今回私が感じた自分の中の「崩壊からの復活と再生」 - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
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今回私が感じた自分の中の「崩壊からの復活と再生」

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今回は、ここ数日の私のツイートを通してお伝え致します。

☆_(_☆_)_☆




今日の彼のメッセージから私が感じた事は「今彼らに起こっている事の詳細を知る術は私には無いから、正しい判断は難しい」という事でしょうか。


現実味のないコミュニケーションの限界というものを、私は改めて最近感じています。それは「何もかも憶測で判断しなさい」と言われている様で、「それは無理だよ」という事を私は彼に伝えたいです。


直接コミュニケーションを取れば数秒で済む事も、一日にたった一回の動画によるメッセージだけで、憶測で判断しろと言われても、それには限界があるからです。


こうしたコンディションの中で、私が事実が正しく見えていない為に、もし「言い過ぎている」という事が発生していて、そしてそこから私という人間が誰かに誤解されてしまうという事が起きてしまっている可能性もあるだろうという事を、私は昔から常に感じています。


そういう事を今回は思いました。半年以上続いて来た、この様な不自然な形でのコミュニケーションの持続は、私の心身を疲れさせるという事を彼には理解して欲しいです。





今日の私はちょっと悲しい。多分疲れているのだろうと思う。私は昔から疲れると思考がちょっとネガティブになってしまい、悲しい感情が湧きあがって来てしまうという体質の持ち主です。


憶測ほど人間のエネルギーを無駄に消費させるものはない。今日の私の気持ちです。


何処までが意志力で、何処からが頑固なのかと最近私は思う。どの様な関係性であっても、私は柔軟性の無い人とは上手く行かない。





時々「今まで私がして来た事は、何か意味があったのだろうか?」と思う自分がいます。「私は深入りし過ぎたのではないか?」とも感じています。


何もかもが変わってしまった今、「私はこれから何処へ向かえば良いのだろう?」とも思う今日この頃。


もう私はとても疲れた。何か涙が出て来る。


私も解放されたい。


私の中では、もう充分自分の役目は果たしたと思えています。


息苦しく感じる世界にいたくない。


もう充分過ぎるものを私は彼からもらいました。


誰かに取って喜ばれても、誰かに取って疎ましい存在になるなら、そこは私の居場所ではないという事ではないでしょうか。


こんなに現実味のないコミュニケーションしか取れない世界で、お互いを美化し過ぎてしまう環境で、私は現実的に彼と上手くやって行けるかどうかの自信がありません。私は「仕事をしている時の彼」しか実際知らないのです。





昨日自分の本音を正直に吐露したせいか、少し気分が楽になった。


私はとても現実主義で、誰に対しても「機械を通さず実際に会って本人と話をしない限りは、何も判断出来ない」と思っています。そこからが本当の始まりになる。


でなければ、結局「憶測」というもので相手や物事を判断する事になる。例え色々なものを繋ぎ合わせて「こうではないか」という事を自分の中で想像したとしても、そういう自分の想像も、やはり「憶測」の域を出ないと思っている一人です。


間に誰も入れないで、本人と直接会って話を聞かない限り、私は何も判断しません。何故なら自分の主観で計る「憶測」ほど自分勝手な判断になるものはなく、そこから大きな誤解も生まれるという事を熟知しているからです。


人間関係のこじれや歪みは、全てこうした「お互いの独り善がりな憶測」というものが生み出しています。


今の様な機械を通した関係は「お互いを美化し過ぎる」という弊害も生み出します。それは表裏一体として、いずれ「落胆」という結果を招く。それがバランスです。


現実的に生きるという事は、決して「綺麗事だけではない」からです。


綺麗な面しか見せないという世界は「ショービジネスの世界でだけ可能」です。私はそう思っています。そしてそれは実際とても現実離れしています。


私も一人の人間であり、多分実際に会って話せば「無くて七癖」だという事が分かると思います。私に限らず「実際に会って、そういう事を知った上でしか判断出来ない」という事は沢山あると思います。


