大園 エリカ
オオソノ エリカ「人生の奥行き」 (自著) より ⑤
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私は本当の意味の "教師" というものは、決して前面に出て来ないものだと思っている。
その生徒自身が受け取り選んで努力をする。
そうして掴んだものは生徒自身がしたのであり、教師ではないのだ。
教師はあくまでもアドバイザー。
だから本来は "聖職" と言われるのであろう。
よくありがちな、「貴方を育てたのは私。私に感謝すべき」と言うのは違うと私は感じている。
そういう教師に私は聞いてみたい。
「それでは、そういう貴方は誰から育てられたのですか?」
人間の営みとはつながっているもの。
家族も然り。
そして感謝と愛は同義語だ。
本物の愛は循環するもの。
受けた恩は、師弟であれ家族であれ、与えた者に返すのではなく、次の世代に返すべきだ。
そうすれば「自分で掴んだ」と思わせ、プライドを持たせてくれる親や教師への恩や感謝は自然に生まれ、
その人の中にずっと息づいて行くだろう。
それもまた、親や教師が強制するものではなく、子供や弟子自身が自発的に感じていくものなのだ。
(※「人生の奥行き」 大園エリカ 著 より)
(片岡鶴太郎画集「No Rain, No Rainbows.」より)
以前のコラムに書かせて頂いた事でもありますが、
誰しも人に感謝を求める前に、自分が人に感謝を持てているかどうかを観る事は大事かなぁと・・・。
それは「人に自分への感謝を求めるだけの資格が、自分に有るか?」というお話しですよね~。
(^^;;
「自分に感謝しろ!」と言う方が人に感謝する場合は、ハートというより頭で考えた「義理」である事が多いので、他人にもそれと同じものを強要するのです。
(^^;
本当にハートで感謝できている方というのは謙虚であり、「人から感謝してもらいたい」なんて思わないものだと、私は思うのですよね~。
何故って、ご自分は与えられる立場でいる事に感謝があり、
そして人に与える事で、その方はもうすでに「満たされている」ものだからです。
(^^♡
子供が親に感謝すると同時に、親も自分の親や、自分の子供に感謝をする。☆彡
生徒が教師に感謝すると同時に、教師も自分の師や、自分の生徒に感謝ができる。☆彡
こういう一方通行ではないものが、本物の感謝なのではないかと私は思っておりますし、
与える立場の者が、与えた相手に「感謝」を要求するというのは、循環がそこで止まる行為になりますから「本物」ではないのだろうなぁと私は思います。
_(_^_)_
どうして私達人間というものは、「(与える事は)自分から始まった」とか「自分がいなければ、人は何もできない」と思いたがるエゴな動物なのでしょ~?
その思考は「この宇宙は自分が生み出した!」と言っているのと同じなのですが。(笑)
(; ̄O ̄)
全てのものは、もうすでに宇宙に在ったものから私達は一時的に「お借りしている」に過ぎず、死ぬ時は物質的な財産は全て置いて行かなければなりません。
《゚Д゚》☆彡
目に見えるものも見えないものも、宇宙や先人から「与えられて」、学んだり、遊んだりしながら生きて来られた訳ですし、
事実、自分がいなくなってもこの世はちゃんとバランスを取って繁栄して行きますからね~。
《゚Д゚》!!
シビアに「生きねばならない」運命を持つ人間の本性とは、クールで逞しいものなのです。
そして、私はそれで良いと思う「超現実派」であります。
(^^♪
何故なら私達は「循環の中の一部」でしかないというのが、一つの真実だからです。
☆_(_☆_)_☆
「全体の中の自分」と「個としての自分」
この両方の視野を持てる方は、謙虚で心が健康なのだと思います。
(^^✿
そして究極的には「全体」と「個」は、同じものなのだという事に気付いて行く為に、
私達は日々、魂を磨く修行をさせられているのでありましょう。
《゚Д゚》☆彡☆彡☆彡