時代や家系のカルマに洗脳されている事に気付かず、流されて生きている人の心は無自覚な怒りでいっぱい - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
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対象:文化・芸術

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時代や家系のカルマに洗脳されている事に気付かず、流されて生きている人の心は無自覚な怒りでいっぱい

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今回のコラムは、以前に「太る&老いる事への恐怖(人間は一体何を怖がっているのだろう?)」というコラムの中で、

 

その時の自分には自分なりの理由がちゃんとあって「その時にベストと思える選択をした」、或いは「自分の保身から感情的になってしまい、愚かな選択をした」「無知ゆえに流されてしまった」という事である訳ですが、

 

…という事を書かせて頂いた時から、改めて深く掘り下げてお伝えしたいなぁと思っていた内容になります。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

実はそう思った時に、今回の記事の下書きを始めてはいたのですが、最近自分の時間を確保するのが以前より難しくなった事と、又タイムリーな内容のコラムの方を優先して投稿したいと思ったりして、なかなか今回の記事への筆が進まなかったというのが正直な所でございます。

 

それだけ今回の内容は、多くの方達に取ってはヘビ~と言うか、ちょっといい加減には書けないセンシティブな内容だな~とも感じておりました故…。

(^^;

 

…という事で、それでは改めまして、そのコラムの記事を更に深く掘り下げたお話しを始めたいと思います。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

一昔前にはあまり聞く事がなかった「毒親」という言葉が、最近一部の人達の間で流行っている様ですが、

(※ちなみに"毒親"というのは、子供に対して経済的には親の役目と義務を果たしていても、子供に罪悪感を持たせたり、自信喪失にさせたり、人格を全否定したりという精神的なダメージを与える親の事を指すそうで、親も子供もそれに気付かず見落とされてしまうケースも多いと言います)

 

私がその「毒親」という言葉に初めて触れた時、その過激な表現から感じた事は、

 

「自分は親から愛されていない」とか、「私の親は自分を愛してくれなかった」と感じる子供の持つ深い悲しみや苦しみから生まれる「親に対する憎しみや恨み」でしょうか。

( ・・) ~ ★

 

そういう思いを持った子供に共通するものの一つとして、一緒に過ごす時間の中で「親は自分の欲望や保身が先に立って、子供である自分を守ってくれなかった」という事があり、

 

それがその子供の立場として物凄いショックと共にトラウマとなったという、そういうとても深い悲しみを感じた思い出が子供側にあるのだと思います。

(- -;)

 

何故なら、本当の愛が存在する時には「相手を守ろう」とするからです。子供は理屈では分かりませんが、本能的に「愛とは何か」を、社会の価値観に染められながら大人になってしまった人間よりも本能と感覚で知っているのです。

( ・・) ~ ☆彡

 

 

 

愛というのは「相手の望むものを与えてあげたい」というのと同時に、「相手がして欲しくないという事はしたくない」と自然と思えるのが本物なのだと私は思います。(※但しこれはまだ人間が未熟な段階で、怠惰で利己的な我儘である場合は、その判断が逆になるケースも当然あります)

 

"愛"というもののスタイルが「温かく受け入れる優しさ=慈愛」であろうが、「相手の為に自立を促す厳しさ=慈悲」であろうが、そこに"本物の愛"が存在する時は、

 

「自分は守られている」「自分は信頼されて愛されている」という感じさせてくれる相手に対して、私達は自然に愛と感謝を感じるものだという事ですね。

( ・・) ~ ☆彡

 

 

 

私達人間が本当に欲しいものとは、そういう「守られている」「自分を信じてくれている=愛されている」という自信から来る安心感なのですが、

 

それを充分与えられていないと感じると、人間というものは孤独を感じてしまい、そういうものを与えてくれない相手に対して怒りや哀しみ、或いは憎しみや恨みというものを持ってしまう動物だという事です。

 

その怒りが外に向いた場合は「親や他者への怒りや恨み」、内に向いた場合は「愛されない自分が悪いのだ」と自分を責める事から生まれる「罪悪感や自己否定」「鬱」という形になりますが、

 

根本は同じ「愛されない苦しみと悲しみ=愛してくれない者への怒り」というものから発生しているという事です。

(・。・; 

 

 

そして多くの人はそういうものが得られない事の穴埋めとして、その不安や怒りから無意識に"食"に走ってしまうという事も多く、故に所謂「毒親」を持った方達には摂食障害が多いという事実があるのではないかと思います。

 

それは何故かと言うと、「食べる」という事は、その快楽でもって不安を"一時的に解消してくれる様に脳が感じる行為"であると同時に、

 

親に対する「怒り」や「恨み」や「憎しみ」を、"噛む"という、或る種怒りの行為でもって、無意識に紛らわしたり解消しようとする為の行為でもあるからですね。(※他にも人によっては食ではなく、"色(性)"というものに走ったり、又はギャンブルや異常なまでの着道楽に走るなど、色々なケースがある様です)

(^^;

 

 

 

そういう親から感じさせられた自己否定という(※その多くは「親は自分を信じていない=愛してくれていない」と感じる事から生まれている)複雑な悲しみと、親に対する逆恨みの様なものが混じった「親に認めて欲しい=親から愛されたい」という切実で歪んだ思いが下地に在ると、

