田尻 健二(心理カウンセラー)- Q&A回答「悩み事はときに「新たな充実感」を生み出すきっかけにもなります」 - 専門家プロファイル

田尻 健二
お望みの人生の変化への効果的なお手伝いが私の仕事です

田尻 健二

タジリ ケンジ
( 東京都 / 心理カウンセラー )
心理カウンセラー・産業カウンセラー・夢分析家 
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対人関係についての在り方

心と体・医療健康 心の不安・性格改善 2022/04/14 22:17

はじめまして。20代後半の女性です。
対人関係への考え方について、自分は一般的なものからかなり逸脱しているように感じ、専門家の方のご意見をいただけたらと思いご相談させていただきます。
拙かったり、冗長としてるかと思いますが読んでくださるとありがたいです。

人への関心が皆無に近い。有象無象と思っている。
職場、友人、家族、誰に対しても大体上記のような考えになってしまい、人と接することが困難になっています。
電車や職場で人の雑談を耳にするときに内容自体は分かるのですが、なぜその話題が気になったのか、なぜ盛り上がるのか、どうして会話のキャッチボールが交わせるのかが本気で理解することができないのです。好意がお互いあるからラリーが続くのか、そもそも好意って何だろうみたいな気分になります。善い人だなとは思うのですが、好きに結びつかない。相手のことが知りたいとも自分のことを知ってほしいとも思えず、ここ最近他愛ない会話が全くできません。対人関係の形成が極めて辛く感じます。本等色々見てもその気持ちが分からないのです。
幼少の頃は人見知りで交友関係は広くないものの、家族や友人を大切に思う気持ちは確かにありました。
一時服用していた薬で記憶が抜け落ちることがあったのですが、情緒的な記憶も抜け落ちてしまったかのような感覚です。他人に傷つけられたとかの出来事は特に無いのに、先に書いた如く、職場というカテゴリーの●●さんという名の他人、家族というカテゴリーの△△という名の兄弟といった感じで個人としての認識はできるけど、好感度?情?みたいな気持ちが0にくらいになってます。

長々と書いてしまいましたが、現状はこのような感じです。
自分のことなの本当にどうしてそうなったのか、どう苦しく感じているのか等分からないことばかりでとても不安で苦しいです。どういう現状なのかをまず知り、原因を理解して、改善していきたいです。

お力添えいただけますと助かります。
どうかよろしくお願いいたします。

dusk08さん ( 東京都 / 女性 / 28歳 )

田尻 健二 専門家

田尻 健二
心理カウンセラー

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悩み事はときに「新たな充実感」を生み出すきっかけにもなります

2022/04/15 01:23
( 5 .0)

はじめまして。カウンセラーの田尻と申します。

>どう苦しく感じているのか等分からないことばかりでとても不安で苦しい。

でしたら、まずは辛い状況について、ご自身の心のうちを整理してみることが役立つように思えました。
ですので参考までに、分析の観点をいくつかお伝えさせていただきます。

1. 例えば「有象無象」という言葉は、辞書的には「くだらない」という意味があるようです。
だとすれば仮に他人に対してそのような感情をお持ちの場合、無関心さは「くだらない」と感じることと関わる煩わしさから生じているのかもしれません。


2. 続いても「他人への無関心」についてですが、もし仮に誰とも関わらずに済むとすれば、それは安らぎをもたらすでしょうか。それとも、それはそれで寂しさも感じるでしょうか。
仮にもし後者だとそれば、本当は他人と関わりたい気持ちがあっても、実際の関わりがご自身の理想とかけ離れたものになってしまっている可能性も考えられます。

この場合は、現実の関わりの状態が苦痛でしかないため、それを避けたいとの欲求が生じ、この(無意識的な)欲求が、表面的には「無関心」として意識されているという解釈です。


3. また「対人関係への考え方についての、一般的なものからの逸脱」についても、これが欲求なのか、それとも本当は気が進まないのに「世間に合わせなければならない」と感じているのかを判断するのも有益と考えられます。

なぜなら仮に後者であった場合は、一般常識に従わないことのデメリットと苦痛の度合いを天秤にかけ、もし常識に従わない生き方でもそれほど深刻なダメージを受けないとの判断に至れば、逸脱をむしろ「個性」として受け入れることで、非常に楽になれる可能性があるためです。


4. 最後にこれは個人的に感じたことですが、例えば「好意がお互いあるからラリーが続くのか、そもそも好意って何だろう」といったことは、おそらく多くの人は疑問に感じたことさえないかもしれません。

こうした疑問は、おそらく悩みと真剣に向き合い、何とか打開策を見出そうとされる中から生まれてきたものではないかと考えられます。
だとすれば、こうした疑問の数々は、苦痛をもたらすと同時に、他人があまり目を向けることのない事柄への「関心」という側面も持ち合わせているように思えました。

そしてもしこれらの関心事を一旦悩みと切り離し「学問的な探求」の対象として捉えることができれば、それは真剣に打ち込むことができる事柄が生まれたことによる、ある種の充実感につながる可能性もあるようにも思えました。

評価・お礼

dusk08 さん

2022/04/30 12:59

田尻様
ご回答ありがとうございます。御礼が遅くなり申し訳ございません。

問題の整理、切り分けのご回答大変ためになりました。
今見直してみて、事象を一緒くたに考え、その全てを一気にどうにかしないとどうにもならない途方もない大きい問題と考えてしまっていてどこからどうしたらいいか思い悩んでいたように感じます。
悩みと関心事それぞれで考えてみるということ、それをどのように感じているか、ご回答の一文一文しっかり読んで自問自答をすると自分の想いが分かるような気がしてきました。
また、悩みは悪いことのように思っていましたが、探求するものと捉えられることができるというのも自分では出てこない考え方だったため、とてもありがたいご意見でした。
これを受けて今一度自分と向き合っていきたいと思います。
本当にありがとうございました

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