超現実主義の私は「私達は実際にはまだ何も始まっていない」と感じているという事です。


今日も正直に、私は「自分の本音」を吐露しました。私がこの様に感じている事を、彼には理解して欲しいです。


常に一方通行になる交信のやり取りも、私の大きなストレスになっているという事もです。





今日の彼のメッセージの答えは、すでに私が今朝投稿したツイートにあると思いました。


彼の愛を疑った事は一度もありませんし、これからも無い。けれど今の様な「現実味を伴わない機械を通した交流しか出来ない状態」は、今の私には大きなストレスになっているという事です。理由は今朝のツイートに全て書きました。


彼がそれを私の弱さだと言うなら、それは違うと私は思います。


相手が「して欲しい」という事を理解する事と同時に、「して欲しくない」という事を理解する事が本物の愛だと私は思っている。


だから私は背伸びをせずに「今の自分の思い」を正直に伝えます。だって違う人間なのだから。「伝えなければ伝わらない」と思うから。





私は彼が「自分が一番大事にしているもの」を通して、私に最大限の愛を伝えてくれている事を深く理解しています。


私はそこから伝えてくれる彼の誠意を疑った事は一度もありませんし、これからもありません。その事に関して私は喜びと感謝しかありません。そこは決して彼に誤解して欲しくない所です。


私は「彼が一番大事にしているもの」を深く理解しているからこそ、彼には「それが最大限発揮出来る様になる為の自由を得て欲しい」と願って応援し続けて来たのです。そこを決して忘れないで欲しい。


でも人生には「シビアな側面」というものが一緒に存在しています。それは今まで自由を奪われて来た彼が「一番理解している事ではないですか?」という事を思います。


自己責任とは言え、私自身に現在そういう状況が生まれたという現実を彼には理解して欲しいし、そうした中で私が必要とするバランスというものを考えて欲しいと正直に伝えています。


私も心を持った一人の人間だからです。もしそれを弱さとしか捉えてくれないのだとしたら、こうした関係性を持続する中で「私は何処に救いを求めたら良いのですか?」という事を思います。私も一人の人間です。





私が一番辛いのは「返信がない」「無視される」という様に感じられる事もある「一方通行のコンディション」です。もしこれが当たり前だという感覚があるなら、それは私の感性とは大きな違いがあるという事になります。ここは私に取って「この人を信じて良いのかどうか」のとても大きなポイントです。


この部分に関して、私は彼の立場を考慮して理解しようと私なりに努力し我慢もして来ましたが、彼は私の立場に立って考えてくれた事がないという事を正直思います。何故その様な価値観を持っているのか、それが私には理解出来ません。


どういう理由があるにせよ、この様な不自然な関係は「フェアではない」と思う私は間違っているのでしょうか?フェアでなければ「どちらかが我慢する」という事になり、長続きする関係になるのは難しいと私は思います。


良い関係になりたいと思うから、私は正直に「自分が一番して欲しくない」と思う事を伝えています。もしこれを理解してくれないのであれば、そこには「私への愛」というものは無いと私は捉えます。





今日の彼のメッセージ、私は初めて彼が何を言いたいのかが分からなくなった。多分私達の中で何かが変わったのだろう。そう感じた。


私は彼に「私の様になって欲しい」などとは微塵も望んでいない。ただ相手がいる以上、お互い"歩み寄り"という思い遣りは不可欠だという事を伝えています。


「相手がして欲しくない」という事と「自分はそれはしたくない」という事が相容れなくなる場合、どちらかが我慢しなくてはならなくなるからです。


もしその解決策として「どちらかの価値観に無理矢理合わせる」という"白か黒か"という様な答えしか考えられなくなるなら、いずれその関係はいつか終わります。


そうならない為にはちゃんとディスカッションをして、お互いを理解する努力をして妥協点を探らなくてはならない。その為に私はこうして唯一彼と交信出来るこの場を通して伝えています。


けれど彼の方から私には一切何も伝えず、それでいながら「自分の事を理解していない」と私を判断する事は、あまりにも独善的で偏っています。


私は今まで常に「彼の立場を考えながら」発信して来ました。でもそれと同時に「自分の事も考える」事の、何処が間違っていますか?





