大園 エリカ
オオソノ エリカ「怖れ」をエネルギーにする人が恐がるもの
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前回は、この世には「ポジティブ(愛)」をエネルギーにされる方と、「ネガティブ(怖れ)」をエネルギーにされる方がいて、無意識に「怖れ」をエネルギーにしている方達のお話しを主に致しましたので、
今回も、そこの所をもう少し突っ込んだお話しをば…。
_(_^_)_
私達人間は、意識の上では皆「ポジティブ」なエネルギーに惹かれているというイメージがどこかにございませんか?
けれど、人間の心理とは複雑怪奇な所がありまして、「怖れ」をエネルギーにされている方というのは、
実は他人の、そしてご自分の中にも在る「ポジティブなパワー」をとても恐がっているのです。
《 ゚Д゚》!!
ですが、大概ご本人には「自分はネガティブをエネルギーにしていて、ポジティブを恐れている」という自覚は無いのですね。(それで人間関係というものが大変厄介になるという事がございます)
(^^;
では自分でも他人でも、そこを「どう見分けるか?」というと、それは自分や人様の「言葉」ではなく「行動」の方をクールに観察されてみると、良く観えて参ります。
( ・・) ~~~ ☆彡★彡
以前のコラムでもお話しした事がありましたが、人というのは思考(というのは誤魔化しの天才でもある)から生まれる「言葉」に囚われてしまって、「真実を見逃す」という癖を持っているものなので、
自分でも他人でも、「言う(思考する)事と行動が矛盾する」という事を感じると人は混乱してしまい、場合によっては人間不信やパニックに陥るケースというのも多いのですね。
(^^;;
人は心では「ポジティブ(愛)」を求めながら、そのエネルギーを恐がらせている「ネガティブ(怖れ)」なものとは一体何なのか???ですが、
それは、人間の中に在る「エゴ(ネガティブ)」というものが、「愛」を怖がらせているのです。
《 ゚Д゚》!!
そして人は、その「エゴが自分である」と勘違いしながら生きているので、そういう矛盾した事が起きてしまうのです。
その様にエゴというのは大変狡猾で、「私(エゴ)が自分自身である」と人に思わせるのが大得意なものなのです。
(・_・;)
これは良く例えられる例ですが…。
"元々の自分" を「光 (=愛)」と捉え、
その愛と対極に在る "自己中心的で、自分の欲求を満たす為に相手に犠牲を強いるもの" を、自分の中の「陰 (=エゴ)」と捉えてみます。
「陰」は、「光」を当てると無くなってしまうものですね?
だから「エゴ(=陰)」は「愛(=光)」を避けたがるのです。
そう!
エゴに取ってそれは自分の死活問題(!?)になるので、生き延びる為にはそりゃ~~~もう必死になる訳です!? (笑)
(◎_◎;;
「光」というものが生まれると同時に「陰」という存在も生まれましたが、「陰」は光を当てられると、存在しなくなるものですね?
「陰」は「光の存在」から生まれるものなので、光が無ければ「陰」という概念は存在しないのです。
…と、その様なイメージで「本来の自分自身=光」と「自分のエゴ=陰」との関係をご覧になると、解り易いかなと思いますが、
世の中には、ナント!
その「光」を恐がる方達というのが、不思議な事に(!?)存在するのでございます。
《 ゚Д゚》!? !? !?
この様なお話しを聞いて「アハハ~~~♫ 馬鹿な人間もこの世にはいるんだな~~~!(笑)」とお笑いになる方の中に、実はこの様な方が多いという事もあるのですが、(笑)
それは、それだけ私達は「他人の事は良く観えても、自分の事は一番良く観えていない」という事なのだと思います。(勿論それは、私自身もご多分に洩れず!であります。_(_^_)_ )
では何故「光を恐がる人間がいるのか?」という事ですが、
「光」という存在に触れた事が無い人ほど、自分に取って未知の存在である「光」というものを恐れてしまうという事から来るのです。
《 ゚Д゚》!!
これも良く引き合いに出される例ですが、
長い間暗いトンネルの中に居ると、その暗闇に自分が慣れてしまうので、「自分の "知っている" 暗闇の方がまだ安心だ」と思う様になってしまうのです。
(・_・;)
人間は、根が臆病に生まれついているものなので、「未知のもの」に対しては恐怖を覚えてしまうという習性があり、
暗いトンネルの中が不快で苦しく感じてはいても、そこから出る恐怖心の方が勝り「未知の場所より、自分の知っている暗闇の方がまだマシ」という錯覚を持ってしまうのですね。
そういう方達は暗闇の方に目が慣れてしまっているので、トンネルの入り口から光が差し込んで来ると、その光が眩し過ぎて恐く感じ、更にトンネルの奥深く引きこもってしまうという事なのです。
( ;_;)
けれど遠くから差し込む光を眩しいと感じながらも、そこから逃げずにいる「勇気有る者」や「好奇心の有る者」は、遠くから差し込む光を見ている内に、
今度は段々「光」に目が慣れて来て、「あれ(光)は何だろう!?」と、光の差す方に自分から歩み寄り始めるのです♫
そうして、それまで自分には未知であった「光の在る世界」というものの素晴らしさに気づいて行き、遂には自分が長年親しんだトンネルから出てみたいと思う様になり、
思い切ってトンネルを出てみて初めてその人は、自分の恐がっていた未知の世界が、今まで自分が住んでいたトンネルよりも居心地の良い広大で明るい場所であると知り、新たな世界の経験をし始めるのです。
《 ゚Д゚》☆彡
…と、この様なイメージで私達人間の世界を観てみると、又違ったものが感じられて来るのではないかと思いますが…。
(^^♪
所で皆様は今、ご自分がトンネルの中のどの辺りにいらっしゃると思いますか?(笑)
或いは、もうすでにトンネルから出られておられるという方も大勢いらっしゃる???
(^^♪(^^♪(^^♪
…あ~~~、誰ですか!?
せっかく出たのに、トンネルに又戻ろうとする方は!(笑)
(^^;(^^;(^^;
これは確か三日月を撮った写真だと思いますが、何か皆既月食の様に写っています!?
(^^♪
それでは、今回の復習デス♫
「光」が生まれると同時に「陰」というものが生まれました。
「陰」は「光」を当てられると、存在できなくなるのです♫
※「光」を愛=本来の自分自身、「陰」を怖れ=自分のエゴと置き換えてみて下さい。
エゴの存在は「元々の自分」を思い出させてくれる、有り難いツールなのです♫
(^^♪
そして又、逆も又真なりで、「陰」の存在が「光」という概念を生み出してもいるのです。
この世に「光」しかなかったら、「光」という概念は生まれず、
この世に「陰」しかなければ、「陰」という概念も生まれません。
ちなみに、何故この世はこの様なユニークなシステムに成っているのか???というのは、
「神様はご自分が大好きで、その素晴らしい自分というものを自ら "体験" してみたくなり、その為にご自分と対極のものを生み出した」という説が有名です♫
そしてご自分が体験している「自分は素晴らしい♫」という感動と喜びの体験を、自分以外のものにも味わわせてあげたくて、自分に似せて「人間」というものを創ったというのです。
《 ゚Д゚》☆彡☆彡☆彡
それが真実だとしたら…、
神様は、何という面白い世界をお創りになったのでありましょう!(大天才じゃッ♫)
そしてその様なものを生み出す神様って、偉大な芸術家でもあるのですねぇ!
☆_(_☆_)_☆
だから私は創造的な "芸術" に惹かれるのでせうか~? (笑)
(^^♪