大園 エリカ
オオソノ エリカ人からどういう扱いを受けるかは、自身の内面と比例する
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皆様は普段、人様からどの様な扱いをお受けになりますか?
(^^ゞ?
人間は人からぞんざいな扱いを受けると、ついイライラして不平不満で愚痴っぽくなってしまうのは私達の生まれ持った性(サガ)ですから、或る意味しょうがないのですよねぇ!これは!?(笑)
(; 一△一)
裏を返せば、それだけ私達というものは「自分」というものが、愛おしくて愛おしくて堪らない動物なのだという事です。
(^^;
私達は自分が怒ったり愚痴ったりする時には、その原因が他人や何かの出来事を通して「自分の外に有る」様に思うのですが、実は真実はそうではありません。
元々自分の中に在る怒りや不平不満が、外の出来事をキッカケとして表に出て来るという事に過ぎないのです。
《 ゚Д゚》!!
人間は生まれる時には、前世から持ち越した宿題=自分が克服できていない課題というものを抱えてこの世に生まれて来ると言われます。
そしてその課題の中に必ず入っているものの一つに「怒り」「不平不満」というものがあるので、だから人間は皆、元々とても怒りっぽいのです。
(・_・;)
その証拠に、私達は生まれた瞬間から「泣く」という事で怒っていますでしょう?(笑)
(^^ゞ
赤ちゃんが「息をする為」だけなら笑顔でも良いのに(笑)、 何故泣くのか?という説に、それは「この世というものへの重苦しさと不安から」という説があります。
(・_・;;)
その様に「憎しみ・嫌悪・恨みつらみ・不平不満・嫉妬」などの怒りを元々持って生まれる私達人間は、年中その怒りを外に表現できる様な出来事を、実は自ら「ご自身で招いている」のです。
つまり「この世のカラクリ=真実」というものは、私達が感じている事とは「あべこべ」だったりするので、だからなかなか知恵の要る面白い勉強になってもいるのですが…♫
その様に、「怒り」というものは、自分の外で作られたものではなく、すでに自分の中に持って生まれたものなので、それを「業」と表現したりもするのですが、そう考えますと私達というのは、かなり "業深い" 生き物なのですね~。
(^^;;;
あ、でも勿論、前世から持ち越して来たものの中には、学んで習得した分だけの善い部分や素晴らしい部分もちゃんとございますからご安心を!? (笑)
(^^♪
まぁ、この様に「この世のカラクリ」を理解して、今までのものの見方の基準を変えて、あべこべに自分というものを客観視して観てみますと、
「自分を取り巻く環境や、周りの人達から、自分はどの様な扱いを受けるか?」という事が、
即ち「自分の内面=自分が周りの人達を、どの様に見ているのか?扱っているか?」が比例している事にお気付きになるでしょう。
《 ゚Д゚》!!
但し「怒り」といっても様々なものがありますね?
個人的な私情や独善的なもの、そして競争心などから来る「怒り」と、
自分を蔑ろにされたり、人の為になどの「毅然とした、人としての高潔な怒り」は、
同じ「怒り」あっても、全然質の違うものだったり致しますから、私達はそこの所もクールに自分を客観視して判断しなくてはならないかもしれません。
(^^;
さて、ご自分の「怒り」は、どの様は質のものでしょうか?
そのお答えは…、
ご自分の周りに起きる出来事が、教えてくれます♫
(^^✿
自分を取り巻く環境は、
美しく静寂なものが多いか、いつもトラブルやごたごたに巻き込まれて騒がしいのか。
逆に、ごたごたと騒がしい中でも、自分の中は静寂でいられるか?
又、自分の眼には、いつもどの様なものが映るのか?
どの様な状況でも、美しいものや心地好いものに遭遇するのか、不快なものを良く目にするのか。
そこに智慧や慈愛や慈悲が在るか?
結局、自分で目にする外の世界は全て「自分の心の中で起きている世界」であるという事が深く理解できましたならば、
私達は自分の持つ「怒り」や「愚痴・不平不満」というものへの観方が、変化するかもしれません。
(^^✿✿✿
あぁ、他人のせいにしない「自己責任」て、こういう事なのかぁ!
(誰かの独り言!? 笑)
(^^♪
こういうブロンズ色の夕焼けも、シックで良いですね~♫