人の"働き"をお金だけで見る人は、大事な事を見落としている - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
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対象:文化・芸術

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人の"働き"をお金だけで見る人は、大事な事を見落としている

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今回のテーマですが…。


これは以前に、「(人間は)現役でなければ価値がない」という様なニュアンスでものを書かれていた方を、何人かここでもお見掛けした時に私の中で感じた事です。

( ・・) ~ ★


その様な事を主張される方というのは、当然今のご自分が現役である事=自分が仕事をする事でお金を稼ぐ事ができているという立場にいらっしゃる方達で、


その事に対して非常にプライドをお持ちという共通点があり、その事自体は決して悪い事ではないのですが、


私は彼らが持つその様な偏ったものの見方=思想に対しては、「この方達は人生経験が浅く、深く物事を見れない洞察力の無い方達なのだなぁ」という事を同時に感じます。


この様な思想を根に持つ方というのは、この世はどの様なものにも、常に"表裏一体"というものが存在するという事を、完全に見落とされておられる方達でもあるという事を私は感じるのです。

"(-""-)"




…という事で今回は、そういう私と同じ見解を持たれていると感じた方の素敵なメッセージを目に致しましたので、皆様にもお届け致します。

☆_(_☆_)_☆



 

【津留晃一さんという方が残されたメッセージ】

 

 

「働かざるもの食うべからず」という価値観があります。 

「何もしない人間には価値がない」という考え方です。 

 

 

「その通りだ」と思われる方が多いことでしょう。 

「人の役に立たなかったら生きている価値がない」 

という考え方が現代の道徳律の骨格にあるようです。 

 

 

しかしこの考え方の裏側の作用として、 

役に立たない人間を裁いてしまう 

という結果を生みだしていることも事実です。 

 

 

「今、自分は充分に人の役には立っていないのではないか」 

とその裏面に意識が向いたとき、 

「このままではいけない」という思いがわいてきます。 

 

 

「自分にはもっと人のために何か出来るのではないか」 

と思考がまわり始める事でしょう。 

 

 

そして、そんな風に考えている自分を 

なんだか嬉しく感じていることに気付いて下さい。 

これは思考を使って自己を満たしている想念作業なのです。 

 

 

自我はこれで満たされるわけです。 

三次元の人間意識の中にある人は、 

こうして自己を満たすという思考ゲームを続けています。 

 

 

これが地球人類のこれまでのゲームでした。 

特定の価値観を握ると、そこに満たされた思いと、 

満たされなかった思いの二極を体験することが出来ます。 

満たされなかった思いを満たしてやるというゲームです。 

 

 

全ての価値観に 

表と裏という二面性があるのだということを知って下さい。 

どんな考え方であれ、それを受け入れると、 

そこから二極の世界へ入っていくのです。 

 

 

もちろん二極性の世界が悪いと言っているわけではありません。 

二極的思考になれきっている我々は、 

「これこれはこうです」という話を納得すると、 

その瞬間からそうでないものを 

間違っている、正しくない、異質のものとして認識し始めます。 

 

 

ニュートラルな世界へ入っていくためには、 

数学でいう「逆は必ずしも真ならず」 

という発想方法を身につけて下さい。 

 

 

その反対は間違ったものでも、正しいものでもありません。 

ただそうであるだけです。 

「あの人はこんなことを言っていたからおかしい」 

という考えが浮かんだ瞬間に 

「あ、これは二極思考だ」と気付いていて下さい。 

 

 

あなたの正しさに反するものが、 

間違っているというわけではないのです。 

であるならば「人の役に立っていない」 

という状態も別に問題ではありません。 

 

 

「人の価値はその存在にある」と伝えられました。 

これまで人類は 

この存在の価値をあまり認めようとはしませんでした。 

それは存在を当たり前と受け止め続けてきたからです。 

 

 

あって当たり前と思えるものに価値を見いだせなかったのは、 

当然といえば当然でしょう。 

健康な人が 

健康であることに喜びを発見できないのと同じです。 

 

 

病気の人が健康にフォーカスし始めると、 

健康であること事態に喜びを見い出すようになるように、 

我々は単に「在ること」事態にフォーカスし始めると、 

ただ「在ること」に至福を体験できるようになります。 

 

 

そしてこの「在ること」に意識を向け続けると、 

その悦びの大きさに、 

人はだんだん圧倒されてくるようになってきます。 

 

 