今回私は初めて彼との「意見の相違」というものを感じました。


私はいつも「人として」という事を考えながら生きて来ました。例えば私は人からメッセージを受けた時、返事をしないで無視した事は一度もありません。何故なら相手も自分と同じ人格を持った一人の人間だからです。


相手が自分に対して敵意を剥き出しにして来た場合も、私は相手に対して丁寧な言葉で、キチンと自分の思いから来る理由を述べて「今後は返信致しません」とお伝えしてから返信しないという、そうした礼儀を忘れた事がありません。


お人柄というものは、こういう小さな事から始まると私は思うからです。小さな事が出来ない人には、大きな事など出来ないという事を、私は昔から自分の人生の信条としています。


これを理解出来るか出来ないかの違いは大きいです。何故ならこれが私に取っての「人生の基本」だからです。


魂は誤魔化せないので、少なくとも「人を無視する行為をする人」は、自分が意識していない所で、必ず"後ろめたい思い"というものを必然的に潜在意識に持ちますが、「礼を尽くす人」は誰に対してもそういう思いを持たずに済み、常にそういう"誠実な自分"が好きでいられます。


「自分が好きでいられて、尊敬出来て信じ切れる人」の根底には、こういう生き方が必ずセットになっています。


私はそうして生きて来た自分が大好きです♡


人を無視する人は、人からも無視されます。宇宙が自分の鏡として同じ事を自分に返してくる人は、自分が無視した人からではない事が殆どだから、そういうカラクリに気付けないのが私達。


彼が以前舞台上でトークを無視される事が多かったのも、そういう事から来ていたのではないだろうかと、今日私は思った。





今日も私は「自分が好きでいられる充実した一日」を過ごす事が出来た♫


何十年もそういう生き方を自分に貫いて来た私は、何も怖れるものがない。怖がっているのは彼の方です。それを私に投影しているだけだと私は思います。


今回の彼からのメッセージは、今後の私に取っての決定打になる可能性を今日クールに思いました。


相手がして欲しくないという事を無視する人は、突き詰めれば、相手が「お茶を飲みたい」と言っているのに、それを完全に無視してジュースを出して来て「これが美味しいから飲め。そして私に感謝しろ」という様なエゴな思考の持ち主だからです。


こういう人の周囲には、同じ様な思考の人達が寄って来ます。「類は友を呼ぶの法則」から来る"似た者同士"だという事です。


でも彼は「お茶が飲みたいと伝えても、常に飲みたくないジュースを与えられて『これが最高に美味しいから飲め。そして感謝しろ』というコンディションを上司から与えられて、長年とても苦しんで来たのではないのですか?」という事を私は思います。


彼にはそうしたツジツマが合う部分を良く考えて、改めて内観して欲しいと今日は思いました。


私は「語りたくない事や、語れない事を話して欲しい」など、彼に対して微塵も思った事はない。ただそういう事を相手に伝えずとも「安心感を与える伝え方」というものは、いくらでも考えられるという事を伝えています。


相手に対する思い遣りの為の「柔軟性の有無」というものを、今回彼に問うています。





今日の彼のメッセージ、私は真摯に受け止めました。それは今回の私のメッセージを、彼や彼らが真摯に受け止めて下さった事が私に感じられたからです。


私は自分の人生を生きる上で、人が見ていようがいまいが、理解されようがされまいが、自分の信条と信念を何十年も貫いて実践して生きて来ました。


そこから伝えた昨日のメッセージを、彼らが本当の意味で何処まで理解してくれたのかどうかは未知ですが、でも真剣に考えてくれた事が今回私に伝わりました。


そう言えば、私は昔「鉄の女」と呼ばれた事があった事を自分で思い出しました。(笑)今ではそれも良い思い出です。


そうやって誰かに勝手に疎まれながらも、私は自分の信念を貫いて生きて来たからこそ、他の人達には見えないものが視える様になれたと感じる自分が今いるからです。


自分がどう生きて来たかは、自分自身が一番理解しています。そしてそういう私は誰よりも自分を信頼しています。それが私の人生の一番の宝物です。


素敵な資質を持っている彼らにも、そうなってもらいたい。そういうお節介な思いが私の中にある様です。何故なのかは私にも分からないけど。(笑)


