- 大園 エリカ
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
- 東京都
- クラシックバレエ教師・振付家
皆様は、他者に干渉する事はお好きですか?(笑)
基本人間は、人に親切にする事を好むお節介な動物なのですが、でも「親切」と「過干渉」との違いを、皆様は大人としてキチンと把握されてますでしょうか?
(^^ゞ
ちなみに何で今回私がこの様な質問をしたかと言うと、それは特にこの日本という国では「私に構って~~~ッ」「優しくして~~~ッ」「私を傷付けないで~~~ッ(※自分を被害者に仕立てあげる)」とか、
"過ぎたるは猶及ばざるが如し"の必要以上の親切で他人を気遣う"気持ちの悪い偽の優しさ"というものを愛と勘違いし、「私ってこんなに優しくて良い人でしょう?」を過剰アピールする事を好むなど、
非常に未熟でカッコ悪い大人達がハンパなく多く生息する異様さに、私は毎度の事ながら驚かされるからです。(「あなた達は、一体おいくつですか?」という感じです。笑)
\(◎o◎)/!
正直子供から見てもカッコ悪くて情けないと思われるであろう、そういう大の大人達の稚拙なお姿を拝見してしまう度に、私は「見ているこちらが恥ずかしくなる」という体質なので、「…ったく、あんたらは幼稚園児か!」とツッコミを入れたくなるのです。(笑)
こういう事を社会全体で好む事から生まれる、日本独特のこの"赤ちゃん文化"から生まれるのが「他者への過干渉文化」であり、つまり「度を越した親切=偽の優しさ=お節介」というものを育んでもいるのですが、
そこから生まれる"弊害"というものに気が付けないのも、又日本人の方達ではないでしょうか。
(^^;
何故"弊害"かと申しますと、それは結果「いつまでも自分を自立させない=他者を自立させない事を良しとする」という文化であるからです。
私の眼から観て問題だと感じる事とは、そうした必要以上に他者に「過干渉」する事を、"親切"だと勘違いしている稚拙な大人達が、子供達を教育と称して育てているという事でしょうか。
(^^;;
ですのでこの様な大人達というのは、表面的には他者に対して自分の寛大さを示す様に「自由でいいよ~」とは言うのですが、
そういう過保護で子供をスポイルする慣習を良しとする環境で育てられて親に成った者は、大概自分の子供にもその様な教育を基本にして育てる為に、子供や他者に対しては自分が親からされた様に、無意識に「自分のやり方に従わせたい=過干渉を好む」という隠された本音が中にある為、
そうは言いながら、「無意識に他者に自分のやり方を過干渉に押し付ける」「相手が自分と違うやり方をすると不機嫌になる」、
或いは相手がやろうとしている事に対して、自分ではそれが親切心だと思い込んでおられるのか、個人的主観からの「そんな事はしなくて良い」などという否定的干渉をするなど、
そういう「無意識に自分を基準にものを計る=相手のやり方を尊重しない」というエゴを持った方達は、口で言う「自由で良いよ~」とは実は裏腹な、本当の「親切」とはかけ離れた"否定的干渉行為"や"粗探し的指導"を好む方達なのです。
"(-""-)"
ですのでこういう方達の言動には、実はご本人が気付いておられない矛盾がいっぱい有って、全てに於いて一貫性がないので(※ちなみに臨機応変というのは、芯があって生まれるもの)、他者に対して説得力を持つ事ができず、逆に教わる側からは反感を持たれてしまう場合が多いのですが、
彼らはそういう心のカラクリを知らない為に、自分のアドバイスを聞かない相手に全て非があるとばかりに、「他者が自分のやり方をしないと不機嫌になる」「自分の矛盾に気付かれると、相手に柔軟性がないと決めつける」という様な稚拙な態度を取るという事が共通しています。
(・・;)
こういう稚拙でネガティブなコミュニケーションを好む人というのは、実は本当の意味で「自分の人生を生きていない」方達に多いのです。