あまりに偉大すぎる 

その「存在」に強烈なエクスタシーを体験することでしょう。 

自分が存在することの至福を体験し始めた人は、 

これまで自分の抱いていた「無価値感」という概念が 

いつの間にか消滅してしまっていることに気付くでしょう。 

 

 

「自分はもっと人の役に立つべきだ」と思っている方は、 

何か行動を始める前に、 

役に立ちたいという思いはどこからやって来ているのか、 

その源に意識を向けてみて下さい。 

 

 

「この思いはいったいどこからやって来るのか」 

と内側に問いかけてみて下さい。 

この尊い考え方も、ひょっとして、 

エゴの欲望を満たそうとする、 

自己満足的活動であったかもしれないと・・・。 

 

 

自我が「良いこと」と判断して取る行動は、 

あくまでも純粋動機に基づく行動ではありません。 

全ての「良い」、「悪い」の価値観を手放して委ねていると、 

あなたの肉体を通して 

存在の源から純粋な動機がわき上がってきます。 

 

 

あなたの価値判断を使うことなくそれはやって来ます。 

それが「大いなる一つ」の活動欲求です。 

その「大いなる一つ」の欲求に従って行動していくとき、 

あなたは世界一役立つ人間そのものになっていることでしょう。 

 

 

そんな人が「何かしないといけない」と、 

不安を感じることはありません。 

そんな人は、たとえ今何もしていなくても 

「このままではいけない」 

というエゴの脅迫にたじろぐこともありません。 

存在の至福を理解できる人であるからです。 

 

 

そして自我を超越し、 

ハイヤーセルフに委ねて生活している人が、 

忙しさを体験することもありません。

全ては完全なゆとりの中で、 

穏やかな環境の中で生活が出来るようになってきます。 

 

 

もしあなたが忙しいと感じているとしたら、 

それは時間を焦っているということです。 

 

 

もう一度全てを手放し委ねきりましょう。 

あなたは存在している事に価値があります。 

あなた一人がもし欠けたとしたら、 

この宇宙はその瞬間消滅すると伝えられました。 

 

 

あなたの存在がこの宇宙を支えています。 

たとえそれが寝たきりの障害者であったとしてもです。 

あなたはそんなかけがえのない一人です。 

 

 

何かすることがあなたの役割ということではありません。 

寝たきりの人は寝たきりでいる事がその人の役割です。 

看病をしたいというその人のために 

自らその身を横たえ奉仕しているわけです。

 

 

 

 

 

これは何の木の葉でしょうか?

 

 

 

正解は、

 

 ↓       ↓       ↓

 

じゃ~~~ん♫

 

 

そう!皆様の大好きな桜です!

(^^✿

 

でも…

 

 

この様に葉だけになった桜や、

 

 

 

 

この様な晩秋の桜の木に意識を向ける方は、世の中に一体どのくらいいらっしゃるのでしょうか?

な~~~んて事を私は考えます♫

( ・・) ~ ☆彡

 

 

 

華やかな花を一斉に咲かす時期には、桜の木は多くの人々から一身に注目を浴びますが、

 

桜の木自体は自然の摂理に従って春に花を咲かせ、それが葉桜となり、新緑の葉に衣替えした後の夏には、葉を青々と輝かせ、そして秋には美しい色のグラデーションを見せてくれながら枯葉になり、冬にはそれを全て散らして春を待っているのです。

 

そうして冬に葉を全部落とす事で、桜は新たな春に向かって花を咲かせる準備をしており、一年中その生命力は桜の木の中で静かに息づいているのです。

 

 

 

 

でも葉だけになった桜や、葉を全部落として枯れ木の様に見える冬の桜の木に対して、関心を持つ人や美しさを見出せる方は、それほど多くはないのではないでしょうか。

(・。・;

 

そしてこれは一つの例ですが、桜の木を見る時に、その"移ろい行く質の違う美しさ"や、"沈黙する様に静かに息づく生命の力強さ"という「見えない働き」に気付けない方達は、

 

ご自分や他者の「人生」というものを見る時にも、同じものの見方=表面的にしか見ていないという事が起きていると言えるのかもしれないですね~。

(^^;

 

 

 

私が思うに、そういう事に目が行く豊かな感性と知性を持たれた方達というのは、人間の「人生」や「死生観」というものに対しても同じ様に"宇宙的な視野"を持っておられる方達であり、

 

その繊細で瑞々しい感性から、深い洞察力を得られた方達ではないかと私は思います。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

 

 

 

 

 

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舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

natural & elegance

長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年