「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と「ドッグ・ヴィル」 - コラム - 専門家プロファイル

高安 重一
有限会社アーキテクチャー・ラボ 代表取締役
東京都
建築家
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「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と「ドッグ・ヴィル」

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「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(ラース・フォン・トリアー)をようやく見られた。

カンヌのパルムドール賞で知ってはいたけれど、
見逃したまま、先に「ドッグ・ヴィル」を見ることになったので、ようやくという意味。

DVDに「見た後に人に話したり何か書くときには結末を伝えないように」と、
監督からのお願いが書いてあるので、それは書かないとしても、
「全てを与える/献身」の話。

重いテーマは「ドッグ・ヴィル」と一緒。
未踏のアメリカのアメリカ・イズムが舞台というのも一緒。

”手持ちのカメラで自然のままの光で撮る”という、
ラース・フォン・トリアーの貫く手法はどちらの映画でも、もちろん踏襲されている。
だからこそ、そこでの演技はどちらも過酷なもののよう。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のビョークは撮影途中で失踪して、
「ドッグ・ヴィル」のニコール・キッドマンもおかしくなっている。

俳優は極限状態に追い込まれ、
監督が演技指導するのではない長回しのドキュメント風に自然なものとして撮影される。
それが大量につなぎ合わされるハリウッドの映画との質の違いになっている。

では映画の形式を解体するのが監督の仕事か?
「ドッグ・ヴィル」ではセットを無くし、
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」ではテーマの重さと真逆のミュージカルという形式を組み合わせる。

殺人を犯した後のダンスのシーンでは100台のカメラをセットして、
大量の無駄なシーンもフィルムを出しながら素の状態をとらえている。

形式を解体し、素を求める。建築の仕事に近いという意味で建築家が好む映画と言える。

しかしビョークの表情は素晴らしい!最高。
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