何故芸術大国では、肉体を使って表現する芸術全てに「クラシックバレエのメソッド」を重視するのか? - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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対象:文化・芸術

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何故芸術大国では、肉体を使って表現する芸術全てに「クラシックバレエのメソッド」を重視するのか?

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今回のコラムですが…。

 

特に"芸術後進国"とも言われる現在のこの日本に於いて、多くの方が(※時に専門家と言われている方でさえ)非常に浅くしか理解されておられないと感じる事の多い「本物のクラシックバレエ」というものに対しての理解を深めて頂く為に、私はここで今回改めてその専門家として、様々な方向からお話しをさせて頂こうと思います。

☆_(_☆_)_☆

 

…と言うのは、「久し振りに舞台に立つ事になりました♡」でお伝えさせて頂いた様に、現在私は2週間後に演劇の舞台本番を控える中、それに関わる全ての方達を通し、改めて自分の中に培って来た「舞台芸術」というものに対する価値観やものの観方を、必然的に再確認させて頂く事が増えているからです。

( ・・) ~ ☆彡

 

これからお話しさせて頂く事は、芸術をこよなく愛するヨーロッパやロシアなどの芸術大国(※これは一般市民の方達でも芸術に対して非常に造詣の深い方達が多い国という事でもあります)では、専門家の方達は勿論、多くの一般の方達でさえ常識となっている事なのですが、

 

芸術に疎い方が多い今の日本では、時に専門家でさえあまり認知していない事かもしれないと私は感じる事が多いのです。

 

芸術大国と言われる国々では、肉体を表現のツールとする全ての芸術(オペラ・演劇・新体操・フィギュアスケート・シンクロナイズドスイミング等々)の基礎には、必ずクラシックバレエの本格的な基礎を一番最初に身に付けさせますが、これは日本で良くある様な「"なんちゃってバレエ"を適当に何となく、片手間に付け焼刃で取り入れる」という様な低い意識からではないのです。

 

それは何故かと言うと、彼らはどの様な分野でも"肉体を使う洗練された芸術"というものは、結局最終的には「クラシックバレエの素養」というものが必然的に自然に不可欠になってしまうという事を知っているのです。

 

だから本物の芸術家を目指す者達の為に、"遠回りになってしまう"という無駄がない様に、「最初から基礎の一部としてバレエを取り入れる」というシステムを、賢く彼らの文化は作ったのです。

 

そしてこの基盤を持つが故に、彼らの国は世界的な規模で「常に洗練された格式の高い芸術を生み出す"芸術大国"」と言われる所以になっているというのは、間違いない事実なのです。

 

(特にロシアなどでは、まず最初にバレエを通しての生徒達の素材=骨格や筋肉の質や性格などを一人一人見極めて、優秀な目利きを持った教師陣が「この子はバレエ向き」「この子は体操向き」「この子はスケート向き」などと選別し、生徒達に取って最善の道を示すと言われています)

 

これは彼らが、"芸術"というものを極めて来た長い歴史と経験から、それを謙虚に深く理解するが故に、バレエの専門家ではなくても「クラシックバレエ」という芸術を深く理解し、敬意を持っているという事でもあります。

 

彼らの国では、国立の専門学校としての役割を果たす色々な分野(バレエ・オペラ・演劇・新体操・フィギュアスケート等)の学校が在るのですが、そのカリキュラムの中には必修科目として、バレエの授業が必ず最初から本格的に同時に取り入れられています。

 

何故ならそれは、人間の肉体や所作というのは"生まれたまま"というだけでは決して「人様に見せる為の高尚な芸術」には成り得ないという事を彼らが深く理解しているからであり、

 

故に人間を芸術品として考えた時に、そのツールを一番洗練させた状態で美しく見せるクラシックバレエのメソッド(基礎・基盤)を素養として"自然に身に付けさせる"事の重要性を、彼らはプロフェッショナルとして熟知しているからなのです。

 

バレエのメソッドというものの中には、長年の歴史の中で考え尽くされた完璧な「人に見せる為の(肉体をツールとする)芸術の為の、シンプル且つ洗練された手法」というのものが様々極められているからです。

 

ここで皆様に深くご理解頂く為に知っておいて頂きたい事は、プロフェッショナルとして「人に見せる為の芸術」というものに携わる人間には、その表現のツールとしての肉体を洗練させる為に、絶対に"必要不可欠なもの"が存在するという視野です。

 

ちなみにバレエというものを特に学ばなくても、中には自分の得意とする専門分野で、無意識に「バレエ的要素」というものを、その姿勢や所作の中に自然に身に付けてしまうという方も稀におりますが、これはご本人の「持って生まれたセンス」や「基本的な姿勢の良さ」というものが大きいですね。

