年末年始の「風邪・インフルエンザ狂騒曲」考察 - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
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年末年始の「風邪・インフルエンザ狂騒曲」考察

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私は先日書かせて頂いた「貪欲な支配層のお陰で、この地球は私達の想像を絶するあまりに馬鹿々々しい事で埋め尽くされている」の中で、以下の様にお伝えさせて頂きました。


↓       ↓       ↓


家で安静に寝ていれば自然に治る風邪ごときで病院に行きたがる人達は、相当洗脳されていると私は思う。「無理矢理薬で毒素を体内に押し込める」という不健康な医療ビジネスの良いカモ達じゃな。


東洋医学では「デトックスである風邪はこまめに引いた方が大病しない」とも言われているし、薬で無理矢理抑え込む事の方が怖ろしいと私は思ってしまう派。


病気になると、精神的に自立出来ている人とそうでない人とで「人にして欲しい事」は顕著に分かれる気がするなぁ。


甘ったれた人ほど、風邪を引いた人を必要以上に過保護にする傾向があるけれど、それをウザい=過剰に心配されるより静かに寝かせてくれた方が有難いと感じるのは精神的に自立している人だと思う。だって「静かに寝てたら自然に治る風邪」なのだから。勿論発熱に命の危険が伴うデリケートな赤ちゃんや高齢者や、他に重病を患っている様な方達は別にして。


こういう人達が「思いやりワクチン」という偽善を好むのではないかなと思う。発想が逆だという事に気付かない人達でもあると思う。




又、noteの方では、この様な事を書かせて頂いております。


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noteより

「洗脳する側」&「洗脳が深い方達」あるある


https://note.com/e_brand/n/n506c0fa798e2


今回は、未だに自分が洗脳されている事を認める事が出来ない方達に付いて触れてみました。


ここまで来ても「今までの自分は正しかった」という事にしておきたいというエゴが邪魔をして、この世の真実や事実に素直になれない方達に付いて、改めて考察してみたという感じでしょうか。


ちなみにそういう方達というのは「『情愛』と『愛情』を履き違えている段階に生きておられる」という共通点がある様に私は思います。


そういう方達は「愛」と呼ばれている、或る意味"何処か曖昧であやふやなもの"を用いながら「自分の為に誰かを愛する、情愛を持っている自分」に酔い痴れているナルシストの様に私の目には映ります。


自分がどれだけ慈愛と慈悲に溢れた人間なのかという事を、常に外にアピールしたい方達という事を思います。


この様な方達は依存心がとても強いので、それに比例して情愛が深くなり、その分執着というものも強くなる様な方達です。


でもご本人はそういう自分には自分では気付けないのです。何故なら彼らは「他の誰よりも、自分自身を情愛しているナルシスト」だからです。


こういう方達は、人を愛する時にさえ自分に酔い痴れているので、「自分がナンボのもんじゃい!」という謙虚な視野を持てなくなってしまう方達だからなのでしょう。


今回はそんな事を改めてクールにシビアに思いながら、この記事を書かせて頂きました。どなたかの何かの参考になれば幸いです。




そして今回の記事は、その続きの様な内容となっております。以下、ランダムなXポスト(ツイート)を通してお伝え致します。(※パープルの文字私のポストです)

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡




Mitz

https://twitter.com/hellomitz3

ワクチン打ってない人の共通点は風邪かかってもすぐに治る。インフルでも1週間すれば治る。1ヶ月以上ずっと体調悪いとか、何回も連続で風邪ひくとか、そういうのは総じてワクチン何回も打った人。あまりにも明らか。


なるほど。




田中つや子

https://twitter.com/njshizako160

医師の家庭は、風邪ひいて寝込む家族本当にすくなかった、いまは知らないが、私の生きてきた環境では、子供の熱はさげない、冷やすが常識だった。昔の小児科開業医もそんな感じのかたが多かった。


いまはママたちも熱でたと騒ぐし、我々ばあ様世代まで孫が風邪ひいたと騒ぐし、孫が熱だしたからうちにこれなくなり、いつもの薬たりなくなりましたと電話くる。一家あげて、大騒動である。


