぁ、そうね。その方は貴女と霊格が同じ方でしたから」でした。
( ・・) …… ☆彡 …… (・・ )
最初にお会いした時に、私が感じたあの漠然とした不思議な感覚は、
「なるほど。そういう事だったのか!」と思いました♫
(^^✿✿✿