真理を知ると人間はどう変わるか?
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少し前にTwitterで、こんなつぶやきを見ました。
「きっとそうだと思える「本当のこと」に触れてしまうと、世の中で立派だとか偉いとか言われている人が仰っていることがとても空虚に聞こえてしまう。何を「本当」と判断するかはその人次第だけど、この「大事なこと」に気がつかなければ、きっと本当の意味での幸せや成功は得られない。」
「その通り!」と、思わずリツイートしてしまいました♪
この文章を書いていたのは、松井式の受講生さんでもあり、心の勉強会に参加して下さっているniko*さんです。
以前、勉強会に参加した時は、こんな記事も書いてくれておりました。
■ 精神と肉体、どちらが疎かになっても上手くはいかないから…
本当のこと(真理)に触れてしまうと、他の学びが全て必要無くなってくるんです。
全ての根本がそこにあり、それを理解出来たら、あれこれ知識を追い求める必要も無くなります。
人には知識欲というものもありますが、いくら知識だけを詰め込んでも人格は向上しません。
むしろ知識で凝り固まると頑固で融通が利かなくなります。
真理を少しでも知ると、セミナージプシーになるようなことはありません。
それまでは本を出したりテレビに出ている知識人と言われる人の言葉を感心して聞いていたとしても、真理に触れた後はそういうことも無くなり、自分の中で答えが出せるようになります。
というよりも、答えを知っていると言った方がいいのでしょうか?
とにかく、真理に触れるということを体感すると、それが分かります。
それが分からない内は、ただの知識にしかなりません。
ブッダが尊いのは、とても難しい真理を誰にでも理解出来るように、相手に合わせて段階を踏んで悟りまで到達させた…ということです。
あの時代に一人でそこまで知る…というのは、とんでもないことで、だからこそ「目覚めた人」と呼ばれるわけです。
その真理を知らない内、分からない内は、やはり盲目で目が開いていない…ということも、何度も何度も学ぶ内に少しずつ分かってきます。
世の中に憤りを感じたり、悩んだり苦しんだりするのも、全ては道理を知らないが故。
「じゃあ、その道理って何ですか?」
と聞かれても、一言で言えば「無常無我」ということしか言えません。
そのことを聞いたから勉強してみようと仏教を学んだとしても、イライラや不安が無くならないのであれば、やっぱり知識にしかなっていないんです。
だから、学んでも何にもならない…ということになってくるわけですね。
仏教を学んでいると、一見、矛盾がある所もあるように感じるかもしれません。
ですが、実は矛盾なんてどこにも無いんですね。
事実、そうなんだ…ということになってきます。
私自身、本を読んだだけでは分からないことが多かったのです。
松井さんが逗子で開催していた勉強会に参加して、更に傍で見て、学んで、実践して…の繰り返しで少しずつ理解が深まっていきました。
そしてある日、「ああ、そういうことだったのか…。」と、涙が出る程の感動を味わいました。
恐らくですが、学んでいく過程で誰しもが通るところなのではないかと思います。
私なんぞの若造が知ったことなど、たかが知れていることなのですが、それでも生きることが格段に楽になりました。
イライラや不安も無くなり、地震などの天災や、放射能汚染などの人災にも狼狽えることが無くなります。
いろいろ学んでいるのに、こういうものが無くならないというのは、やっぱりそれは真理では無いからだと思います。
何かを得ることが幸せなのではなく、何かを失うことが不幸せなわけでもありません。
最初にご紹介したniko*さんが気付き始めているように「本当のこと」に触れてみて下さい。
仏教を学ぶために、どこかの宗教団体に所属する必要もありません。
特別な何かを信仰する必要もありません。
ただ理性があれば、それでいいんです。
逆に理性が無ければ分からないんです。
今月から、心の勉強会 は、その真理について触れていき、気功の方はチャクラの開き方を一つずつ行っていきます。
また、新たに始まる気功と仏教の入門講座 は、仏教と気功の基礎からお伝えしていきます。
「本当のこと」を知りたいけれど、どこで何から学んでいいのか分からない…という方は、この機会に参加されてみて下さい。
興味を惹かれた方は、以下のフォームから詳細をチェックされてみて下さい。
良いご縁が繋がることを願っております。
★1月12日(日)、悟りに至る4つのポイントのお話し
★1月26日(日)、ブッダが辿り着いた真理とは?