私の子供時代、親戚の幼馴染みで熱ばかりだす子がいたが、寝かせておいてというよりほっといて、頭を冷やすくらいで、ほかの皆で遊んでいた、いつのまにか熱さがり皆とその子も遊んでいたものだったが、


いまは、熱でた!と子供から大人まで狂ったようにさわいで医療機関にいくのか理解しがたい。


コロナの前どうだったかわすれたが、今日もクリニックでようとしたら狂ったように電話がなりつずけ、みたら市外のからの着信だった。寝てれば治るのに、死ぬ病ではないのに。


ただ熱でた!と騒ぐかたは、マスコミにふりまわされ、コロナワクチンたくさんうったり、紙マスクしていたりと同一感がある。


先生、マスクなしですかとよくいわれる、毎日何十人も発熱患者みているがマスクなし、うつらない。



私も同じ感覚で、今のこの異常とも言える過保護社会を観ています。




田中つや子

https://twitter.com/njshizako160

私はガンガン発熱外来で電話してくるかたは、冷静さを失いおかしい!と考えます。うちにも狂ったようにガンガンかけ、家族何人でいきますとかよくあります、


おかあさん、熱家族がだした原因、なにかほかにありませんか?

まずワクチンうちすぎてませんか?

駄菓子だけで食事終わってませんか?


もりよ先生が正義のミカタで風邪で病院いくな!といわれましたが、そのとうりです。



異議無し。静かに安静にして寝ていれば自然に治る風邪如きに大騒ぎするのはホント見苦しい。いつから日本は大の大人が理性や知性というものを失ったのだろう?





rina

https://twitter.com/rinarin65197667

「風邪ひいたら医者に行かなければならない」「医者に薬をもらって治してもらう」って思ってた時期があった。しんどい時にふらふらになりながら、病院へ行ったりしてた。


ある時小児科に行った時に「水分が取れてるのなら家でゆっくりしといた方が良い」って言われて、その時は「は?そんな事言って責任取れるん?」って思ってた...


もうよっぽどの事がない限り病院にお世話になることはないけど、その小児科の先生は子どものことを考えて言ってくれてたちゃんとした「医者」やったんやな。



正しい対処にこうして気付く方もいる。




適当

https://twitter.com/tekutoman

まともな医者ですね。意識が朦朧、水分も取れない、痙攣するなどがあれば医者にかかる方が良いと思うが、少し熱があるからと病院に行くのは馬鹿のやる事。



異議無し。


結局「風邪を引いたら、自分がして欲しい事を他者にもするのが愛だと勘違いしている人間」が、特に「必要以上に過保護にする事を愛だと勘違いしてしまう大人」が、この"赤ちゃん文化"で育ったこの国に多過ぎるのだと私は思う。


過保護にされるのが大好きな人達は「心配してあげる事が愛情だ」と妄信しているから、「風邪は安静にして寝れば治る=治るには時間が必要」とクールに思っている大人の人達にはウザがられているという事に気付けない鈍感な人達なのだと思う。何故ならそういう大人な方達には「過剰な心配」という偽善は必要無いからだ。


そういう事が分かっていない人達ほど「心配してあげているのに!」とか「心配してくれているのに!」とか「心配してくれる優しい人に感謝しろ!」とか「心配しない人間は冷たい」とかいう思考になるんだと思う。


彼らは過剰に心配するという自分の不安が、どれだけ周囲に委縮という重たいネガティブエネルギーを放っているのかが分かっていないのだと思う。同じ価値観の人なら喜んでくれるのかもしれないけれど、そういう偽善的な愛を「疲れる」と感じている人間は、実は多いのではないだろうかと私は思っている。





倉田真由美

https://twitter.com/kuratamagohan

私は「育ちが悪い」という表現が好きじゃない。「育ち」とは、本人の努力では変えられないものだ。育ちが悪いと言われない努力はできても、育ちそのものは変えられない。最も根深い差別は、努力でどうしても変えられないこと(生まれ、性別、国籍等)を差別することである。