何故なら本当に「自分の人生を生きている」人達というのは、心が自由で柔軟な為、この様に自分や相手の心を窮屈にする様な「過干渉」という稚拙な行為を好まないものなので、それが私に取ってのバロメーターになっているのです。
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…と、ここまで読まれても「この人一体何を言っているの!? 正直何を言っているのか良く分からない!」と感じていらっしゃる方も多いかもしれませんね~。(笑)
人間というものは面白いもので、今まで自分が持っていた価値観をガラガラと崩壊させる様な、自分が今まで全く触れた事のない"新しい概念"というものに触れた時には、
「脳が初めて受けるその衝撃でパニクり、怒りを感じる」という反応を起こすものですから、そういう方がいらしても、何の不思議もありません。
(^^✿
…という事で、それでは今回は「過干渉」という行為を、より深く理解する為に書かれた様な、そんなメッセージをお届けする事に致します。
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人間関係でヘルシーな境界線を保つ為の7ステップ
メタフィジックス通信 より
自分は何を何処までして、何処からはやらなくて良いのか、分からなくなる時がありますよね。
それをはっきりさせるのが、境界線です。
境界線とは
境界線とは文字通り、自分と他人を隔てるものです。
何が自分のもので、何がそうでないのかを明らかにします。
私達は時々、友人、家族、パートナーとの間で、不公平で不平等な関係に陥る事があります。
あなたが相手の欲求に合わせて疲れてしまったり、自分のニーズが満たされていないと感じる時、
あなたの境界線が曖昧になっている可能性があります。
境界線はフェアでヘルシーな関係を築く為の目安となります。
境界線が曖昧になる原因
境界線が曖昧になる原因は、多くの場合、こんな背景から形成されます。
★子供の頃、身近な人から「NO」を言うのは悪い事だと教えられた。
★子供の頃、身近な人から、あなたの能力や意見を否定された。
★自分が相手を否定したり、「NO」と言う事は悪い事だと感じる様になった。
★境界線の意識が健全に育たなかった事で、自分が何処まで相手を受け入れ、相手が何処まで自分を受け入れるべきなのか、基準が良く分からない。
境界線を保つという事
境界線の中には、あなたが自分で責任を負い、自分が自由で裁量できるものが入ります。
それには以下のものが含まれます。
★感情
★価値観
★行動
★選択
★限界
★能力
★思考
★欲求
★愛
★肉体
これらは本来なら、あなたが責任を持って、あなたの意志で自由に決定して良いものです。
一方、境界線の外には、あなたが責任を負う必要がなく、
それ故にあなたが干渉できないものが含まれます。
それはあなたのものではない、上記の項目です。
健全な境界線を保つとは、自分の価値を守る事であり、
その為に相手の過剰な要求を認めないと同様に、こちらからもしないという事です。
不健康な境界線の例
1.自分の価値を守る為に、境界線をしっかり保ち、相手に過剰な要求をさせないし、こちらからもしない。
2.相手にNOと言われても、自分の意見を伝えるのは悪い事ではなく、むしろ健全な事だと理解できる。
3.お互いの都合と要望を話し合い、調整する。
4.自分のアイデンティティと価値観をリスペクトする。
5.自分の問題か、相手の問題かを見極め、必要以上の責任を負おうとしない。
6. 自分の個人的な情報は、信頼関係を築きながら一度に少しづつ伝える。
7.相手の期待と異なる場合でも、自分の欲しいものや要求、意見や感情ははっきり伝える事ができる。
8.自分の幸せや満足は、自分が責任を持ち、相手にも同様の力を認める。
9.助けが必要な時には、求める。
10.自分の限界を知り、それを越えた要求を受け入れる事はないし、同様に相手の限界も尊重する。
