大園 エリカ
オオソノ エリカ当事者でなければ分からない事(私達の悪癖)
-
私は自分の経験を通して、「物事の真実というのは、当事者じゃなければ本当は分からないものなのだ」と痛切に理解できた出来事が人生に何度もあります。
(・。・;
私達人間の悪い癖の一つに、「表面に見える事からしか判断しない」というものがありますね?
(^^;
全ての出来事は、そこに至るまでには当事者しか分からない歴史や経緯というものが(場合によっては前世からのお互いの課題)あるのですが、
自分はそれの全て見た訳でもないのに、自分の私情で勝手気ままに自分の見たい様に(※これ、重要ポイントです!)、人を憶測で判断してしまうという悪癖です。
(・_・;)
人間というのは「自分が見たり経験した範囲内」の事が自分の全て=世の中の真実と思うものなので、そこから皆、各自が独自の「判断」というものをされますね?
でもそれは、その方の経験=想像力の幅=キャパシティーにより、又自分が把握できる情報の量により、見え方というものはその都度変化する曖昧なものなのです。
ですので、本当は他人様の一場面や数場面の一部しか見ていない私達が、あたかもその人の全てを観た様に思いあれこれと判断するのは、或る意味とても傲慢な行為でもあり、又お気楽でいい加減なものでもありましょう。
(・_・;)
もし、何かを判断される方が、「両者、或いは当事者全ての立場に立って」ものを観れるというのであれば、バランスに偏りが無い分、正しい判断がされる場合もありますが、
大概は皆、自分の私情を交えて判断し、この人は「良い人・悪い人」と判断するのも、私達の悪い癖の一つなのです。
(・。・;
又、キャパシティーの小さい人がキャパシティーの大きな方に対して、全体的で的確な理解や判断をするというのは不可能なもので、
それは何故かと言うと、判断というものは本来、頭でっかちな "絵に描いたお餅" の理解からではなく、同じ様な「経験」するという事を通してしか、私達は「実感」としての真の理解はできないからであり、
それは例えて言うならば、「自分の経験の幅=自分のキャパシティ=」を "物差し" として考えた時に、自分の物差しの長さ分までしか、相手の事は測れないからなのですね。
そして人間というものは、皆生まれつき「目隠し」をされておりますから、「自分の物差しの方が長いッ!!」と、何の根拠も無く(笑)、何故か私達はそう思い込みたいという悪癖を、誰もが持っているのです。
(^^ゞ
何故かとっても偉そうにしている私達人間ですが、宇宙の規模から観たらチッポケ~なもので、(笑)
自分達の小さな世界の中で「自分の方が優れているッ!!!」と、大人気なくムキになって、誰かを相手に一人相撲の競争をしても、
人間などというものは、せいぜい「どんぐりの背比べ」をしているに過ぎないと、私は自分も含めていつも思っているのでございます♫(笑)
(^^ゞ
どの世界に生きていても、必ず「上には上がいる」という視野は、私が失いたくないものの一つでしょうか。
☆_(_☆_)_☆
先日、東京にも降った雪の日の朝に撮りました♫
寒そうな空やなぁ~~~…。(^^;
「随分と暖かそうでないかい?(余裕の笑い)」← from 雪国の人!?
必ず「上には上がいる」と同時に、「下にも下がいる」のでございますから、
上がっているつもりで落っこちない様に、私達は常にお互いに油断禁物なのでございます!?(笑)
「私の方が優れている!知っている!!」というのは、実は「自分は何も知らない」という事をご存知ないから言える言葉や思考なのかもしれません。
本当に謙虚な方とは「自分は知っている様で、実は何も知らない」という事を、良く存じているものです。
《 ゚Д゚》☆彡
私達が「生きる」とは、そんなに簡単で単純じゃなぁ~~~い!? (笑)
(^^;) (^^;) (^^;)