 

でもその洗練されたものは、誰がどの様に解釈されようと、例えご本人が否定されようとも、結局は「バレエ的な洗練された美である」という事に結び付いてしまうのです。(人間の姿や所作が一番美しくカッコ良く見える時は、必ずバレエ的な型や姿勢や動きに否応なく成っているという事です)

 

長い年月をかけて洗練され続け、一切無駄なものが削ぎ落とされ、足す事も引く事もできないまでに完璧に磨き上げられ完成された芸術であるクラシックバレエの基礎(メソッド)は、それが芸術として本物であるからこそ、こうして古典芸術として長年人々に愛され続け、受け継がれる存在に成っている訳です。

 

訓練を通してその基本的なバレエの姿勢や動きを自然に体の中に持てた人は、演じる時にそれを忘れて「型を外して崩しても、(つまり何をしても)美しい」という芸術的所作を、自分で自由自在に操る事ができるのです。

 

芸術後進国である日本では、「クラシックバレエ」というものを深く理解された方というのは、残念ながら専門的にその道を歩まれている方達の中でさえも、正直非常に少ないというのが事実であり現実です。

 

どの様なものでもそうですが、何か肉体を使って本物と言われるものを習得するまでには、人間は長い長い時間を掛けて鍛錬・修練・精進致します。(日本で言えば日本舞踊や歌舞伎や能、相撲もそうですし、茶道や剣道や柔道なども全てそうです)

 

これはどこの国であってもそうなのですが、バレエダンサーというのは世界中どこの国に於いても、多くの方が何故「一目置く様な憧れの存在」や「特別視されてしまう様な存在」になってしまうのでしょうか?というのを、歪みのない眼で素直に真っ直ぐ観てみて下さい。

 

「バレエには興味がなく好きでもない」という様な方達に取っても、何故だか"特別な存在"というイメージになってしまうというこの現象は、一体何から来ているのか?という所を、穿った目を持たず素直に真っ直ぐご覧になって欲しいのです。

 

そして私の様に、現役を引退した時点から「バレリーナとして見て欲しくない」という様な感覚を持つ超現実的な人間に対しても、他人は「元プロバレリーナ」であるというだけで、私の踊りを見た事がない初対面の方達でさえ、本人が望んでいなくても羨望と尊敬の念を送って下さるという現実があります。

 

クラシックバレエダンサーというものが、多くの方達に取って何か「特別な存在」になってしまうとしたら、それはバレエというものを極めるという事が、必然的に「人間の肉体を一番美しくカッコ良く見せる術」に成っているという事と同時に、自然に人間の内面=知性と霊性が磨かれて行くという事が一番大きいのではないかと、最近私は改めて自覚するのです。

 

何故なら「バレエ」というものは舞踊であると同時に、舞台装置(絵画にも通じる)・照明・音楽・演技(人間の心理学含む)・衣裳(時代考証・デザイン・色彩感覚)・歴史(時代背景)等、全てが揃っての総合芸術であり、良質な本格的な舞台を創るには、そのどれも疎かにできないという多分野に渡る芸術になっているからであり、

 

本物の教育を受けたプロのバレエダンサーは、舞踊以外にも必然的に沢山の事が勉強できる機会が増える分、非常に知性的な方が多いからです。(※真に知性的であるというのは、踊るという感覚的(動物的・本能的)な部分=右脳と、知性(知識・叡智)=左脳のバランスが取れた成熟した人間を指します)

 

故に芸術先進国である国々では、バレエは「最高峰の芸術」として位置付けられており、又これは向こうでは一般市民の方達でも常識となっている事なのですが、それには次の様な理由があります。

 

「クラシックバレエダンサーはモダンやコンテンポラリー、ジャズやヒップホップ、ソシアルダンス・ベリーダンスなどのプロのダンサーになる事や、俳優・女優を目指す事も可能だが、逆はない」という事実です。

 

これは「クラシックバレエほど上品(じょうぼん)で洗練された芸術は他にはない」という事であり、故に「その格式・素養(型=スタイル)を身に付けた者は、他の分野に於いても強みになる」という事でもあります。

 

(※でもこれは「全てのバレエダンサーが、他の分野全ての才能を授かる」という事とは違います。どの分野でもバレエ以外の専門的な訓練が必要ですし、何よりその分野に於ける持って生まれたセンス(感覚)というものが重要です。

 

例えば踊りでは優れた感覚を持っていても、歌わせると音痴なダンサーもおりますし、言葉を発する演技になると(※バレエは身体で感情を表現する芸術なので言葉を必要としない)、センスのない下手な演技者になるダンサーも沢山おります。笑)

 