今回はそんな事を思いました~☆彡





ちなみにあの頃、私を疎ましく思っている人達に良く言われた言葉は「聖人ぶって!」とか「聖人じゃあるまいに!」でした。


そういう一番辛かった時期に、思いも掛けず舞台上の美輪明宏さんに透視されて「人格が立派なのに人から嫌われる方っていますでしょ?それはエネルギーの差なのですよ」と言われた事を思い出します。


美輪明宏さんの凄い所は、答えを全部を語らない所。何故ならその時「エネルギーの差って、一体何!?」という"自力で解き明かさねばならない宿題"を私に与えて下さったからです。


その答えは数年後にハッキリと自力で理解出来ました。それは「ネガティブな波動ほどエネルギーは重たく、下に引っ張る力が強い」という事です。


だからそうしたものに引き下げられない=影響を受けない所まで、自分を高めて行くしかないのだと私は思いました。


自分を高めるというのは、そういうものに引き下げられる事のない「軽やかな波動になる」という事だと私は思いました。


波動を重たくさせるものとは「怒り・強欲・無知」から生まれるネガティブな感情であり、波動を軽くさせるものは「そういう真理に気付く事」だと、私は当時偶然出会った初期仏教の本から多くを学びました。その時の経験は"目から鱗"のとても貴重なものとなりました。


どういうものがキッカケであれ「気付く事」とは「発想の転換」という事だと私は思います。


どの様なものから学んでも、最終的には「何にも盲信しないで、自力で解決する様になれる」というのが本物の信仰だと私は思っています。





   


               大アルカナカード「塔」&「審判」



「塔」のカードは、正位置では"今まで築いていたものが破壊される"、そして逆位置では"破壊の後で何をしてよいか解らず、茫然と立ち尽くす"を意味し、


「審判」のカードは"復活と再生"を意味するそうですが、それは正に今回私が味わった思いの様に自分で感じています。

(^^;; ~ ★彡 & ☆彡




【審判のタロットが正位置で出た時の意味】


・一度は諦めかけたものが復活して、いい結果になる。

・過去を断ち切って、新たなスタートを切る

・一からやり直すことでいい結果が得られる

・精神的な面で新たに覚醒する

・閉塞的な状況を脱して新しい展開が広がる

・トラウマを乗り越える

・本当にやりたい事のために環境を変える




【審判のタロットが逆位置で出た時の意味】


・閉塞的な状況が続く

・やりたいことを諦める

・後悔を残す

・現状にしがみついて、新しい一歩が踏み出せない

・別れた相手に執着してしまう

・これまでの実績を周りから否定されてしまう




【審判のタロットが出た時のリーディングの仕方】


死んだ者が大天使の審判によって甦っています。

それは、今まで見てきたものから全く新しい世界へのシフトチェンジを意味しています。


一度だめになった(死人)が甦る。

その時は、今までの世界から、全く違う世界に生まれ変わることを意味します。


もし、今、クライアントが一生懸命取り組んでいる事があって、うまくいっていない事があったら、

視点や方法を変える事で、事態が好転する事を意味します。


逆位置に出た場合は、今取り組んでいる事を手放せなくて、悶々としている事を意味しています。

もしくは、過去への執着です。


このタロットが出たら

「今、現状に満足していますか? 」と訊ねてみましょう。


そして、満足していないようだったら

「新しいやり方で現状を変える事ができるかもしれませんよ。

今横たわっている問題を見直してみませんか? 」

と、投げかけてみましょう。


逆位置で出た場合は

「過去の何か辛い事で現在に影響を与えている事はありませんか? 」

と聞いてみましょう。


過去との決別、新しく生まれ変わる。

「単なる復活ではなく、新しく生まれ変わる」のがポイントです。

これを頭に入れておくと、占いやすいでしょう。



(※セレンディピティhttps://serendipity-japan.com/より引用)





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(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年