 

「親の代わりに自分を守る為」に、子供は本当は好きでもない「親が喜ぶ仕事」や「親が喜ぶ結婚」などを、自分が親から愛され認められる為の選択として選んで頑張る人も多く、

 

それが「自分から逃避する=自分の真実を知りたくない=自分は親から愛されていないという現実から目を背けていたい」というものを根底に持ったワーカーホリックを生んだり、

 

自分自身のそういう満たされなかったトラウマから、自分の頭で描いた「理想の伴侶」や「理想的な親」「理想的な社会人」に自分が成るべく異常な執着を持ってしまい、

 

無意識に必要以上に、良き「妻」や「夫」や「親」になろうとしたり、自分の持つイメージからの「他者に崇められる様な社会人」に成るべく頑張る事で、無意識に背伸びをして自分を苛めてしまい、

 

それが又見えない怒りを自分の内部に生んでいる原因になっている事に気付けないという事に繋がって来るのですね。

(^^;;

 

 

 

そういう「無意識の悲しみや怒りや恨み」というものが動機となる場合、家族でも仕事でも過干渉に他者を自分の支配下に置きたがる(※その多くは自分でも無自覚の)独裁者になるケースと、

 

反対に自分の中に在る自己否定と罪悪感から、家庭内や職場などで自分を犠牲者=奴隷の様にしてしまうケースがある様ですが、

 

この様なケースとして人間というものを観てみると、見方によっては仕事のできる人というのは、"会社や組織、或いは家族の為に自分を犠牲にして奴隷的に働く人"という事も言える訳ですが、

 

この「犠牲」という自分自身に対して愛不在の行為は、根本が「奉仕=誇りと喜びを伴うもの」とは違いますから、当然そのバランスからストレスの捌け口として"職場、或いは家庭内では暴君になる"というケースが多いというのも頷けます。

 

そしてこれは、自分の中の癒されていない哀しみや怒りを、当事者(※自分の親)に直接向ける勇気が持てない為に、関係ない他者に向けるという負の連鎖を生んでもいるのです。

(^^;(^^;(^^;

 

 

 

ちなみにこれは表裏一体から生まれて来る現象ですから、この様なカルマを根本に抱えていらっしゃる方達は社会に出た時に、自分の立場が変われば自分の保身の為に「相手によってカメレオンの様に顔を使い分ける」という事にも繋がる訳なのですが、

 

いずれにしましても、これらのケースは「家系のカルマから来る価値観」「世間や社会や親から持たされた価値観」というものをベースにして、自分という人間を判断する事から生まれる行為に繋がっている訳で、

 

結果無意識に「世間に流される」という事に自覚なく成っているというケースは、この世にザラに存在しています。

(^^;(^^;(^^;

 

 

 

人は誰もが、その時の自分には自分なりの理由がちゃんとあって「その時にベストと思える選択をしたという事だと自分では思っている訳ですが、

 

実はそういうものを無意識に下地としてしまったものは、「自分の保身から感情的になってしまい、愚かな選択をした」「無知故に流されてしまった」という事に成ってしまっている事に、本人が全く気付けていないという事ですね。

 

そういう「無意識から起こるカラクリ」に気付かない方達は、自分で原因が分からないで「自分の激しい感情に振り回される=外に向かう怒り」か、

 

「鬱=中に向かう怒り」を自分でも持て余して苦しむという結果に成ってしまうのは、この世の因果の法則からしたら至極当然な結果という訳です。

(・_・;)

 

ですが、そういう事が自分の内面に存在するという事に気付いておられる方は少ない様に私は感じます。でなかったら、この世はもっとお互いに住み易い場所に成っているはずですからね~。

(^^;(^^;(^^;(^^;(^^;;;

 

 

 

…という事で、私達人間が無意識に持ってしまっている、本来は持たないで良いはずの自分に対する「罪悪感」「自己否定」「劣等感」「自己憐憫」「無力感」等々の根本原因というものが、一体何処から生まれているのか?という事を理解して頂けましたでしょうか?

 

それでは次回は、そういうものを無自覚に持ってしまっている方達の持つ共通した思考癖に付いてと、それがどれだけ自分の脳を疲弊させ、心身を疲れさせているかというお話をさせて頂こうと思います。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

「The Elder Flower Fairy」

CICELY  MARY  BARKER  「Flower  Fairies  シリーズ」より

 

 

 

CICELY  MARY  BARKER の描く子供達には、描き手の一人一人の子供に対する個性への慈しみと、人格を尊重する心が込められていて、非常に生き生きとした生命力を感じます♪

 

子供の溌溂とした感性と、生き生きとした感受性を否定し封じ込め殺してしまう存在は、いつの時代も無意識に社会に洗脳されて流されて生きている「死んだ様に生きている」或いは「生きながら死んでいる」大人達であり、

 

そこから生まれる負の連鎖が、人間が真の喜びと幸せを感じられない環境を生んでいる様に私は思います。

( ・・) ~ ★

 

 

 

 

 

 

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(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年