傷つく事を怖れて「大人のディスカッション」ができない日本の大人達 - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
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対象:文化・芸術

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傷つく事を怖れて「大人のディスカッション」ができない日本の大人達

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今回は前回のお約束通り、「大人のディスカッションができない甘え体質の日本人」というものにスポットを当て、最近の私の実体験を元に具体的な解説をさせて頂こうかな~と思います♫

(^^ゞ

 

…とその前に、今回のコラムをより深くご理解頂く為の予備知識として、この日本という国には他の国では見ない独特な文化「子供天国」という"赤ちゃん文化"があるという事をご理解頂きたいという事と、(※詳しくは前回のコラム「何を考えているか分からない」と外国で日本人が気持ち悪がられる訳 をお読み下さい)

 

日本を取り巻いている環境として、特に日本は戦後の教育から育まれた…否、戦勝国の陰謀によりそう仕組まれ、私達日本人の潜在意識=無意識に植え付けられた=洗脳されたとも言われているのが「持たなくて良い罪悪感やコンプレックス」であるとも言われており、そうした"目に見えない精神的な洗脳"が社会的に無自覚に存在しているという、そういう背景を持つ国であるという事。

 

それ故、そういう社会的背景に知らず知らず影響された自分の生き方から来る"持たないで良いコンプレックスや罪悪感"というものを多くの方達が無意識に抱えておられ、そこから歪んだものの受け取り方=思考癖というものが生まれているという事。

 

その多くは「自己否定から来る被害者意識で物事を受け取る癖」なので、大の大人であっても異様に"誰かに傷付けられる"という事を怖れる未熟さがあるという事。(※これは裏を返せば、常に自分以外の誰かを加害者にする事を好んでいるという事でもあります)

 

私達日本人には、そういう自分で気付けていないものが心の奥底に深く根付いているという事を念頭に置きながら、今回のコラムを読んで頂きたいと思います。(※勿論個人差がありますので、全ての方に当てはまる訳ではありません)

 

何故かというと、それが深く理解できないと今回のコラムで私がお伝えしたい真意が真っ直ぐに伝わらないかもしれないからです。

✿_(_✿_)_✿

 

ちなみに今回お話しさせて頂く私の経験は、あくまで今回のコラムのテーマを分かり易く解説させて頂く為の一つの例として書かせて頂くものなので、結論というものがありません。

 

ですので、全体的には少々抽象的な書き方になってしまうかもしれないという事をご了承下さいませ。

 

私が今回のコラムを通してお伝えしたい内容は、「立場を変えて物事を考える」という事が主になるので、私に取っての事実を淡々と書かせて頂くスタイルとなっているという事です。(※ちなみにここに書かせて頂いた件に付いては、私の中ではすでに解決済みです♫)

(^^✿

 

 

…という事で、それではここから最近の私の体験談を始めようと思います♫

☆_(_☆_)_☆

 

コラムでもお話しさせて頂いている事ですが、私はバレエとは畑違いの「演劇」という世界に最近ちょっぴりと足先だけ触れさせて頂く様になり、2月に舞台にも立たせて頂きました。

 

その舞台の後に、スタッフの方が作品別にそれぞれの感想と共に、その時の舞台の写真をスタッフブログに載せて下さったのですが、私は舞台前に別のスタッフの方に「もし参加された舞台を動画などにアップする事は可能か?」という様な趣旨の確認の質問をされた事がありました。

 

そこで「私が出演させて頂くものをもし動画や写真などでアップする際には、必ずその前に自分でチェックさせて下さい。私は職業柄今まで自分の写真は全て自分で選んで来ましたので、動画であれ写真であれアップする前には必ずチェックさせて頂きたいです」とお願いしていたという経緯がありました。

 

写真のチョイスというものは、それぞれ選ぶ方の思惑や好みや感覚というものがありますから、何が良いとか悪いとか、どれが正しいとか間違っているとかはないのですが、

 

私は昔から写真のチョイスに付いては、自分のものであっても他人のものであっても、とても丁寧に慎重に吟味する所があります。何故なら特に公にされる写真というものは後々ずっと残ってしまうものであり、何より全体の中の一部分が切り抜かれてしまうという性質のものだからです。(※動画にしても、宣伝用などの為に一部分を切り抜いたりする場合も同じ)

 

チョイスによってイメージがガラリと変化するのが写真や映像というものの面白い所でもあり、又怖い所でもあるという事は、マスメディアがゴシップ記事や捏造記事を書く時のイメージ操作の為に、そういう写真の性質を確信犯的に良く利用しているという事からもお分かり頂けますでしょうか?