私は「育ちの良し悪し」というのは、家柄とか国籍とかではなく「健全な愛情を注がれて育った人かどうか」だと思っている。


両親から、或いは育ての親から「母性的な慈愛と父性的な慈悲の両方をバランス良く与えられながら育った人」かな。現実的にはなかなか難しい事だと思うけどね。


ちなみに母性的な愛は、人間が赤ちゃんや乳幼児の時には無くてはならないものだが、子供が成人するにつれて「罪になるものでもある」と言われている。過保護に育てられた偏りのある人間は、我儘に強欲に育ったり、人の痛みが分からない様な人間に育ったり、逆に社会に出た時に打たれ弱い人間になったりしてしまうという事だと思う。





アドラー心理学サロン(アドサロ)

https://twitter.com/PositiveSalon

あなたを傷つけた人は、あなたを傷つける動機があったのではない。あなたを傷つけることを通して、自分の中にある苦しみを和らげようしていただけなのです。それくらい、人を傷つけるようなことをする人は、心を病んでいるのです。



 

心を病んでいると、自分が残酷な事に気付けないのかもね。




Moongiger

https://twitter.com/moongiger

ディストピアすぎて笑っちゃった

ブレードランナーの数百倍怖いぜ

https://twitter.com/i/status/1875926784128283114



こんな世界を見て今の子供達は育っているんだなと私は思う。そりゃ情緒不安定にもなるわと思う。もしくは無機質な感情の無い子供に育つかのどちらかな気がする。


似たり寄ったりの映像を使うゲームやアニメ等も、意図された洗脳教育の一環なんだと思う。これらの映像やゲーム等で使われている"目に入って来るものと耳から入る音声"は、人間の脳をジワジワ壊していると私は思う。





まりなちゃん

https://twitter.com/t2PrW6hArJWQR5S

これほど世の中が狂ってくると、正常な人間が異常者扱いされるようになる。同調圧力が正常な人間を押し潰そうとうする。それがみんなのストレスの正体なのです。

 





ShortShort News

https://twitter.com/ShortShort_News

OpenAIの取締役会の面々

OpenAIでは、この面々が何が事実で何が正しいのかを決めていく

投稿主はChatGPTを使うことをやめることを呼びかけている

https://twitter.com/i/status/1876139798156771596




字幕大王

https://twitter.com/jimakudaio

想像していた通りの展開。人々は物事を考えなくなり、必要なことはAIがやってくれ、AIの出力することは、特定の勢力に都合の良いことだけになる。Googleは都合の悪い情報を検閲してきたが、全く同じことがAIでも起こっていく。そして人類は、どんどんと奴隷化していく。




100年のつけ

https://twitter.com/harunokizashi55

人がAIに従い感性を捨てる時、生き物ではなくなる。





   


これ、思考が常に「過去と未来を行ったり来たりしながら"混沌とした今"を生きている私達」の姿の様にも見えて来ます。

(^^;(^^;(^^;(^^;(^^;





「世紀末」とも呼ばれている、この支離滅裂で狂った時代の中で、自分を見失わずにいる為に、私達は一体どうすれば良いのでしょうか?


その答えは、こちらの奥深いメッセージの中にあると私は感じました。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡




OSHO bot

https://twitter.com/osho_bot_jp

闇に対しては直接何をすることもできないということ--

もし闇をどうにかしたければ

あなたは光について何かしなければ駄目だ

闇についてじゃない


光を消せば闇がそこにある

光をつければ

そこに闇はない

しかし闇をつけたり消したりすることはできない





noteさんにも記事を書いています。

 (※こちらにしか書かないショートメッセージをいつも添えています♪)

lilac(ライラック)

https://note.com/e_brand




私のXポスト(旧Twitter)はこちらから

(※記事に載せていない社会的なコアな情報も、結構ポストしています)

E-brand

https://twitter.com/Ebrand30179826




【参考コラム】


【note】より

世界的疫病も大地震も人類支配コントロールの為に経験者がいなくなる頃を見計らって人為的に起こされる 

https://note.com/e_brand/n/nb650b25b28f4




 宜しかったら、こちらも是非ご覧下さい。

  ↓       ↓       ↓

世界的コロナパンデミックが何故引き起こされたのかが分かる【参考コラム】特集Ⅰ


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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年