大園 エリカ
オオソノ エリカ人生の「制約」の中で、どれだけ自分を自由にできるか?というのが智慧
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この世は二元的な構造で成り立っている様に見える世界なので、
私達は何をするのでも「矛盾」というものにぶつかり、人生で自分の "純粋性" を貫く事が、とても困難な世界に生きています。
(^^;
「自分のしたい事」と、自分や家族が「食べる為」に仕事をする中で、必ず色々出て来る人生の矛盾。
そこから生まれる自分のジレンマと、戦いながら生きて行かねばならない方が、この世は殆どなのではないでしょうか?
( ; _ ; )
社会や世間というものが「集団意識」というもので、ガッチリとスクラムを組んでいるこの世の中では、特に「長いものには巻かれろ」が苦手な方には、この世は大変生き辛い世の中の構造になっているのです。
いや、実際は「長いものに巻かれている人達」の中にも、生き辛さや息苦しさを抱えている方も多いはずです。
( ; _ ; )
そういう世の中の事実を、知っているのと知らないのとでは、どちらが良いのでしょう???
私は「知らない=無知」でいるよりも、「知って、それに拘らない」という生き方の方が、賢く知性的な大人の生き方なのではないかと思うのです。
☆_(_☆_)_☆
仏教でも、人間の三大煩悩として「怒り」「欲」「無知 (無明)」が挙げられておりますが、
その中で、「無知は恥である」とされます。
この中で「無知」というものが、一番質が宜しくないと言われております所以は、
「怒り」や「欲」は、自覚し易いものですが、「無知」は自覚しづらいだけに、克服が難しいという事からなのです。
(; ̄O ̄)
これは、習い事でも同じだなぁと思いますが、
自分の癖を "意識" できれば直す事もできますが、自覚が無ければ、それを直す事はできないというのと同じですね。
《゚Д゚》!!
では、果たしてこの「矛盾だらけの世の中」という事に目覚めた時、私達はどの様に生きれば良いのでしょうか?
その様なコンディションの中では、私達には全く「自由が無い」様にも見えてしまいます。
( ; _ ; )
そこで必要になってくるのが「生きる智慧」になって来るのです。
《゚Д゚》☆彡
「どうやってその制約の中で、自分を自由にできるか?」という智慧ですね。
《゚Д゚》☆彡☆彡☆彡
自分を自由にするには、まず自分の「捉え方を変える」という知恵が必要です。
つまり「発想の転換」という、賢い叡智を持つ事です。
☆_(_☆_)_☆
これを持つだけで「状況は変わらないのに、気持ちが楽になる」という事も起きますし、場合によっては、そこから「状況を変化させる」という事も起きて来るのです。☆彡
その知恵を発達させるには、物事の道理や真理などを勉強していなくては、本物の賢いアイディアは生まれません。
もし、アイディアが「一時しのぎ」の様なものでは、単なる逃げによる誤魔化しというだけで、それは本物の「知恵」ではなく、逆に苦しみを長引かせたりする分だけ、増したりしますから、
つまり、やっぱり賢い答えを出す為には「無知」ではいけない訳ですね。(笑)
(^^;
そして「自分の人生の答えは、自分で出す」という「自己責任」の伴う勇気も必要ですし、考えるのも行動するのも「自分自身」でなくてはなりません。
多くの方達は、これを恐れて「自分で、自分の自由を妨げている」のですが、それを本人に気付かせないものも、やはり「無知」なのです。
(^^;;
では、その「無知」を打破する為に、何が必要かと言いますと、
それは、日頃自分が「当たり前」と感じている事や「そういうもの」と思っているものに、ヒントが隠れています。
《゚Д゚》!?
この、何の疑いも無く「当たり前」と感じているもの、信じているものを、今一度「本当にそうなのか?」と、自分の思考で改めて考え直してみる事。
《゚Д゚》☆彡
もしご自分の環境を、本気で変えたいと思うのであれば、
まずこういう自分の足元=ご自分の思考を「疑ってみる」事で、自分の「無知」を打破できる可能性は大いにあります。
☆_(_☆_)_☆
この写真。
自分の「無知」で、真実が覆い隠されている「この世」を連想させませんか~!?(笑)
(^^♪
この世は、まるで「謎解きゲーム」の様だと、良く言われます。
ちなみに、「あの世」から「この世」を観ると、「この世は、あべこべなのだ」という事らしいですが、果たして!?
(^^;???
「それは、死んだら解る!」 by 神様!? (笑)