 

写真というものは、それを観る者に大きなインパクトやイメージを残すという事を私は熟知しておりますので、今まで私は特に自分の仕事(バレエの舞台)の写真などでは、自分のものであっても、生徒やゲストの方達含む他の方のものであっても、

 

その作品としてのイメージが(それを知らない方に取っても)良く伝わるものでなくてはならないという事と共に、「データとして残るもの」として、相手の気持ちになって「載せられて嬉しい」と感じられる様なものを自分の美的感覚から丁寧に選んで来たという長年の経験があります。

 

そういう審美眼を鍛えて来た私なので、残念ながら(…と言うか私に取っては案の定)、今回のスタッフの方がチョイスされた写真は、自分に取って「作品のイメージが最大に伝わる」と感じられるものではなく、又個人的にも正直「嬉しい」とは感じられないものでした。

 

ですので私は事務所の方にお電話をして、「自分の写真は自分でチェックさせて頂きたい」という事を別のスタッフの方には舞台前に伝えていた経緯を話し、「別の写真を見せて頂いて、双方が納得する写真を載せて頂く事はできませんか?」とご相談させて頂いたのですが、

 

「写真の権利は当方にあるので、個人的なメールに資料として添付する事はできない(←※これは肖像権侵害という意味???)」と言われたので、

 

「では私がスタジオで直接写真を見せて頂いて、ご相談させて頂く事は可能ですか?」と質問したら、それも駄目だと言われました。

 

ちなみに私に取っては大変不親切に感じるこの対応に、正直私は「そこまでの拘り(プライド?)から来る料簡の狭さは何から来るのだろう?」と少々驚いてしまったのは否めませんでした。

 

多分スタッフ的には「仲間を非難された」という様な意識が働いて、彼女を守ろうとされたのかもしれませんが、私は誰も非難している訳ではなく、自分の要望を正直に話す事で両方が納得行く様に=誰も不平不満を持たなくて済む形になる様に相談させて頂いたという事しかありません。

 

ですが、今回の結果は(スタッフの方達で色々と話し合われた結果だと思いますが)「そういう事はできない」という事で、「私(大園エリカ)の写真だけブログから排除する」という事になりました。(※私が出演させて頂いたのは男性との二人芝居だったのですが、今まで私の写真と共に載っていた相手役の男性の方の写真のみを残して載せる)」という事になりました。

 

 

 

…と、ここまで書かせて頂いて、この経緯を読者の皆様はどの様にお感じになられましたでしょうか?

(^^✿

 

誤解がない様に申し上げますが、写真を選んで下さったスタッフの方に他意があった訳ではなく、スタッフの方は私の事を考えて、彼女のセンスで「これがベストな写真」というものを、彼女のハートから選択されたのだろうという事を私は理解しているという事です。

 

ですので私に取ってはそこには良いも悪いもなく、又私情を挟んで感情的にものを見るという事もなく、ただクールに「お互いの感覚や美意識が違うのだ。お互い個性が違うのだから、それは仕方ないのだ」という事実だけを淡々と観るのです。

( ・・) ~ ☆彡

 

けれど、多分私が皆様と違うのは「選んで下さったスタッフの方にも悪いし、私さえ我慢すれば良いのだ」とは思わないという所です。(笑)

 

私側からすれば、こういう事にならない為にスタッフの方に「事前に載せるものをチェックさせて下さい」と私はお伝えてしていた訳ですしね~。(でもそれを聞いたスタッフの方は、担当のスタッフには伝えて下さらなかった訳ですが…)

 

