大園 エリカ
オオソノ エリカ「生きる」という事を正しく観た人
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私事ですが…。
昨日は私の兄のお通夜、そして今日は告別式に行って参ります。
身近な人の死に触れると、私は「その故人の眼を通した、その人の人生」というものを知りたいという思いが湧いて来て、やはり感慨深くなってしまうものですね。
只、どんなに親しい間柄であっても、やはりそれは本人では無いので、その様な思いも又残された者の憶測でしか無いのだろうと私は思いますが…。
でも、それでもそうしたくなる自分がいます。
故人を忍ぶ思いになると…、
お互い成人してからの思い出より、幼い頃に仲良く遊んでいた場面、楽しく無邪気だった頃の方をより沢山、より懐かしく思い出すのが不思議ですね。
「生きる」という事を正しく観た方の一人にゴータマ・ブッダという方がいらっしゃいます。
生きる事は「苦・空しいもの」であるという事を発見し、とても現実的にクールに「生」と「死」を観察されたその方は、現在 "お釈迦様" とか "釈尊" と呼ばれている方ですが、
その彼の云わんとする本当の真意(慈悲)は、「欲」や「怒り」や「無知」が外れないと、私達人間には正しく理解はできないものであるというのも、私は良く理解もしており、
例えば、良く仏教は「悲嘆的」という理解をなさる方がいらっしゃいますが、それは違うと私は解ります。
(※私は仏教徒ではありませんが、一時期初期仏教を独学で勉強した時に、彼の驚愕的な叡智に感動・感嘆した一人です)
この世の苦しみを、彼はとてもシンプルな言葉で表現されています。
☆生きる苦しみ
☆病気になる苦しみ
☆老いる苦しみ
☆死ぬ苦しみ
この4つは、どの人間の人生にも避けられない苦しみであると、彼は説いています。
この他に
☆愛別離苦(あいべつりく) … 愛するものと別離する苦しみ
☆怨憎会苦(おんぞうえく) … 恨み憎んでいる相手に会う苦しみ
☆求不得苦(ぐふとくく) … 求めるものを得られない苦しみ
☆五蘊盛苦(ごうんじょうく)… 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ
この4つも、必ず人間が人生で遭遇する苦しみとして、合わせて「四苦八苦」と呼ばれています。
賢い眼でもってこれらを観察してみると、生きていたら避けられないこれらの事が、人間にはいつも想定外に、或る日ふいに突然遭遇してしまう様に感じられる方が圧倒的でありましょう。
心の準備をしていたとしても、その様に感じられてしまうという事は良くありますからね。
やはり人間は「リアルな実体験」をしてみないと、本当の深い「実感」という深い理解には至らないものなのですね。
だから人間は「物事が起こった後に理解する」という、愚かな所が有るのでございましょう。
そして、そうならない為に大切な事は、
何気なく過ぎている様に見える毎日を、いつでも「今日死んでも悔いは無い」と思える様な生き方をするしか無いのだと解ります。
「生きる」という事は「死ぬ時に思いを残さない」という事に気付きながら生きる(行動する)事。
それが私達に取って「最良の人生」に成るのだと思います。
そういう事を私は今回の兄の死からも学び、又再確認しております。
輝かしい朝日!又一日の始まりです。
この世の「死」は、あちらの世界では「誕生」になるのです。
そして、あの世の「死」は、こちらの世界では「誕生」になるのです。
兄は今、今度は「目に見えない生命」という形を得て、新たな学びに進んでいる事でしょう!
この世で生きている私達が、必ずいつかは経験する「死=誕生」というサイクルは、こうして数知れず繰り返されているというのがこの世の真理なのでしょう。
けれど私達に与えられたものは、いつだって「今」という時間しかないという事を理解しない人達がこの世では多いのですね。(※時間という概念は人間が生み出したものであると言われています)
自分に言い訳ばかりして「その内いつか」という人は、次の人生でも「その内いつか」になるのです。
だからこそ私達は自分の人生を大事にし、死ぬ時に辛い思いが残る事が無い様に、やり残す様な事が無い様に、
その時その時を丁寧に、そして精一杯楽んで前向きに明るく「生き切る」事が大切なのでありましょう。
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