大園 エリカ(クラシックバレエ教師・振付家)- コラム「成熟した人間は「慈愛」と「慈悲」の両面を持っている」 - 専門家プロファイル

大園 エリカ
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大園 エリカ

オオソノ エリカ
( 東京都 / クラシックバレエ教師・振付家 )
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
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成熟した人間は「慈愛」と「慈悲」の両面を持っている

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2014-12-29 06:00

「 "愛" とは一体何だろう???」《゚Д゚》!?

・・・などと、皆様はたまに考える事はございませんか?

 

 

現在、巷で「愛」と表現されているものは、西洋的な捉え方が主流と言いますか、

 

その中には男女の欲望や嫉妬も含めた "情愛" や、我が子への "偏愛" なども含めて、実に大雑把に一括りされ、どこかモヤモヤと曖昧に表現されている気が致しますが、

 

私は、東洋的な「慈愛」と「慈悲」という捉え方の方が、"真実の愛" というものの本質を表している様に思うのです。

_(_^_)_

 

そこには、大きさと深みを感じるというか、

全ての人間に対して分け隔て無く注がれる「人類愛」みたいなものを想像させてもらえる、壮大なスケール感を感じるからなのです。

《゚Д゚》☆彡

 

"愛" を勉強する初心者は、まず「慈愛」から始めると良いとも言われますね?

これは「全てを受け入れ、包み込む」という "母性愛的" なものと申しましょうか、巷ではこちらの方が分かり易いし、断然人気を誇ります!?(笑)

(^^♪

 

けれどその反面「母性愛」というものは、全てのものを呑み込こんでスポイルしてしまい、人を依存させて駄目にさせるという側面も持つと言われます。

(^^;

ちなみに、人というのは最初は母性で育つ (母性が無いと、赤ちゃんや幼児は死んでしまう) が、或る時期から母性は (依存させて人間を成長させないという)、人を大人にさせない罪に変わるという説もございます。

(・□・;)

 

 

 

一方「慈悲」というのは、人間の持つ痛みや悲しみを理解する故に、その苦しみから相手が自力で抜け出せる様にとの思いから、

相手を自立させる為に心を鬼にする様な "父性愛的" なものであり、視野が狭い私達には、時にそれはとても厳しく感じられる事もあり、あまり巷では人気が無い様です。(笑)

 

 

この様な「慈悲」を理解できる様になるのは、自分がその様に叱られたり、突き放されたりする事により、結果自分の力に気付けて、自立ができたり自由を得られたり、又達成感を感じたりして、自分が喜びに満たされたり、楽になった時でありましょうし、

 

自分で試練を乗り越えられて、初めてその厳しかった意味と有り難さに気付けるという事を理解するには、大きな視野が必要とされる分、深い叡智も必要になるので、

 

そこが「慈悲は慈愛よりも難しい」と言われる所以であり、そういう性質の「慈悲」というものを持つ様になるには「資格」が要るとも言われるのでありましょう。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

では、その資格とは何かと言うと、

 

相手に伝える時に、自分のエゴな感情や要求が混じる「私情」を一切持たずに、「慈しみ」からその人の事を考えて心から叱れるか?という事は勿論ですが、

(^^;

それより何より、まず「我が子や他人様に言えるだけの事を、自分もしているのか? して来たのか?」という事が最低限の条件になるのでしょうね。

(^^;;;

 

そうでなければ、それは「慈悲」とは言い難く、又誰に対しても説得力を持つことができないからです。

(^^;;;;;

 

 

ちなみに、「別の人から言われると腹が立つのに、同じ事を言われても、あの人の言う事なら素直に聞ける」という経験を、皆様もお持ちでは無いですか?

それはそういう所から来る、諭す側の人間の「日頃の行い=人間力=霊格」から来る説得力の違いなのです。

(^^✿

 

 

人間というものは面白いもので、どんなに口では、確かに正しい立派な事を言われても、

 

それを言う方の本音が、その人の私情の混じった「エゴからの偽善」であるのか、本物の「慈悲」であるのかを、諭される側はちゃんと「心」というもので見抜いているものなのです。

(; ̄O ̄)

それで「この人の言う事なら聞ける」、或いは「この人から言われると、腹が立つ。聞きたくない」と、

実は感覚で正しく、自分で選別しているものなのですね。

(;; ̄O ̄)

 

 

私達は、目の見えない所の情報 = その方の霊格というものを、無意識であってもちゃんとシビアに、そしてとても正直にキャッチしているものなので、

 

やはり人間は、「理屈=頭」ではなく「感覚=心」の方が正しい情報を受け取る動物なのだと思います。

☆_(_☆_)_☆

 

 

その様な能力と感覚を持つ人間を、諭したり、叱ったり、時に突き放したりする「慈悲」というものには、「資格が要る」という意味が、ここから観えて参りますね?

《゚Д゚》☆彡

 

 

ですので、それが例え我が子であっても、「親だから」という事だけで子供の人格を侮ってはいけません。

何故なら、親よりも子供の霊格の方が高いという例は、この世の中にはザラにあるからです。☆彡

 

・・・というより、そもそも子供というものは「親を超す」存在なのではありませんか?

その様にして、人類は発達・発展して来たのです。

(^^♪

 

 

親として、自分を超えて行く子供の存在を誇りに思えるのが、大きな無償の「真実の愛」であり、

そういう大きな心の親御さんには、逆に子供は「敵わない」と感じるものなので、親に感謝と尊敬の念を自然に抱く様になると思うのですが、

 

この世の中は「子供をライバル」と捉える大人気ない親御さんも、少なくはない様ですね~。

(^^;

 

 

ん?・・・あれ???

ちょっとテーマが脱線しましたか?(笑)

 

 

ちなみに「慈悲」が "愛" の上級編と言われる所以は、他にも有ります。☆彡

 

それは智慧による「バランス感覚」というものが必要になって来るからです。

「慈愛」よりも「慈悲」の方が、微妙で繊細な "さじ加減" や "タイミング" というものが相手に取って必要になって来るのです。

《゚Д゚》!!

 

そしてこの判断は、人格者と言われる方達でも、かなり苦労される事の様ですね~。

(^^;

 

慈愛と慈悲に溢れたあのお釈迦様ですら、大悟された後も「人を諭すのには苦労する」と、一時山に引き込まれたという様な逸話が残っているくらいなのですから、

凡夫の私達が苦労しないはずはないのです!?(笑)

 

 

・・・と、人には何やかんやと言いながら、

「慈愛」と「慈悲」をまだまだ勉強中の身である自分を、自ら慰める(!?)という事で、

 

今回のコラムは、終了させて頂きましょう!? (笑)

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

 

この雲と色彩、何かダイナミックです♫

(^^♫

 

 

 

 

 

 

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