日頃から私が心がけている解決法としては、結果がどちらかのみの欲求に偏るのではなく、又間に人を入れる事によって生まれてしまう誤解が無い様に、当事者同士でディスカッションをして「両方が納得できる結論」というのをお互いに前向きに検討するというのが、私流な「大人の解決の仕方」なのです。

 

何故ならどちらかが頭で無理矢理自分を納得させて、自分の中にモヤモヤしたものをずっと抱え続ける方が、結局お互いの関係に取って良くない結果に行くというのを私は熟知しているからです。(※全ての誤解や揉め事というのは、実はこういう小さい事から始まりますので侮れません)

 

この私の思う「大人の解決法」ですが、多くの方がこの方法を避けて嫌がる大きな理由に、正直(私でも!笑)面倒くさい「ディスカッション」というものが必然になるからでしょう。(皆様、違いますか?図星ではないですか?笑)

 

でもそれは個性の違う人間同士が、お互いをハートで理解する為には絶対必要不可欠なものですからね~。ですので私はそれを重々承知で事務所に電話をかけ、相談させて頂いたという事なのです。

 

それに今後の事もありますからね~。だってこういう事で二度と同じ様な思いをしたくないじゃないですか?お互いに。

(^^;(^^;

 

私達人間の言動というものには必ず「何故そうしたか?」という理由がそれぞれにある訳で、だから誰も自分に於いては間違った行動はないのですが、

 

今回の例で一番私がお伝えしたいのは、それぞれが「自分に於いての正しさ」というものを持つ事から生まれる「お互いの行き違いや誤解」というものがあるという事なのですね。

 

例えば、これはあくまでも私の想像力からの解説になりますが、私の眼から視える「スタッフの方達の側から見た経緯とお気持ち」というものがあります。

 

 

 

【スタッフ側の言い分】(※あくまでも大園エリカの推測デス)

 

★私(スタッフ)はエリカさんが素敵に見えると思うものを選んだつもりなのに、本人からその写真を替えて欲しいと言われ、自分のセンスを否定された様でプライドが傷付いた。

 

★自分が非難された気持ちになった。エリカさんて我儘で嫌な奴!(※あくまでも大園エリカの推測)

 

★エリカさんが「載せる写真は事前に自分でチェックさせて欲しい」と別のスタッフに伝えていたという事だが、私(スタッフ)は聞いていない。

 

★エリカさんが自分の意向を伝えたスタッフは、ブログを制作するスタッフとは担当・管轄が違うスタッフ(講師)である。

 

★会員の一人に許せば全員に同じ事をしなくてはならなくなる&いちいち出演者全員の意向や我儘を聞いていたら仕事が増えるし収拾がつかなくなるので、クレームをいう者の写真は載せない事にする。

 

 

…という事ではないかと、私は今回の結果から推測致します。

 

 

 

ではここからは、私側の言い分になります。

 

 

【私の言い分】

 

★私はイメージを大事にする職業柄もあり、自分や自分以外の写真や動画など映像を使う際には、そのイメージを重視し丁寧に吟味するという昔からのポリシーを持っている。(※これはどの様な立場の方であっても自然に持つ拘りであり、誰でも自分に置き換えて考えれば理解できる事だと思います)

 

★スタッフの方にご迷惑をかけない為に、つまり今回の様に誰かが不愉快な思いをするという様な事にならない為に、私は「自分の写真を載せる前には、必ず本人に事前にチェックさせて欲しい」という事をスタッフの一人に伝えていたにも関わらず、それが担当の方に伝わっておらず、結果私にしたら勝手にスタッフの方が選んだ写真を載せられてしまった。

 

★私が自分の意向を伝えたスタッフは、ブログを制作するスタッフとは管轄が違うので、結果ブログ担当スタッフには伝わっていなかったという事を後になって伝えられたが、スタッフの仕事の管轄など含めた詳しい内情などは説明されなければ一会員である私には分からない。

 

★会員に取っては「スタッフはスタッフ」なので、管轄外であっても必要な事はスタッフ同士で伝言して下さるものと思っていた。(※私にしてみれば、前々からスタッフの方にお伝えしておこうと思っていた時に、たまたまタイミング良くスタッフの方からの質問が有ったという経緯があり、そこで伝えられたという思いから)

