- 塚本 有紀
- フランス料理・製菓教室「アトリエ・イグレック」 主宰
- 大阪府
- 料理講師
対象:料理・クッキング
- 黄 惠子
- (料理講師)
鳥取の二十世紀梨をいただきました。とても立派!
上品な甘みと、ぼたぼた果汁が垂れてくるほどのジューシーさ。
最近では赤い肌の梨に少々押され気味にも見えますが、私は二十世紀梨が大好きです。
それは子供時代の思い出にも影響されているのかもしれません。
子供の頃、祖父母は兼業で畑や田んぼをしていました。
喘息持ちだった私が作業を手伝うことはなかったものの、母の握ったおにぎりをお昼に届けたものでした。
田んぼの畦道には、枝豆や小豆、そしてずらっとなぜか二十世紀梨の木が10本ほども並んでいて、稲刈りの頃には実が落ちてくるのを楽しみにしていました。それはとても小さくて、売り物になるようなレベルではまったくありませんでしたが、なんとはなく楽しいのです(今も収穫ものが好きなのはこれに起因していると思います)。
そういえば夏休み、もう一台の冷蔵庫を開けると、祖母の育てたすいか、こだますいか(黄色)、まくわうり、そして弾けんばかりの勢いのあるトマトがぎっしりでした。とうもろこしとキュウリも。
昔、トマトに甘みが求められることはなかったように思います。ヘタの近くにある、「青い香り」が強烈に強かったことを今も鮮明に覚えています。
しかし食べても食べてもあるので、少々ウンザリしていたのも確か。子供には甘いトウモロコシやすいかのほうが魅力的。
勤めで東京に一人暮らしをし始めて、「トマトは選ばなければおいしくない」ということを初めて知りました。パリでも「フランスが農業国だからといって、すべてのトマトがおいしいわけでもない」と知りました。フルーツトマトなるものを初めて食べたとき、なんて甘いのか、と思いました。
今の時代、甘いトマトはたくさんあれど、いつしか青い味のするトマトはなくなってしまったように思います。今も教室をしながら、「おばあちゃんが生きていたら、あのトマトが使えたのに」と残念に思うことがあります。おいしいもの好きだった祖父が生きていたら、「一緒に食べ歩きができたのに」と、ときどき懐かしく思い出します。
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