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中舎 重之
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閲覧数順 2016年12月07日更新

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京都:賀茂別雷神社

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              か  も  わけ いかずち じんじゃ             

         賀 茂  別  雷  神 社






          京都市北区上賀茂本山町が住所です。


     山城国の一の宮です。起源は古く奈良時代に         

     かなり栄えて、平安京の頃は皇居の鎮護として         

     崇敬されました。         

     本殿と権殿は共に三間社、流造り、檜皮葺きで、         

     寛永5年(1628)に再興されました。


     山城国に流造りの形式が多いのは、此の神社を         

     モデルにしたからだと云われています。         

     此処での建造物の位置、構造が丘陵を利用して、         

     水流に応じて変化に富んでいるのが特徴です。


          5月15日の葵祭は京都の三大祭りのひとつで、         

     千四百年前の欽明天皇のころから始まりました。








        例により、当神社の予備知識を記します。     

  上賀茂神社の縁起により由来を述べます。     

  「賀茂の建角身の命」カモのタケツノミのミコトが大和の国     

  葛城山を離れて、山城の国(京都府)に出て来られました。     

  桂川と合流している澄んだ清く流れる川の所に鎮座されました。     

  其れ以来、此の地を賀茂と称したと云います。       

    「賀茂の建角身の命」は、丹波の国の「イカコヤヒメ」を     

  娶って、玉依日子(タマヨリヒコ)と玉依日売(タマヨリヒメ)      

  をもうけられました。この玉依日売が或る日、石川の瀬見の     

  小川にて、川遊びしていると川上から丹塗りの矢が流れて来ま     

  した。ヒメ が此の矢を持ち帰り床の辺に挿し置きしました。     

  その後、ヒメ は身籠もり男の子が誕生しました。     


   やがて、その子が大きく成られたので、おじいさんの「建角身   

  の命」は八尋屋を造り、八つ戸口を設け、八腹の酒を醸して、     

  大勢の神々を招いて、七日七夜の楽遊に興じました。     

  そうして、孫に語って言うには、”お前のお父さんだと思う人     

  に、此の酒を飲ませなさい” すると、その子は杯を捧げて        

  天に祭りをし、屋根の甍をぶち抜いて、天に昇ってしまった     

  と云います。さぞ、おじいさんも驚いたことでしょう。     

  そこで、おじいさんの名を取って「賀茂の別雷の命」カモの   

  ワケイカズチのミコトとされました。     

  問題の丹塗りの矢は、乙訓郡(おとくにごおり)のヤシロに   

  います「火雷の神」ホノイカズチのカミとの事です。


        此の話は、おじいさんが孫のために、多大な散在をして、     

  父親を探してやろうと云うところに面白味があります。   

  誠に温情溢れるものがあり、私の好きな話のひとつです。     

  また、此の「建角身の命」が神武天皇の東征の時に熊野から     

  大和へと先導した「八咫烏」ヤタガラス であると云われて   

  います。ために、平安時代になり賀茂神社が皇室の敬重を受け     

  たことは格別なものが有ります。未婚の内親王を斎院として     

  仕え参らせ、旧暦四月の中の酉の日(今の5月15日)の祭り     

  には、勅使を差し遣わされたのです。 いわゆる葵祭です。


        此の上賀茂神社には、先に話を思い出させる何かが残って     

  います。太古をおもわせる森と林、生い茂った老樹、ひろびろ     

  とした芝生の前庭、それらを背景にした幾棟かの社殿、その     

  すそを区切るように立つ玉垣と朱塗りの鳥居、京洛にある神社     

  の筆頭に位置するだけあって、なかなかに見事です。    

    上賀茂神社の見どころのひとつは、神社のもつ神秘性であり、   

  それを感じさせる雰囲気であると思います。   

  更にもうひとつは、社殿の配置にあります。特に、山や渓流の     

  地形に応じて巧みに配置された建築群の構成は、いかにも王朝     

  時代の名社らしく優雅さを示しています。


        本殿正面前の砂盛りは一見にあたいします。  此の光景は、    

  この神社の特色のひとつであると思います。由来を記します。     

  昔々、このヤシロにまだ社殿がなく、「御生山」ミアレヤマを     

  直接おがんでいた頃は、人間が神に意思表示するには、神の     

  取り次ぎ役を「まつり」の場に呼び、迎えた。その名を「サニワ」     

  と云う。神を「サニワ」に呼び迎えるには、夜は「にわび」が    

  炎をあげ、昼は「しるしの山」を白砂で築いて日光を反射させた。     

  そして、これを「サニワ」の依り処としました。       

    九世紀の初めに神殿が築かれ、もう「サニワ」の必要性が     

  なくなりました。そのため清く明るい砂庭は、古代の「まつり」     

  の場の名残りとして前庭になり、「しるしの山」が古代のまま     

  の清浄を表す役として残ったのです。


        此の様に大切な役目を持つ砂盛りを、心ない人々は、庭を均    

  す為とか、高貴な人を迎える浄める斎砂とかと評しています。     

  斎砂と云えば、銀閣寺にあった向月台と呼ばれる円錐形の砂盛り   

  にも、同じ様な意味の解釈をする人々がいました。   

  此の場で云うのもはしたないのですが、銀閣寺のあの砂盛りは、   

  いかなる理由を付けても、無用と思いますし、銀閣寺の清浄な    

  雰囲気に馴染まないものなのです。理屈抜きに無い方が良いと    

  思っています。



        最後に建物に少しだけ触れます。本殿の流造(ながれづくり)     

  は正面3間側面2間の身舎(みや)に向拝(こうはい)が付いた     

  形です。伊勢神宮正殿形式の発達したものと考えられています。     

  身舎は内部が1室とし、正面中央のみに扉を設け、四周に縁を     

  廻らしています。   

   柱はすべて井桁状の土台の上に建ちます。此の井桁の土台は一見   

  に価します。組み物は船肘木(ふなひじき)のみで、これも    

  さっぱりとた仲なかに珍しい良い造りです。   

   さらに、神社なのに棟には千木(ちぎ)・堅魚木(かつおぎ)   

  も載せていません。此の不思議な造りは何故なのでしょうね。


























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