 

★メールでの写真添付は不可(肖像権侵害防止の為?)という事だったので、私は「それならばスタジオで直接写真を見させて頂いて、ブログ担当のスタッフの方と相談しながらお互いが満足できる写真を選ばせて頂く事は可能か?」と、"お互いが納得できる選択"への提案を私なりに試みた。

 

★その結果、私は「写真削除」という選択しかないというスタッフ側の出した結論を受け入れた。

 

 

 

この様に立場を変えて物事を観れば、どの方に取っても「何故そういう行動をするのか?」という根っこ、つまりその方に取っての正当な理由というものがそれぞれにあるという事ですね。

 

でも説明不足や情報の行き違いから、お互いが勝手に相手を「こういう人」と思い込んでギクシャクするという事は世の中にはゴロゴロ転がっている事でしょう。

 

だからこそ自分を知ってもらうには、誠実に相手と向かい合う「当事者同士の大人のディスカッション」しか方法はないのですが、でも特に日本人の多くの方達はそれを非常に面倒くさがる所があります。(※直接話す事を避けて「間に人を入れたがる」という事を好む人の何と多い事!)

 

その最大の理由に"被害者意識"というものがあると私は感じます。

 

お互いを理解する為に、或いはお互いに取って良い選択ができる様に、お互いが冷静に単なるディスカッションをするだけなのですが、何故かそれを回避したがり普通の会話ができなくなる人が多いのは、それだけ「相手は自分を非難している」という思考癖を持たれた方が多いという事ではないかと私は思います。

 

故に自己責任を回避したがり、赤ちゃん文化で「身内を庇う・守ろう」として間に人を入れたりする為に、益々お互いを知る事から遠ざかり、誤解し合ったままという人間関係を経験された方も多い事でしょう。

 

でもそれは自分に取って、果たして本当に気持ちの良いものなのでしょうか?(ちなみに私にしたら「大人だったら、自分の事は自分の口から説明できなくてどうする?」という所でございます♫ 笑)

 

えぇ、えぇ、そりゃ~面倒くさいですよ~。私の様な人間に取ってもね~。でも大人達が怖がってそれをしないからこんな世の中に成っているのではないですか?…という事です。(笑)

 

ちなみに人間というのは、「自分の立場に近い者の方へ感情移入し味方する」という性格がありますから、今回の事も、或る方には「スタッフ側の気持ちが良く分かる」と感じられるかもしれませんし、逆に「エリカさんの気持ちの方が理解できる」という方もいらっしゃる事でしょう。

 

今回の件では、スタッフの方達の選択を私が尊重するという結果に落ち着きました。

 

もし私がスタッフだったら違う選択をするなぁとも思いますが、自分がそうである様に、相手には相手の意向がありますし、私に取っては自分に正直に自分のベストを尽くした結果なので、この件に関しては自分の中では全てスッキリ理解&解決済みでございます。

(^^✿

 

 

 

 

 (※ポストカード より)

 

鳥や動物達は、私達人間の様に"言葉"というものでコミュニケーションはしませんが、多くの人間よりもお互いを感じ取っていて愛に満ちている様に私は感じます♡

(*^^*) ~ ♡ ♡ ♡

 

 

 

私はバレエという「言葉を必要としない芸術」というものに携わって来たので、「語らずとも感じ合う」という、謂わばテレパシーで会話をする様な高尚な世界を経験しています。

 

動物達の世界もそういう世界なのではないかなぁ?

 

ちなみに演劇という世界は「言葉」というものをツールとする世界。でも「言葉の要らない世界」を知っている私に取っては、「言葉」というものは不自由さを感じるものでもあるのです。(実はこうして「書く」という事も、私の中では同様です)

 

演劇を始めてみて、改めて私が感じている事があります。それは、私に取って居心地の良い世界は、やはり「言葉を必要としない高尚な世界」なのだなぁ…という事です。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

 

 

 

 

 

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年