多数決 その1
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2005-12-07 01:15
思えば、すごく乱暴に成長期を送ってきたのだな。
文化祭だの体育祭だの、
学級会だのホームルームだの、
決めごとは常に多数決で行われてきた。
そう、育った。
大した理由があろうとなかろうと、
信念があろうとなかろうと、
練られた合理性があろうとなかろろうと、
時間がくれば最後に皆同じ一票でもって、手を上げて数を数えて単純に決まる。
急になぜそんなことに疑問を感じたのかというと、
ハッと気がついたのだ。
僕はもう何年も(十年以上か?)そういえば、多数決のある集まりに参加していない。
国民投票を除けば、
ワタクシ個人の思惑とは関係なく、多数だというだけの理由で物事が決定され、
自分にとって意に反する事でも、そのように動かなくてはいけないという立場になったことが、
・・・・・・ないのだ。
いま僕は、どんなことでも自分の判断によって動いている。
世の中の現状と、何が自然かということと、
動物としての直感と、予測可能な未来と、自分の信念と、
そんなものに照らし合わせながら、
仕事でも家庭のことでも仲間との活動のことでも、必要に応じてひとつひとつ物事を決めていっている。
だがそこに、
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このコラムの執筆専門家
- 須永 豪
- (長野県 / 建築家)
- 須永豪・サバイバルデザイン
響きあう木の空間
森や山と人、地球が健全に回っていく様子を見届けたい。 木を街に届け人の営みに森をもたらし木が、森が、地球が、生命が、人が、そして星々や宇宙までもが響あいはじめるそんな木の建築空間宇宙の意図が起動する響きあう木の空間をつくろう