- 大園 エリカ
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
- 東京都
- クラシックバレエ教師・振付家
今回は、精神的に依存心の強い方が持つ、或る特徴に付いてのお話しです。
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私には人を観る時に、精神的に自立できた人間かどうかを知るバロメーターを持っておりますが、それはその人から放たれる言葉や行為を観察すれば、一目瞭然だという事です。
…と、ここで皆様はご自分の頭の中に、誰が真っ先に思い浮かびましたか?
まず自分にそれを当てはめて、ご自身を客観視された方と、自分以外の他者を思い浮かべられた方がいらっしゃるのではないでしょうか?
(^^ゞ
ま、それはさて置き、依存心の強い人間の特徴というのは、実は絶えず自分の事は棚の上で、年中「他者への過干渉(※ジャッジ)をして文句を言う」という特徴があります。
「えッ!? 何か分かりづらいンだけど~」という方の為に、解説させて頂きますと、
実はそういった行為の裏には「誰かやってくれないかと期待する」という心理があるからなのです。誰かに期待をしなければ、文句になる訳はないからですね~。
つまりこういう無意識に誰かに頼ったり期待する依存心の強い人の発想や口癖は、常に「誰かやってくれないかな」とか「何でやってくれないの!?」であり、
つまりこういう方達というのは、「まず自分がやろう」という発想がなく、そういう自分の事はそっちのけで、上から目線で絶えず他者をチェックする事に余念がないのですが、
実はこういう人間というのは、他者が自分の中心になってしまった方達であり、自分に中心を持っていない方達なのです。
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ですので、そういう方から放たれる言葉というのは、絶えず意識が自分の外に向かう事から来る「相手をジャッジする事から生まれる文句・愚痴・悪口を好む」という特徴があり、
又こういう方が他人を誉める時というのは、「自分の気に入らない誰かを貶める為」という屈折した目的を持った、他人を利用した行為になってしまうという残念な特徴もあり、実はその行為が周りの人間を辟易させていたりするのですが、
当のご本人にはその自覚がない故に、周りがその方に気を遣い、その方のお守りをする様な構図というものが出来上がっている事はご存知ないのです。
つまりこういう方達というのは、「大人の顔をした幼児の様な存在」なのですが、本当の子供と違ってとても質が悪いのは、大人特有の悪知恵を働かせるといった様な面を持っているという事でしょうか。
ですから本当に周りの方達は、そういう方のお守りをするのが大変なのですよね~。(※ちなみに私はこういう方への媚びやお守りは、クールにしない主義ですが)
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…と、この様に口を開けば常に誰かや何かへの文句・愚痴・悪口になっている波動の低い(重い)方というのは、実は「他者を悪く言う事で、自分の価値を上げようとする隠れた心理」が働いている訳なのですが、
そういう言動で他者を引きずり下ろす事で、自分を高く見せようとした所で、自分が実際高くなっている訳ではなく、見る人が見れば、むしろ逆にその方の価値は下がっているものなのです。
ちなみに、こういう方というのはとても面倒くさいので、皆(※自分にとばっちりが来ない様に)言葉には出しはしませんが、内心ではそういう方の事はちゃんと見抜いていて、「この人は居ない方が平和」と思われていたり、軽蔑されているという事もしばしばです。
だってそんな事をしても、結局他者から人格者として信頼される事も、尊敬される事もないのにも関わらず、その方が居れば、周囲はそういう方の愚痴や文句につき合わされる=お守りをさせられる訳ですし、
その毎回繰り返される波動の低い会話に、正直周りはウンザリしてしまうというのは、仕方のないバランスなのです。
"(-""-)"
なのですが、こういう方というのは「自分がお守りをされている」という事実に全然気付けない鈍感さを持ち合わせているというのも共通した特徴でしょうか。(※少なくともそういう真実に気付いていたら、そういう行為は恥ずかしくて出来なくなって行くものでございます故…)
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この様に「他者への文句・愚痴・悪口を好む=他者が自分の中心になってしまっている方」というのは、つまりは「自分に中心を持っていない人間=他者に無意識に自分の幸せを依存する人間」という事でもあり、
故に他者への文句や悪口になってしまう裏には、「誰も私を幸せにしてくれない」という、その人の人生から来る他者への恨みつらみが隠されているという事でもある訳なのですが、