11.誰かが自分を利用したり、不公平な要求をするのを許さない。
12.自分の価値を不当に貶めたり、境界線を越えた要求をされた時に、拒否する事は健全であると考える。
ヘルシーな境界線を保つ為の7ステップ
1.自分の境界は、自分で決める権利があると知る。
そもそも境界線は人に決めてもらう必要もありません。
あなたが苦しい思いをせず、ヘルシーでいられる境界線を設定しましょう。
2.他人の要求や感情は、自分のものほど重要ではないと知る。
自分の要求や感情を優先するのは、自分勝手だと私達は教わって来ますから、
これは一見飲み込みにくい薬ですが、現状、自分の価値を尊重できていない事で、
あなたが苦しい思いをしてるなら、まずはあなたの要求や感情をきちんと伝えてみましょう。
3.「NO」を言う事を学ぶ。
実際或る程度の自己中心主義は、健康的な関係を築く為に必要です。
他人を喜ばせ、承認を得る為に、自分を犠牲にする必要はありません。
当然の主張をしているだけなのですから、罪悪感を感じる事なく「NO」と言いましょう。
そもそも「YES]「NO」に悪い意味はないはずなのです。
4.自分に取って受け入れられない要求や行動を見極める。
あるがままの自分の要求や素直な感情と、健全な境界線を、まずあなた自身が尊重しましょう。
どの様な時に、それを侵害されたと感じるか振り返ってみて下さい。
5.現実的な期待を持つ。
あなたを尊重してくれない人との人間関係を続けるのは困難だと思うなら、
一緒に過ごす時間を減らすか、必要なら関係そのものを断ちましょう。
相手が変わるのを期待しない事。
相手はあなたに対して、別の対応をしようとは、微塵も思っていません。
6.自分の幸せに責任を持つ。
本来なら、あなたは自分の好きに意志を変える事が許されます。
あなたの意志と自由なハートは、他の誰でもない、あなたの為のものだからです。
怖れや罪悪感を抱く事なく、あなたに相応しい幸せを守る為に、断固として進みましょう。
7.自分を信じる。
あなたのベストを知るのはあなたです。
何が欲しくて、何が必要で、どんな事に価値を置くか、誰にも決めさせてはなりません。
健康的な境界線を儲ける事で、あなたは自分が本来持っていた強さに気付くでしょう。
あなたの価値と、あなたの強さを心からリスペクトし、それを表現して下さい。
自分に取って本当に大切なものは、実は最初から境界線の内側にあって、
それは決してなくなったりしないのです。
この子は以前コラムでご紹介した、自宅で飼っていたウサギのルビー♡ (♂)
彼もそうでしたが、動物って人間に「愛とは何ぞや?」という事を教えてくれる存在なのだな~と感じます。
ちなみに、彼は飼い主に似て(笑)自分を持っており、私から抱っこされるのは嫌がったのですが、私が床に寝転ぶと、必ず私の脇下に潜り込み、私の腕に顔を乗っけて「頭撫でて♪」と要求して来る可愛いやんちゃな男の子でした♫
(*^^*) ~ ♡
私はそんな彼の自由意思を尊重した為なのか、彼はどうも自分を人間と勘違いした節があり、私の事はどうも自分の恋人だと思っていた様です。(笑)
そのせいかどうかは分かりませんが、或る方に「このウサギは来世は人間に生まれ変わるよ♪」と言われました。(信じるか信じないかは、あなた次第です!笑)
詳しくはこちらのコラムをご覧下さいませ♫
↓ ↓ ↓
ちなみにお節介な人達の中には、自分の管轄外の事に首を突っ込んで来る方もいますよね~。
例えば或る人や物事に対して「自分が感じている様に感じない人はおかしい」という様に、心の中で他人の自由意思に干渉して来るとか、
「あの人はこういう人だ」とか、「あの人にあなたは感謝しなくちゃね!」とか、相手の経験した事を無視して、勝手に自分の主観を押し付けて来る方もおりますね~。
(^^;
人をどの様に感じるかとか、その人に感謝したいと思うか思わないかは、当人が感じて決める事にも関わらずなのですが、こういう事に干渉して来られる方を観察してみると、
