「ライバル心」というものに付いての考察 - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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対象:文化・芸術

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「ライバル心」というものに付いての考察

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皆様は、どなたかに「ライバル心」というものを持たれた事がありますか? もしくは誰かから「ライバル視される」という経験をお持ちですか?

( ・・) ~ ☆彡 ~ (・・ )

 

生きていると、その両方を味わうというのが常ではないかと思いますが、今回はこの「ライバル心」というものに付いて、私なりに考察してみようと思います♫

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

私は昔から人と競争するのが苦手と言うか、そういう生き方は自分を疲れさせてしまうので選択しない主義=お互いの持つ個性や才能を尊重するタイプなのですが、

 

「嫉妬心」というものを「ライバル心」というものに転換して、そこからエネルギーを得ている方達というのは、世の中にはとても多い様にお見受け致します。

( ・・)  ~ ☆彡&★彡

 

 

 

「嫉妬というものは実は心の病気であり、この世の真理というものを深く理解できた時、自分と自分以外の人間の持つ容姿・環境・能力・才能に対して尊敬・尊重する事ができる様になる」と言われておりますし、

 

そうして正しく物事を観られる様になると、「誰に対しても嫉妬心は起こらなくなり、故に相手への過干渉=自分の為に相手をコントロールしたがる事(※この自分のエゴに気付く事は重要)も無くなる」とも言われますが、

 

でも未熟な私達は、そういう嫉妬心から生まれる「ライバル心」というものをキッカケに、努力するという能動的な行為を育んだりする事にも繋がっている部分がありますし、

 

そういう意味で、向上心を持つ"取っ掛かり"として大きな役割を持つ事だって多いと私は思うので、そこには良いも悪いもないと思う主義でもあるのです。

(^^✿

 

 

 

でも、その自分が感じている他者への「ライバル心」を、どの様に自分の中で昇華して行くかというのは、非常に大事なポイントに成って来るのかな~という事は感じています。

 

そういう「ライバル心」というものが、それを観ている第三者含む「他者にどの様に伝わっているのか?」という事を、自分で正しく自身を客観視できるかどうかという事は、

 

自分の為にも、そのライバル視されている方に取っても、そこから生まれる全体への影響の為にも、私はとても大事に成って来ると思うのです。

 

何故なら、そういう「ライバル心」という"人との競争"というものが根に存在する時に、そこから外に伝わって来るものは、「不快感」になるか、「爽快感」になるかのどちらかに分かれて行くものだと私は感じるからなのです。

( ・・) ~ ☆彡

 

 

 

では他者に「不快感」を感じさせてしまうか、「爽快感」を感じさせるかの分かれ道は、一体何から来るのでしょうか?

 

それは嫉妬する側が、自分が勝手にライバル視してしまう相手の個性ややり方に対して、尊重する心が有るか無いか=「人格の尊重」という事が鍵になって来るのだと思います。

 

ですがこれは、どちらが先輩であるとか、年上であるとかに拘る人=縦社会思考の方達には、大変難しい所がある様です。

 

何故ならいつも「私の方が先輩だ!」「私の方が年上だ!」「私の方が立場が上だ!」というエゴから来るマウント思考が先立つ為に、どこか相手を見下す心理が無意識にベースにあるので、

 

物事が真っ直ぐに見れない=相手の本質(個性・才能・役割)を見逃しているという事が起こるからです。

(・・;)

 

 

 

そうした思考癖を持った方から生まれるライバル心=嫉妬心から生まれる行為というものは、見ている者を不快にさせている事が多いのですが、ご本人は気付いていないという事が多い様です。

 

全体の事を考えてではなく、自分にだけ他者の注意を引き付けたいという「常に自分中心でいたい」「常に自分中心に仕切りたい」というエゴが強い方ほど、そういう事に自身で気付けなくなってしまう様なので、私は非常に怖いなぁとも感じています。(※こういう方というのは、実は心に愛情飢餓という問題を抱えているのですが、今はそれに付いては割愛致します)

 

そういうケースでは、実は「お互いがライバルと感じている」という事はあまりなく、大体は「相手を勝手にライバル視する者の一人相撲」である事が多いので(※ご本人は気付かない事が多いのは、エゴな人間は「相手も自分と同じ感覚」という勘違いを無意識に相手に投影するからです)

 

第三者からすると、その不快感から、逆に「勝手にライバル視されて、嫌がらせを受けている人の株が、自分の中で上がってしまう」という現象が起きたりして、

 

つまりライバル視する側に取っては、「自分の印象を悪くする」という墓穴を掘る行為に成っているという結果に行くのです。

 

それが「相手の人格を無視したライバル心を持った方」の得る結果だという事ですね。(※そういう行為に対して不快感を感じない方というのは、ご自分も中に同じもの=自己中心的なエゴを持たれた方なのかもしれません)

(^^;;

 

 

 

これは舞台などに携わる人間にも同じ事が言えるのですが、もしその様に全体を考えず、「自分だけを目立たせたい」というエゴな出演者が一人でもいれば、その不調和がその団体の印象や、舞台全体の質を確実に下げてしまいますし、

 

どこでも必ず「初めて舞台を観るお客様」という存在がおりますので、そういう方達に「たった一人の出演者の行為」から不快感を持たれてしまえば、それが全体の印象にもなってしまうのですから、怖いものがあります。

 

それで新しいファンを逃してしまっていたり、それがファンが増えないというという事の原因になっていたり、場合によっては、今までファンであった方達の中からも「気持ちが離れて行く」という様な方達が徐々に増えてしまう事にも繋がって行くのですから、

 

やはり「ライバル心」というものは、色々な意味で侮れないもの、軽率に扱えないものでもあるのだなぁと私は思います。

( ・・) ~ ☆彡 or ★彡

 

 

 

ちなみに私が長年ご縁のあったクラシックバレエの世界も、この「ライバル心」から生まれるエピソードには事欠かないという世界でありますが、

 

中には激しい嫉妬心を持ち、「自分の地位を脅かす」と感じた相手を貶める行為に実際及ぶ人間がいるという事例も私は沢山知っておりますし、

 

逆に「この方達は本当に良きライバルで、見ていて気持ちが良いなぁ!」と感じさせて頂けたケースも沢山有りました♪

(*^^*) ~☆彡

 

 

 

やはりそういうケースは「お互いが相手をリスペクトしている=相手の才能を認め合っている」というものが根底にあるからこその「本物の努力と向上心(=相手を貶めて自分を高く見せるというまやかしではなく、お互いに向上し合って行く)」という本物の"道"になる為、

 

その「本気で凌ぎを削りながら、自分達の才能を各々が磨き合う」というアーティストとしての真摯な姿勢=本質が、高い波動の強いエネルギーを放ち、それが共演者達の気持ちをも鼓舞させ、その舞台全体を引き上げるという相乗効果を生み出します。

 

その一体感と緊張感から来る迫力が観客の心を掴み、一生忘れられない伝説の舞台を生み出す。

\(◎o◎)/~☆彡☆彡☆彡

 

私はそういう素敵な舞台に沢山触れられた、幸せな人間の一人でもあります♡

(*^^*) ~ ♡

 

 

 

 

 

花達は自分以外の花に干渉する事もなく、自分と比較する事も、相手をジャッジするという事もなく、

それぞれが自分の持つ美しさを精一杯咲かせる存在です~☆彡

 

だから人は花を美しいと感じ、愛おしく感じるのだと思います~☆彡☆彡☆彡

(*^^*) ~ ♡

 

 

 

 

 

 

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(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

natural & elegance

長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年