大園 エリカ
オオソノ エリカあなたが 好きな人 と 嫌いな人
-
今回のタイトルを見て「あれ? これ、この間読んだ!」と思われた方。
「を」と「が」の違い、気付いていらっしゃいますか~???(笑)
(^^✿
・・・という事で、前回は「自分を」という受動的な視野からの「好き・嫌い」でございましたが、
今回は「自分が」という、能動的な視野からの「好き・嫌い」で、お話しを進めて参ります♫
(^^♪
皆様は、人の好き嫌いが激しい方ですか?
それとも・・・???
私は若い頃、とても人への好き嫌いが激しかった様に思います。(^^;
例えばバレエでも、自分の好きなバレリーナと嫌いなバレリーナのタイプがハッキリとしていましたし、やはり自分が理想とするタイプは、どこか自分に似たタイプのバレリーナがお気に入りだった様に思うのですが、
或る時、「それまで嫌いなタイプだったバレリーナが、突然好きになる♫」という経験をした事がありました。
(^^♪
当時、若かった私は自分の弱さというものを自分で感じ始めていた頃で、「もっとバレリーナとして向上したいし、人間としても強くありたい!」という気持ちがとても強くなっていた時期でした。
その様な時に、振り付けを覚える為にビデオを観ているうちに、それまで自分があまり好きではなかったタイプのバレリーナの方の凄さが、突然感じられたのです。《゚Д゚》☆彡
それは「好き」とか「嫌い」を超越した "本物を身に付けた人の凄さや強さ" への理解から来る、「良いものは良い」という感覚であり、
それまでは、私情でものを見ていて自分が気付けなかった、彼女の芸術性の高さや個性の意味を、突然肌で感じられる様になったのでした。☆彡
それは私に取って「芸術とは何か?」を理解した出来事であり、
人間は成長するほどに、人に対する見方が多角的になり、今まで見えていなかったものが観える様になるという事を体感した瞬間でした。☆彡
人が成長するというのは、そうして他人への自分の許容範囲が広がって、自分の中で「嫌い」なものが少なくなって行く事なのだと、自分で実感できたのです。(^^♪
そう、以前と違う感覚の「変化している自分」を感じたのでした。
《゚Д゚》☆彡
自分が感じる「好き・嫌い」というものは、実は自分の心の中のものを、相手に投影しているだけなのだと、今は理解しておりますから、
自分の意識が変われば、観えて来るものへの理解も深まるというのは当然と言えば当然なのですが、当時の私はそれを理屈ではなく、実体験から学んだのですね。
☆彡☆彡☆彡
あれはとても貴重な経験となり、今でもとても印象深い記憶として、自分に刻み込まれた出来事となりました。
☆_(_☆_)_☆
私達の課題でもある、「人として大きくなる」というのは、
自分が経験を重ねる事により、ものの見方の視野が広がり、許容範囲が広がる毎に「嫌い」なものが減って行き、「好き」なものが増えて行くという事なのではないかなぁと思うのです。☆彡
多角的にものを観れる様になるという事は、「相手の立場に立つ」事や、自分とは違う「相手の個性を認める」という事でもありますから、
それはもう、「好き」とか「嫌い」とかのレベルとは違う領域であり、相手の素晴らしさや個性を "楽しめる" 様になる事ではないかと思います。
(^^♪
今は、私はバレエだけでなく、人を見る時にも、相手を「芸術品」として観る様な感覚を持つ様になりました。
個性には「良い」も「悪い」も無いのですから、「好き」「嫌い」という感覚とはちょっと違うものなのですが、
皆様には、この私の云わんとする「感覚」が伝わりましたでしょうか?
難しかったでしょうか?
(^^; !?
この写真の個性も又、素晴らしい芸術です♫
「芸術」とは自分の私情で「好き・嫌い」と判断する事を飛び越えたもの。
そのものの個性を、「味わい、楽しむ」という感覚と言えば、伝わりますでしょうか?
(^^✿
勿論、私達は人間ですから、「好みの傾向」というものは誰でもあるのですが、
この世は実に様々な個性で溢れた世界ですから、
「嫌い」と感じられるものが多いよりも、「好き」と感じられるものが多い方が、やはり幸せな事には間違いないでありましょう♫
(^^✿✿✿
「相手を認められる」という事は、自分の中にも相手と同じものがあるという事。
認められた分、理解できた分、自分の器が大きくなって行くという事なのだと思います。
「認められてこそ、その人を超して行ける」というのが、この世の「才能の法則」「人格の法則」でもあるのですね。
他者を認められる人は、そうして全てを呑み込んで、自分のものとして行くからです。
《゚Д゚》☆彡