- 敷浪 一哉
- 有限会社シキナミカズヤ建築研究所
- 建築家
対象:住宅設計・構造
なるほど。
漫才やコントを作るという過程は、まさにそういう部分の調整を結構理論的にやっているらしいし、そういう構成能力が映画や小説などで力を発揮することにも繋がるのだろう。
そこで建築家。
その中でも自分を含めて住宅作家という部類にはいる人間について。
住宅作家は超生活者であるから、そのサジ加減で遊ぶことができる。
同じような書き方をするとちょっと伝わりにくい感じになってしまったが、まさにそういうことである。住宅作家が作り出す様々な生活空間と生活のカタチ。簡単に「奇抜」という表現をされてしまうが、そこにつぎ込まれる理論は計り知れない。そこを理解してほしい という気持ちもありつつ、なかなか理解されないということもきちんと考えなければならない。
建主を無視して建築作品としての追求をすることは良しとは思わないし、建主の言いなりになって、失敗した責任を建主に押し付けるようなこともしたくない。
ただやらなければならないことはある。
一つは、建主のどんな夢や希望であっても、それを叶える いやそれを超える提案をできる許容を持つこと。
これは、もちろん経験も必要だが前日のコラムのように、経験を超えるものも備えなければならない。
もう一つは建主にうらやましがられるような豊かな生活をすること。
こんな人とお付き合いしたら楽しいだろうなーという気持ちにさせなければ、一生のお付き合いである家づくりなど頼みたくないだろうから。
さあ、いつも気にしていながらなかなか実践するのが難しいことである。