- 宮本 ゆかり
- マイウェイネットワーク
- ビジネススキル講師
母親としての幸せ
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2009-11-28 07:16
紹興は、上海から列車で3時間ほど離れたところですが、上海とは別世界の田舎です。
主人の両親は二人暮らしをしているのですが、そこは今にも崩れそうな、おんぼろアパート。
薄汚れた階段を4階まで上り、錆びた鉄格子のついた扉を開けると、両親が懐かしい笑顔で出迎えてくれました。
部屋の中は殺風景。
灰色のコンクリートの壁に、冷たい石の床。
昼間でも暗い室内。裸電球を1つつけても、目がチカチカするほど暗い。
部屋の中には手作りの丸い木の食卓台と椅子と、ベッドとわずかな家財道具が置かれているだけ。
初めてそこを訪れた我が家の子ども達は戸惑っていました。
「ママー、ここのうち汚い。早く帰りたい!」
そう私に耳打ちする子ども達をなだめながら、私も20年前、主人と結婚前に初めてこの家に来た時は、言葉にこそ出さなかったけど、同じことを感じたな・・・と思い出しました。
今から20年以上前、主人が日本に留学していた頃、両親に買ってあげた洗濯機は、布のカバーがかけられたまま居間に置いてありました。
電気代がもったいないからと、母は今でも洗濯物は手洗いしているのです。
コンクリートと石に囲まれた薄暗い部屋は、冬には氷が張るほど冷え込むというのに、練炭をくべた七輪だけで過ごします。
浴室などありません。
台所も、なんとか水道の蛇口が1つついているだけ。
今は昔と違って、4人の息子達も立派に所帯をもち、仕送りだってしているというのに、両親の暮らしはあの頃と何も変わっていませんでした。
唯一違ったのは、机の上にティッシュペーパーが置いてあったことぐらい。
床を張り替えるとか、壁紙を張るとか、電球を取り付けるとか・・・
今だったらそのくらいできるお金は十分あるのに・・・。
でも、両親は、子どもや孫たちのために、「無駄なお金は使いたくない」と言います。
それでも夫婦仲睦まじく肩寄せあって暮らしているのです。
これで十分幸せだといいます。
両親は文化大革命を経験し、貧乏のどん底で4人の息子を育てました。
どんなに貧しくても、人としての誇りを失わないよう、誠実と感謝をもって生きることを息子達に厳しく教えました。
息子達は、それぞれ留学し、経営者や大学教授などになりました。
それぞれの分野で貢献するよう頑張っています。
今回、両親の住むアパートに、4人の息子達(プラス嫁と孫)が集まりました。
皆、黙って両親の話に耳を傾けています。
まるで昔のままの小さな息子のように・・・。
母は苦労して、この世に宝を残してくれました。
それは、どんなキャリアウーマンが成すよりすごい“仕事”だったと思います。
母は私が一生かかってもたどりつくことができないほど、大きな愛に包まれています。