優しさだけで人は救えるか?
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昔、どこかでセラピストの方に、こんなことを言われたことがあります。
「ブログでネガティブなことを書かないって凄いですね。」
それを聞いて、よく意味がわからなかったんですよね。
なんでネガティブなことを書く必要があるのか…ということと、セラピストって人を癒すお仕事だと思っていたので、自分が癒されていないのかな…と。
その当時の私は、まだ松井さんに会ったばかりの頃で、そういえば松井さんに「セラピストって何なの?」って聞かれたことがあることを思い出しました。
「自分に悩みがある人は人の悩みを聞けないよねぇ。」と。
自分が癒されていないのに人を癒すことは出来ません。
傷ついた経験があるからこそ、人に優しくすることも出来るわけですが、優しさだけでは人は救えないのだと思います。
人を救いたいのであれば、心だけでなく技術、知識、経験も必要になってきます。
もちろん心があってこそなのですが、自分の奥底にあるものに気付いておらず、それを綺麗にしていないのであれば、救われていないのは自分なわけです。
だからこそ、自分を見つめて、ドロドロとしたものを綺麗にしていく必要があるのですよね。
自分の内面にあるものを知り、それを綺麗にするために善に触れていく…。
とても単純なことなのですが、一筋縄ではいきません。
自分は良いことをしている、優しい自分だ…という思いこそが、エゴからきているものだとしたら…。
誰かを癒しているという自分でいるということで、他でもない自分自身を癒そうとしているからです。
いくら良い言葉を発しても、いくら知っているかのように見せても…。
その行為こそが逆に自分のエゴを増大しているとしたら…。
先日の勉強会の仏教編で、ちょうどそんなことをお伝えさせて頂きました。
私自身、松井さんに会うまでは、自分の内面のドロドロした部分を見つめる意識を持ったこともありませんし、何より自分で気付くことはありませんでした。
自分の事が見えていると思っている人ほど見えておらず、いざという時に出てくるものなんです。
心の学びというものを、見かけだけでは無く、心の底から求めて真摯に受け止めて実践していってみて下さい。
まず一年やってみると、一年前とは違う自分でいられることに気付くはずです。
もう一年、もう一年…と、継続してやっていく学びですが、何十年か経った頃、新たに見える世界があるのではないかなぁ…と思います。
心の勉強会に参加したりっちゃんが、こんな記事を書いてくれておりました。
最初は何を言っているのかわからずとも、後から気付くものなんです。
精進を続けている人には、そういう経験が分かるようになっているものなんです。
一度や二度思っただけでは何も変わりません。
たまに学ぶだけでも意味がありません。
常に善に触れて継続していく事…。
それで初めて見えることがあるんです。
人を救う前に、まずは自分自身に、ハッキリと見える目と、力強く立って歩んで行ける足を身に付ける必要があるのだと思います。
施術も、心の学びも、何事も焦らずに…。
少しずつ前を向いて進んでいきましょう(^_-)-☆
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