大体は自分が子供や家族から感謝されていない=感謝されたいと感じている方が多い様です。つまり「自分がされたい事」を他人に投影して、関係ない他者との関係に持ち込んでしまうのですね~。
(^^;
こういう方というのは、それぞれの関係性の中で、それぞれが相手に対して見ている面というのも、個々に違って当たり前であるという視野や、
他者と自分とでは、それぞれ人生経験から来る価値観も個性も感性も相性も違うという視野や、個々の立場や経験により、解釈も理解も感じ方も違って当然という視野は欠落している様でして、
故に自分がそういう他人の領域まで踏み込んでいるという事に気付けない「お節介体質」の人は、その行為自体がエゴであるという事に、当然全然お気付きになれない方達です。
ちなみにそういう方達の特徴として、相手の管轄に入り込んで「人に謝らせる事」&「罪悪感を持たせたがる事」を好む"過干渉好き"という特徴がありますので、どうぞバロメーターにされてみて下さい。
(^^ゞ
ちなみに、そういう事を好む方達を「宇宙の法則」に照ら合わせて分析致しますと、
こういう方達の内面は、自分への"自己否定"から生まれる持たないで良いコンプレックスから、「誰も幸せを感じられない犠牲行為(※犠牲は、喜びを伴う奉仕とは似て非なる行為です)」を好んで生きていらっしゃる=ご自分を蔑ろにする事から生まれる罪悪感で、心がいっぱいな方達であるというのが分かります。
自分が自分に与えているものしか、他者に与えられないというのが「宇宙の法則」であり、真理ですので、
この様な方達は、如何に表面的には過保護なまでに他者に親切であろうと、多くの人に好まれる「良い人」と承認される人間であろうと、実際に他者に与えられるものは「自分が中に持っているもの」しかなく、
故に「自分と同じ様に犠牲的になれ」「私の様に自己を否定して罪悪感を持て」というものを、無意識に相手に与えてしまっている事には気付いていないという事実があるのです。(ひぇぇ~~~ッ)
\(◎o◎)/!
そして私の眼から観ると、こういう不健全な人間関係を無意識に好んでいるのが、"赤ちゃん文化"とも評される「甘えの文化」を好む日本人達…という事なのです。
"(-""-)"
ちなみに自立した教育が為される海外では、こういう独特な「甘えの文化」から育まれた価値観を持つ日本人に対して、「自分を持たない=集団意識に洗脳され、自分の頭で考えられない幼稚園児」と思われてしまうのは致し方ないと、残念ながら私は感じます。(-_-;)
彼らは大人でクールですから、大の大人のお守りはしませんし、そういう甘えをコミュニケーション潤滑油として好む日本人は、大体は呆れられて馬鹿にされ放っておかれます。
(^^;(^^;;(^^;;
…て、そう言う私も、コッテコテの日本人なのですが…。(笑)
でも私はそういう日本の風潮や文化の中に生きていても、社会という集団意識から生まれる「個性を欠点と捉える事から生まれる罪悪感を、謙虚と勘違いさせる欺瞞」に気付いておりますし、
そういう「人を幸せにしない間違った教育」には洗脳される事なく、又社会の価値観に流される事なく、
そして「自分の保身の為に、自分を犠牲(蔑ろ)にする」という様な事は選択せず、常に自分の正直な心を見失う事なく生きて来た分、自分に取って必要な事や事実をお伝えする事はあっても、他人の管轄に土足で入り込み、お節介に干渉するといった行為には全く興味も必要もないですし、
故に「自分と他者の自由意思を尊重する事ができる」という、健全な心をキープできている一人ではないかと自負しております♪
(^^✿
ちなみに私も「自分の中に在るものしか、他者に与えられない」人間であるというのも、皆様と同じなのでございます♪
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このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年