「世の中にあり得ない事」
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2005-12-06 01:00
ずいぶん簡単に人を殺すよな・・・。
町田の女子高生が刺されたのが、もうずいぶん前の事のように感じてしまう。
そのたびごと、事件をきちんと伝える報道の警鐘的役割ももちろん分かるけれど、
新聞にデカデカと書かれる「衣服の上から数十カ所を刺され」なんて見出しを目にするたび、
言いようのない、堕ちていく先の見えない恐ろしさを感じる。
それが思考停止だとしても、「世の中にあり得ない事」という観念が
そう遠くない昔まではあったと思うのだ。
普通の生活をしていたら想像すらつかない、
あってはならない とかいう『判断』をするまでもなく、
『あり得ない』って、脳のシャッターが降りてしまうような、
観念に守られた禁忌・タブーってのがあると思うのだ。
それが、こんな風にしょっちゅう、刺した、絞めた、殺した、とかいう言葉が
普通の人の普通の日常生活の中にありふれてしまって、見聞きする機会が増えてる。
いま、殺人や傷害が、世の中の「あり得る事」として認識されていっている。
報道によって、繰り返し詳細に伝えられ、それがいつの間にか人の意識に
ジワジワと馴染んでいっていることに本当に怖さを感じている。
子供に「ねぇ、どうして人を殺してはいけないの?」と訊かれたら、あなたならどうしますか?
僕なら・・・(これは賛否両論あるでしょうが)
間髪入れずに思いっきり真剣にひっぱたくことでしょう。
それしかないのだという気がしています。
そこだけは、人が疑問として取り上げてはいけない部分だとして
「あんなに恐ろしい形相の父ちゃんは、後にも先にも見た事がない」というくらいの強烈な原体験とともに、
観念に刻み込むしか無いのではないかと思います。
「あなたならどうしますか?」
よかったら本当に意見をお聞かせください。
sd@sunaga.org
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このコラムの執筆専門家
- 須永 豪
- (長野県 / 建築家)
- 須永豪・サバイバルデザイン
響きあう木の空間
森や山と人、地球が健全に回っていく様子を見届けたい。 木を街に届け人の営みに森をもたらし木が、森が、地球が、生命が、人が、そして星々や宇宙までもが響あいはじめるそんな木の建築空間宇宙の意図が起動する響きあう木の空間をつくろう