人間は数字(時間・お金)に追われるほど、情緒を失い気を病んで行く - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
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対象:文化・芸術

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人間は数字(時間・お金)に追われるほど、情緒を失い気を病んで行く

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何だか今年の私は、変化の著しい年回りの様で、次から次へと貴重な経験をさせて頂いている感じなのですが、今又新たに大きな変化が自分に訪れようとしています♪

(^^✿

 

そういう中で、それぞれの人間が持つ能力や、その生かし方というものに付いて、改めて考えさせられる事が最近私は多くなっていて、また「働く」という事への意義に付いても、以前よりもより深く考える様になりました。

( ・・) ~ ☆彡

 

 

 

世の中には本当に沢山の職種というものがあり、だからこそ自分の持っている能力をそれぞれに生かせる場を私達は選んでもいるし、与えてもらってもいる訳ですが、

 

一番大事なのは、その自分が選んだ職種が「自分が人生に対して持つポリシーや美意識」と合っているかどうかというのが、人間の幸せに取ってはとても大きいウエイトを占めていると私は思います。

 

何故なら、働く方も、働き手を雇う方も、その根に有る「それを始めた動機」という"根"、或いは"種子"から育って行くものが、結果その職場に於いての「意義」や「価値観」というものに繋がって行くからです。

( ・・) ~ ☆彡

 

 

 

人間の仕事というのは、「人から必要とされている」という事が動機であったり、「人に喜んでもらいたい」というものが動機であったりする訳ですが、

 

例えばそれが私達が最低限"人間らしい健康で衛生的な生活"ができる為の必要不可欠な仕事(※農業や病院、インフラ含めた衣食住を満たす仕事)」というものを選ばれている方もいれば、

 

そういうものが満たされた後の"人の欲求(※グルメや娯楽・趣味・贅沢含む)に応える為の仕事"に就いて、「人を楽しませる事」や「人に喜んでもらう事」をお金に換えるというご商売を選ばれているというケースも沢山ある事でしょう。

 

 

 

ちなみに人間の幸せというものは、究極は「自分が誰かの役に立っている」という喜びを感じられる事にあると私は思うのですが、

 

この「誰かを喜ばせる」「誰かを楽しませる」というものは、特に人間の欲望を刺激する様なものである場合は、その思いとは裏腹に多くの人間に対して不幸を生んでしまうという事もあるので、少々複雑な面があります。

 

故に自分では「人様に喜ばれる仕事」と思っていても、場合によってはそれが「自覚のない不徳に繋がる行為=その仕事をする事で不徳を積む事になり、結果自分の幸せを得られない」と成ってしまっているという事もある…という事ですね。

(^^;

 

 

 

例えば食品を美味しく見せる為の着色料や、持ちを良くする為の防腐剤、味を良くする為に開発された不自然な化学調味料などは、人に喜んでもらいたくて生まれた産物なのでしょうか?

 

それとも「健康には悪い」と知っているけれど(※或いはそういう事すら考えないという無知な方も、中には沢山いらっしゃる事でしょう)、会社や個人の「売り上げ」の為に使用するのでしょうか?

 

又コンビニや飲食店などで、多くの利益を上げる為に、逆に大量の食材や食品を廃棄処分にしているという事実がこの日本にはありますが、そういう無駄を生む、云わば"動植物の過剰な殺生"にも通じている「食」って、本当に人を幸せにしているのでしょうか?

(-_-;)

 

こういったものへの真実を学んで事実を知るという事は、自分のしている仕事が「本当に人々を幸せにしたり、健康にしているのか?」「喜ばれる事をしているのか?」という、

 

つまり自分以外の多くの方達も含めた「自分の幸せ」を左右する為の徳・不徳に、自動的に繋がる大事な事にもなる訳ですし、

 

やはり自分の生き方にどういうポリシーを持っているのか、又人としてどういう美意識を持っているのかという事や、そういう知識に対して無知かどうかという事が、

 

「自分はどういう仕事を選ぶのか?」「自分はどういう仕事ならば、喜びや遣り甲斐を見出す事ができるのか?」というものに大きく影響する訳ですし、又枝分かれして行くものなのでありましょう。

( ・・) ~ ☆彡 or ★彡 

 

 

 

ちなみに同じ仕事をしていても、精神が健全に保てている方とそうでない方というのは、どの様な職場にもいらっしゃる様にお見受け致しますが、その傾向や割り合いなどを観させて頂く事で「視えて来るもの」が私にはありますね~。

 

やはり自分が「そこで働く"動機"が何であるのか?」という事を、自分でキチンと分析して知る事は、自分の心の健康を自分で守る事でもありますし、故に自分の幸せの為にはとても大事な事であり、

 

それと共に、自分が働く組織や会社の歴史から来る"その根から生まれる価値観"というものを知るという事も、自分の幸せの為にはとても大事な事であるのだな~と、私はつくづく思います。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

 

 

何故なら、そうした動機=根=価値観というものから、その組織や会社などの体質というものが出来上がって来る訳ですからね~。

 

