5 賃金全額払の原則
賃金は,「法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合,労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合」を除き,その全額を支払わなければなりません(労働基準法24条1項)。
賃金全額払の原則の趣旨は,生活の基盤たる賃金を労働者に確実に受領させるこ
とにあり,同原則は相殺禁止の趣旨を含みます(最判昭和31・11・2民集10巻11
号1413頁,最判昭和36・5・31民集15巻5号1482頁,菅野和夫『労働法第9版』
248頁)。ただし,過払賃金の清算のための「調整的相殺」は一定限度で許されます
(最判昭和44・12・18民集23巻12号2495頁,最判昭和45・10・30民集24巻11
号1693頁)。
労働者の側で,賃金債権を放棄することは同原則に抵触するものではなく,認め
られます。ただし,労働者の自由な意思に基づくものであることが明確であり,自
由な意思に基づくものであると認めるに足る合理的な理由が客観的に存在すること
が必要になります(最判昭和48・1・19民集27巻1号27頁)。同判例は,経費の使
用につき疑惑のあった労働者が,退職に際し,疑惑にかかる損害の一部を填補する
趣旨で使用者の働きかけに応じ,使用者の用意した「いかなる請求権も有しない」
旨の書面に署名した場合に,労働者の自由な意思に基づくものであると認めるに足
る合理的な理由が客観的に存在することを認めました。
また,労働者と使用者との合意による賃金債権の相殺についても同判例を引用し
て同様に考えるのが判例です(最判平成2・11・26民集44巻8号1085頁)。ただし,
学説上は,この判例について,賃金債権の放棄と合意による相殺を同様に解した点
について,労働者の同意があっても使用者による法違反は,賃金全額払の原則の例
外に該当しない限り,許されないのが労働基準法の強行法規としての帰結であると
して(菅野和夫『労働法第9版』250頁),批判の強いところです(野川忍『労働判
例インデックス』93頁)。
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