- 橘 凛保
- 社団法人橘流恕学アカデミー 理事長 講師
- 東京都
- マナー講師
対象:婚活
- 舘 智彦
- (しあわせ婚ナビゲーター)
ようやく「平和の祭典」にスポットライトが・・・
今夜TVをつけたら東京オリンピック・パラリンピック(以下東京五輪)の番組を放送していた。
やっと「平和の祭典」が前面に押し出されて嬉しく思います。
今から8年前のこと。
2009年暮れに広島にオリンピックの話が出たことがある。
私はすぐさま「平和の祭典」を唱えたクーベルタン男爵を思い出しました。
「平和の祭典」であるオリンピックに広島はふさわしい。
私はそう思いました。
「そうだ!バトンしているカンナリレーのカンナたちをここ(オリンピック会場)に咲かせよう!」
「そうだ世界にもバトンをつながなくては!」
そんな時、不思議なことにモン・サン=ミッシェルにカンナを咲かせる話がくるのでした。
現在16カ国につないだ世界カンナリレーの幕開けだった。
しかしながら広島オリンピックの話は立ち消えになった。
それでもいつか巡ってくるような気がした。
いつか巡ってくる時のためにと世界にも咲かせ続けてきた。
それからわずか4年後。
2013年、東京に招致の話が再び捲き起こる。
カンナをつなぐ学校の子どもたちに相談する。
大賛成でたくさんのアイデアが提案され「カンナ子ども夢プラン」ができる。
その背負い中学生の夢の実現のために高校生。大学生型違って次世代チームを作った。
いよいよ東京五輪に向けてあと2年半となった。
ようやく「平和の祭典」に大きなスポットが当てられた番組だった。
1964年の東京五輪。大島謙吉氏。こういう人が現れるのですね。「平和の祭典」に重きをおいてがんばった人です。
金メダルの数を15個と宣言したのも数を競うためではない、
ここが大事なところである。
綿密な研究の科学的裏付けの元の哲学のある発言だった。
「最後まで勝ち残ることが、世界中から参加する人たちへの最高のおもてなしなんだ!最後まで勝ち残っていないのは非礼だ!」ベストを尽くして戦うことが友情を築く。
その友情こそが平和を築く。平和のためのスポーツの始まりだった。
結果は金メダルの数は16個。
しかしそれ以上に世界中に感動を与えたのは閉会式だった。
各国ごとの順次の入場ではなく、参加国が入り混じっての入場となったのだ。大島氏は言った。
「世界平和のためにオリンピックが必要だというのは、ああいうことなんだよ」
つくづくの言葉だったと私は感じた。
2020年、二度目の東京五輪が開催される。
今、カンナ・プロジェクトでカンナのバトンリレーをつないできた子どもたちが、「この東京五輪会場につないできた世界中のカンナを会場に咲かせよう!」という夢を持っている。
「株分けしたカンナの球根と言う媒体でつないできたカンナで、お互いがお互いに想いを馳せ合うことが平和を築く」と言う信念のもとバトンをつないできた。
そして、そのカンナはただのカンナではない。
まさに1945年原爆から1ヶ月で爆心地820mに咲いてくれた真っ赤なカンナなのだから。
二度と繰り返さないために、生きて伝えてと人々に伝えるために原爆にも負けないで咲いてくれたカンナだからだ。
今、カンナ・プロジェクトの次世代の高校生や大学生が、各関係機関に「平和の祭典」を打ち出し、カンナを咲かせる提案をプレゼンテーションしている。
原爆は二度とあってはならない、戦争では何も解決できない。
スポーツでベストを尽くし合うこと。
花をバトンして咲かせ合うこと。
そういう身近で小さいことが平和を作ると信じている。
国とか宗教とか政治とかいう「所属」の枠を超えた共感・共鳴をつなぐことだと思いこの活動をたんたんと続けてきました。
平和は語るだけでは作れない。
どんなに小さなことでも、平和になれそうなことを行うことだと
私は思う。
75年は草木が生えないと言われたあの被爆の後わずか1ヶ月で返り咲いてくれたカンナは何を伝えたかったのだろうか。
感じてみてほしいのです。考えてみてほしいのです。
そして、その75年が2020年なのです。
不思議な巡り合わせです。
カンナは1ヶ月で咲いてくれたが、本当の意味での花が咲くのは東京五輪なのではないかと子どもたちもそこに気付いたのです。
平和な未来は子どもたち自身が作ります。
応援してやってください。
カンナ・プロジェクト
https://cannaproject.wordpress.com/