- 宮本 ゆかり
- マイウェイネットワーク
- ビジネススキル講師
対象:ビジネススキル
つまり、日本は法律によって社会のルールや秩序が保たれているけれど、中国はルールではなく、“人”次第。どんな人脈をもっているかが重要だ、という意味です。
中国に住んでいると、この違いをまざまざと感じさせられることがあります。
でも、その現象が、私にはどうも不可解なのです。
例えば、親が地位の高い政治家(例えば市長)だとしましょう。
そうすると、その子どもや親族は、その親の地位をたてに、社会から様々な便宜をはかってもらうことができます。
例えば、ある組織での昇進・昇格が早かったり、何かの申請〔例えば会社の登記等〕がスムーズに通って許可されたり、普通は借りられないような公共施設を利用できたり・・・等。
もちろん、こんな特権が与えられるなど、法律では謳っていません。
いやむしろ、もし、こんな事実があると、まともに表に出たら、法律上は罰せられる可能性だってあります。
でも実際、そうはならずに、この構図が成り立っているということは、人々の意識が強固な“人脈社会の常識”を作り出し、そこに実効力をもたせているとしか思えません。
日本だったら、「うちのお父さん、市長なんだよー」といえば、「あっ、そう」で終わりです。
せいぜい「それはすごいねー」と誉めてもらえて、精神的にちょっと優越感に浸れるぐらいのものでしょう。
その子どもは父親とは別人格の存在であって、社会でポジションを獲得したければ自分の努力と実力で評価されるしかありません。
(たまに例外的に親のコネで・・・なんてこともありますが、そういうことは恥ずべきことだという認識があるから裏でこっそり行われるのでしょう)
聞いた話よると、“毛沢東の孫”にあたる人がいて、いろんなイベントや催しに顔を出し、「自分は毛沢東の孫だぞ」と言うだけで、お金がもらえているそうです。
「だからなんなの?」と、私なら突っ込みを入れたくなりますが、中国人の場合、それだけでも商売が成り立ってしまうのです。
地位や名声に媚び、そこに価値を見出してお金を払ってしまう人がいるからでしょう。
別に法律で、「著名な政治家の子孫は、死後も地位と報酬が保障される」と規定されているわけでもないのに、やはり中国人自身の意識が、ある種の地位名誉に対して実効力のある価値を与えてしまっているのです。
この意識は、まだまだ強固な『市民権』をもって、まかり通っています。
この『市民権』を、中国人自身が放棄しない限り、フェアなビジネスをしたいと願っている外国人が、中国を心から愛せることはないでしょう。