意識的であれ、無意識であれ、そういう発想自体が「全くのお門違い」という事には気付けない、お可哀そうな方達でもあります。
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何故ならどなた様に取りましても、「自分を幸せにするのは、自分しかいない」のですから、それを他者に依存する様な人間には、文句・愚痴・悪口が多くなるのは当然であり、必然という事になるのですが、
そういう言動は波動を下げてしまう行為である為、そういうものを他者に与える者は、実は自分の幸せからはどんどん遠ざかって行くという事になります。
それはこの宇宙には「与えるのが先」と言う法則が働いている為で、それ故「自分の与えたものが、即ち自分の受け取るもの」でもあるからです。
( ・・) ~ ☆彡&★彡
ちなみに幸福感とは、波動が高い=軽い=繊細で微細な感覚という領域から得られるものなので、波動の低い=重いものから生まれるものではない為、
故に波動の高く、心がいつも軽やかな人=他人に自分の幸せを左右されない人=人生を感謝で楽しめている知性的な人というのは、
そういうものを放つ重苦しい人間=常に誰かの重りを必要とする不毛なエナジーバンパイアから、自然に離れて行くのは当然であり必然です。
なのですが、世の中にはこういう原則が働いているという事をご存知無い方もまだまだ沢山いらっしゃる様で、人を引き下げる事で自分が上がった様な気になる「他者への文句・愚痴・悪口」に、喜々として便乗してしまう無知な方々も多い様でございます。
\(◎o◎)/!
私が思うに、これだけ世の中に「文句・愚痴・悪口」を好む方々が後を絶たないその理由として、そういうものは「その場の一時的なストレス解消=人を貶める事で自分が上がった様な気になる=快感」と感じてしまうからなのでしょうね~。
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でもそういうネガティブなものを放てば、それはいずれ様々な形を取って、最終的には全部自分に跳ね返って来てしまうのですから、
結局日常で「人から不親切にされる」とか、「人から不愉快なものを感じてしまう事が多い」とか、つまり「自分が他者から大切に扱われないという不快感」や「自己嫌悪という不快感」を味わう事になってしまうというのが宇宙の法則なのです。
そうした「自分の人生の悩みに、何の根本的解決法にもならないもの」に身を委ねてしまう程に、真の幸せからはどんどん遠ざかるという事に繋がって行くのですが、
哀しいかな、これが「自分の幸せを、自分以外の人間に依存してしまう方達=常に自分の中に怒りを持つ方達」が持つ特徴なのでございます。
(◎_◎;)
精神的に自立した人というのは、このアオサギの立ち姿の様な「媚びの無い毅然とした心の美しさ」というものを持っていて、
そうした内面が、言葉の様に嘘の付けないその方の持つ雰囲気=オーラとして、表に滲み出ているものです♪
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡
ちなみに今回解説させて頂いた、そのネガティブな言動から「周囲の波動を下げる依存型人間」とは対極的な存在である「周囲の波動を上げてしまう自立型人間」とは、一体どの様な特徴を持たれている方達なのでありましょうか?
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それは「自分で自分を満たす事のできる人」という事になります。
こういう方々は、人によって態度や言う事が違ったりしませんし、人が見ていても見ていなくても、人に対する基本的な姿勢=自分と相手の人格を尊重する事を忘れない真の優しさを持っている人達です。
☆_(_☆_)_☆
こういう方達を拝見しておりますと、依存型の人間とは対照的な発想を根本に持っている事が分かります。
それは「私がやる」という発想で、それに比例して「誰かに対して不機嫌になる」という事がないという特徴を持たれているという事です。
こういう方は、立場に関係なく「自分から率先して動く」ので、それ故に皆から尊敬されているものですし、又周囲の人間が「あの人の為なら!」と思いたくなる様な、人間的な魅力を持たれた方達でもあるという事ですね♪
(*^^*) ~ ♡
そして必要であれば、本気で叱るという事もできる方達でもある訳ですが、
それは依存型の人間が、年がら年中他者に対して持っている怒り=他者に依存し、相手に自分のお守りを期待するが故のイライラした感情的な怒り=自分のお守りをしない人間に対して、自己中心的に勝手に怒るというエゴとは全く質の違う、
「自分と相手への人格への尊重」というハートから生まれる"慈悲の行為"であるというのも特徴でしょうか。
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このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年