ですので同じ職種であっても、それぞれのそうした"根"から育った体質により、そこが「健全な精神で働ける環境を生んでいるか否か」というものが、因果の法則により必然的に決まって参りますし、

 

故にその"根"によっては、人間として大事なものが失われてしまう場所にも成り得るという事でもあると思いますから、決して侮れない視点ではないかと私は思います。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

これは私の眼ですが…。

 

どの様な職種でも、絶えず時間に追われ、売り上げを常に伸ばす事を要求される"数字に追われ続ける環境"にある職場というのは、毎日毎日が戦場の様なものですから、当然人の心は荒んで行きます。

 

故にそうした波動の低く重たい職場では、人の心は疲弊して行き、必然的に物や人を丁寧に扱うとか、常に場を清潔に保つという事が難しく成って行くのは必然で(そういうものを保つ忍耐力とか集中力、そして体力が維持できなくなるからです)、

 

故に心も行動も荒っぽくなり、人によっては知性を欠く様な無駄な興奮状態で仕事をしていたり、まるで常に怒りと共に仕事をしているかの様な(※私からしたら「自分は幸せではない」という事を、自ら暴露されている様な)状態に陥って仕事をされている方も多く、

 

人としての成熟度が浅い人間が多いほど、そのストレスから物や人に当たったりする野蛮な行為をされる人も多くなり、

 

それがエスカレートすると、自分が気に入らない者に対しての差別や、言葉の暴力含む「陰湿で執拗な嫌がらせ等を含むパワハラ」という行為に繋がって行く方達が多くなって行くのも当然という気が私は致します。

 

そういう現場では、丁寧さ(心)よりもスピードが重視される様にもなりますから、どうしても「機械的」に早く仕事をこなす人が重宝される様になりますが、

 

そうした常に時間との戦いという余裕のない職場で、毎日毎日売り上げを伸ばす為に、働き手には機械的なスピードが要求され、

 

そうして絶えず時間に追われる作業に毎日毎回携わる事で、自分でも気付かずに"人としての大事なもの"が徐々に損なわれて行ってしまう事に繋がってしまうのは必至です。

 

何故ならそういう環境に置かれた人間は、人として一番大事である温かなハートを生み出す"情緒"や"繊細さ"が失われてしまうからなのです。

(^^;(^^;;(^^;;;

 

 

 

そういうものを排除するかの様なゆとりの無さを生む、まるで「数字を生み出す為の生きるマシーン」であればあるほど良いとされる様な環境からは、必然的に人間らしい優しさが育まれる事は非常に難しくなりますから、

 

そういう職場では「仕事ができる方ほど性格が歪んで来る」という現象が多く見受けられる様に成ってしまうのも、実は私達が「心を持った人間」であるからこそ生まれる自然の理なのですね。

 

心を持った人間という生きものは、愛という情緒的なものから離れてしまえば、いつの間にか自分や他人に対しての繊細な優しさを失って行くのは当然で、そこから気を病んで行ってしまう様な人間が増えてしまうのも、私からしたら当然だという事ですね。

(・。・; 

 

 

今の時代は「何でもインスタントに手に入れる」という時代でもある為、時間&売り上げという数字に絶えず追われる職種も、当然需要に比例して増えている訳ですが、

 

それと共に「人として大事なものが失われてしまっている時代」であるとも言えるのかもしれません。

 

どの様な職種であっても、私はその職場が持っている成り立ち=根、そしてそれを始めた動機から生まれて来る価値観や人としての美意識というものが、そこに携わる人間の幸せに大きく関わって来ると思う人間ですので、 

 

「そういう人間らしい情緒に欠けた存在を多く生んでしまう職種や職場って、一体何なのだろう?」「結果的に"お客様の為"と称して、人によっては気が病むほどまでに従業員を幸せにしない組織や会社って何?」という疑問が頭をもたげてしまい、

 

「これって本質的な所で、人を本当に幸せにしているのだろうか?」と、とてもクールに観察してしまうのですが、間違いなく言えるのは、こうした風潮を生んでいるのは、組織や会社の持つ歴史から育まれた理念や慣習からという事でしょうか。

 

ですので、やはりそういう環境に長くいれる人達というのは、或る意味無神経で図太い神経を持った方達でないと務まらないという側面を持つ事は、正直否めませんし、

 

又そういう方達の多くは、その様な歪んだ環境を「そういうもの」として疑う事なく、自分が上司や先輩から教わったスタイルを良しとして引き継ぐ方達でもありますから、

 

当然その方達は、自分の上司や先輩の持つ価値観が正しいと判断するのは必然な訳で、

 

そうして嫌がらせやパワハラが起きていても、その事実に気付かない、或いは知っていながら容認する、或いはそういう事に対して何も感じないという無関心、或いは自分の保身の為に"見て見ぬ振りをする"という人間が増えるのも必然であり、

 

もっと酷くなると、自分の事は棚の上で、後出しジャンケンの用法を用いて「被害者を加害者に仕立て上げる」という実に汚い言動に及ばれる強者もおられます。

 