何故それが「強み」になるのかと申しますと、それはその様なものを身に付けた洗練された人間は、それらを全て取り外し崩して、「汚い」「醜い」「カッコ悪い」「土臭い」「狂人」などという汚れ役や壊れた役を無意識に演じた時にも、決して「下品(げぼん)」に堕ちるという事がなく、

 

「汚くても美しい」という高度な"芸術"を伝える事ができるからです。(※この「汚くても美しい」という領域に高められる方というのは、ある種の厳しい訓練を受けた高い霊性を持った人間でないとできない芸であると言われています)

 

ですが、中にはこういう事を意識し過ぎて「お高く止まる」様なつまらないクラシックバレエダンサーも、特に日本には多く、私は昔からそういう視野の狭い人間には正直魅力を感じない質なのですが、

 

そういう方達というのは、逆に「クラシックバレエしかした事がない」「クラシックバレエ以外に興味がない」といった、つまりは視野が狭く経験が浅い頭の固い教師やバレエダンサーに多い様に思います。

 

幸い私自身は現役の時から頭には柔軟性があり、故にバレエ以外の他の芸術にも色々興味を持ちましたし、ジャンル問わず本物であれば「良いものは良い」「カッコいい」「美しい」と感じますし、又「どの分野であっても、道を極めれば最高峰の芸術に高める事ができる」という視野を持っておりました。

 

故に他の舞踊にも色々興味を持ち、コンテンポラリーの舞台に立った経験も何度かありますし、ジャズダンスの教室に通わせて頂いたという様な経験もありました。

 

そしてその時に気付いた事は「他の分野のダンスを踊る事で、それぞれのダンスが持つバレエとは違った美学(型・手法)を"体感"からも理解できた」という事でした。

 

本物の芸術家と呼ばれるプロフェッショナルなバレエダンサーというのは、普通の人とは何か違うオーラを持っていると感じられる事が多い様で、多くの方達から羨望や嫉妬の的になるという事が大変多い様ですが、その理由は「長い年数を掛けて心身共に磨き上げる、まるで修行僧の様な厳しい鍛錬と精進」から得られるものだからなのでしょう。

 

つまりそれは決して「ぬるま湯の中で生きている様な人」や、「生まれたまま=努力を怠り怠惰に生きている人間」では決して得る事のできない独特な"高尚で美しいオーラ"という事であり、

 

そういうものを彼らは「バレエ」という芸術を通し、長年の自分の精進努力から自然に纏ってしまう=授かってしまった事から生まれる現象なのでありましょう。

 

それは「バレエを離れ、例え無意識であっても、長い年月の間に培われた所作が自然に体に馴染み染み込んでいる」という、云わば"第二の天性"にまで高めてしまった専門家が持ってしまうオーラであり、

 

故にクラシックバレエのメソッドを全て取り外し、例え下品な表現をしたとしても、決して「品格」「風格」が損なわれる事がない「上質な芸術」としてのツールになるという事であり、

 

強いてはそれは演者の「華」や「存在感」というものにも繋がって行くものなのだと、私は最近"演劇"というものを通し勉強させて頂く中で、改めて再認識させて頂いている所です。

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「ロメオとジュリエット」より

 

ジュリエット・・・・・大園エリカ

ロメオ・・・・・・・・ILIR KERNI (元 クロアチア ザグレブ国立バレエ劇場 プリンシパル)

 

 

 

実際にちゃんとしたバレエをおやりになると分かると思いますが、本格的なクラシックバレエというのは、精進して完成されたダンサーの方達が舞台で放つ軽やかで華やかな美しいイメージとは真逆と言っても良い「忍耐力」から始まると言われています。

 

これはどの分野でもそうだと思いますが、プロフェッショナルを目指す者が持っていなくては大成しない素養として、純粋な情熱の上に培われる「忍耐力」や「集中力」というものは欠かせません。

 

やる者ががその忍耐力を苦と感じず、「努力する事が楽しい」という情熱や喜びにまで高めてしまえるというのは、その芸術を心から純粋に愛している人間にしかできない事であり、又それが無ければ、どんなに才能に恵まれていたとしても持続できない=大成はしないのです。

 

私が今回声を大にして申し上げたい事は、プロのバレエダンサーの世界というのは、特に多くの日本人の方達が持たれている様な間違ったイメージとは全然違うという事です。

 

所謂"夢見る夢子ちゃん"的な「ファンタジー的なお稽古事のバレエ」であったり、男性ダンサーに対して「ホモセクシャル(女性的)な男性しかいない」などの偏見もそうですね。

 

その様に思う方には、私は「"本格的なバレエ"というものをちゃんと勉強されて、実際に本気でされてみて下さい。生半可な精神力では死にまっせ!」と申し上げたい所です。(笑)

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舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年