そしてそういう「歪んだ環境が当たり前」という不健全な職場からは、「異様なまでの陰湿な隠蔽体質」というものを生み出して行くのは当然で、

 

故にそういう悪しき慣習が受け継がれて行く土壌というものを、絶えず維持しているという構図が出来上がっているという事ですね~。

(◎_◎;)

 

 

 

でも実はそういう「"臭いものには蓋"的に隠したい恥部」というものは、いくら巧妙に隠そうとしても、必ずどこからか漏れ伝わってしまうものであるらしく、

 

故に隠した所で、話さなくてもすでに周りの多くの人間には知れ渡ってしまっているという事実がある様なのですが、

 

そういう職場では"井の中の蛙"状態で働いている方達が多い分、そういう現実には疎い方達が多いというのも実に面白い現象でございます。

\(◎o◎)/!

 

 

 

ちなみにそういう職場を拝見していると、人としてまともな感覚を持った方達は、そういう嫌がらせやパワハラが横行する様な不健全な職場からは、皆自分の幸せの為に(※これは全ての人間に与えられた権利です)離れて行く為、

 

結局そういう悪しき慣習を良しとする古い方達や、それに染まる事のできる感性を持った者達で支えて行く形になる訳ですが、

 

永遠に変わらないものなど一つも無いこの宇宙ですので、その現在根付いている"因"というものが、果たしてどの様な"果"に繋がって行くのかという事は、天のみぞ知るという所でしょうか。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡 

 

 

 

 

 

種の中には、それがどの様に成長し育って行くかというものが予め決められており、完璧にプログラミングされています。

 

だからカボチャの種を蒔いたのに、トマトが育つという事はないですし、ひまわりの種を蒔いたのにコスモスが咲くという事もない訳で、

 

それは私達人間がそれぞれ持つ"種"にも、同じ事が言えるのかもしれません。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

ですので、生まれ持った自分の中の種子により、 それぞれの人が良しとしたり、各々に向く職種というものも違って来るのは当然だと私は思います。

 

でも自分が当たり前と思っている、その自分の選んだ仕事の持つ価値観は「一体どこから生まれて来るものなのか?」という根を知るという事は、自分の幸せの為にはとても大事であると私は思います。

( ・・) ~ ♡

 

 

 

例えば私の場合、人間の果てしない欲望というものを刺激するといったものに携わる職業は、私向きではなく、自分を幸せにはしないという事があります。

 

例えば美食を好み、それが人間の特許と謂わんばかりに自分の欲望に任せて、その欲求を満たす過度なグルメ三昧を続けた結果、

 

年齢を重ねた時に栄養過多による内臓の疲弊から、難病含む大病をされる方というのを身近に何人も見て来たという事が私にはありますから、

 

そういう欲望を過度に刺激する様なものを提供する職種には、私は誇りや喜びというものを感じられない体質というものが根にあるのでしょう。

 

つまり私に取っての"食"への価値観とはグルメではなく、心身共に健康を維持できる"医食同源"である方が大きいという事ですね♪

(*^^*) ~ ♫

 

勿論、人間の幸せを感じるものの中に、"食"というものは大きなウエイトを占めているので、全てがダメという訳ではなく、やはりバランスの問題だと思いますが…。

(・・;)

 

 

 

ですので、当然人間らしい心を失って行く様な「数字に追われる職業」というものも私には向きません。そういうものに自分の人生の価値を私は置けないからです。

 

大量生産になればなるほど、人は大事な何かを失って行く事にもなりますから(※それがバランス)、私にはどの様なものであれ、「人の心に寄り添い、丁寧に心を込められる仕事」というものの方が向いていますし、

 

そういう仕事に携われる事が、自分の幸せに通じているのは明白です。

(^^✿

 

 

 

これは、私が元から生まれ持っている種子から来ている感覚という事を自分で自覚しますが、それは私が人の心を豊かにする芸術というものに携われた人生から育った部分は非常に大きいと自負致しますし、又それを自分の誇りにも感じています♡

 

何故なら本物の芸術というものを深く理解し、それに長年携わり、一つの道を極める事から得らえる恩恵というのは計り知れないものがあり、

 

故にそういう職種に携わる事から得られた叡智というものは、どの様な場所でも場面でも生かす事ができるという事にも繋がっており、

 

何より「自分の魂を清らかに、心の健康を保つ」という、私達人間の幸せの為に不可欠なものを見失う事なく、今日まで生きて来られた事への感謝が私の中に在るのです~☆彡

(*^^*) ~ ♡

 

 

 

そして私は自分の人生を"生き切る為"に、常に「自分を幸せにする為の選択」を、自己責任でし続けられる権利と自由に恵まれている事に対して、

 

そしてどの様な経験にも意味があり、全てが自分の魂を磨くものにできる叡智を授かった事にも、深く感謝しております。

 

又自分の努力で、そういう希望を常に叶えられる力を持てた今の自分に対しても本当に感謝ですし、又見えない所で私を見守り続けて下さっている多くの守護的存在に対しても、私は心から感謝しています♡

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

 

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(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年