外側に「本物」を追い求めると必ず失望に終わる理由は「自分に取っての本物は究極自分しかいない」から - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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外側に「本物」を追い求めると必ず失望に終わる理由は「自分に取っての本物は究極自分しかいない」から

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今回は、随分前に「こういうテーマで記事を書きたいな」と思って、その時に下書きしたものが前半に含まれておりますので、


最初に取り上げさせて頂いているXポスト(ツイート)は、大分前のものであるという事をご了承下さい。(※繋がる内容のものとして、近々のものとミックスしてお届けしています)


でもトータル書かせて頂いている内容は、前回書かせて頂いた「最近私が感じている事をランダムに ⑮」と偶然繋がっている様に私には感じられており、そうした時間を超えた"いつの時代も通用する真理"であると私自身は感じております。(※以下、パープルの文字私のポストです)

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡




野中しんすけ@ただの看護師

https://twitter.com/nonaka_shin

なぜ、死亡診断書を捏造だ!偽造だ!と言ってた医者は「削除」で終わらせようとするのだろうか?『ごめんなさい』が言えない大人ばかりで恥ずかしいよ。



「ごめんなさい」が言えない大人の思考回路には「自分も被害者だ」という様な、自分都合で姑息な"後出しジャンケン的無責任思考"があるのが共通点な気がする。


多くの人達には幼少期に親子関係等から無意識に抱えたトラウマから来る思考癖があって、人に意見されると「自分が責められている」と受け取ってしまうかららしい。こういう人達は被害妄想が激しいので、建設的な話し合いとかディスカッションという大人の会話が出来ません。


こういう大人の顔をしたお子ちゃまは非常に感情的で「ヒステリーを起こして会話をストップさせる」という技を持っている。最後は「怒りによる開き直り」という技を繰り出す事もある。人間として非常に可愛気のない未熟な大人達である。





外側に「本物」を追い求めると必ず失望に終わる理由は「自分に取っての本物は究極自分しかいない」から。でもこういう真理を理解していない人達は、常に外側に救世主を求めて彷徨い歩く。自分を理解し賛同したり共感したりして慰めてくれる"自分に取っての人格者"を求め続ける。


そうして自分に取って「この人は人格者だ!」と思える人に接近するも、そういう関係は必ずと言って良いほど失望に終わる。何故ならそれが「最初に勝手に自分が相手を美化した為に起きる必然的なバランス」だからだ。


そうして自分が勝手に美化した相手&これ又自分が勝手に失望した相手をジャッジしたり、なじり始めたりするけれど、相手の都合で勝手に美化され失望された本人には、非常に迷惑なお話しだという事に本人は気付かない。





佐々木 剛行

https://twitter.com/takayukipoipoi

波動は選べます。自分の周りに人間関係のトラブルを抱えていたり、それに伴い何か問題が生じたりするのも、今の自分が置かれている状況は、自らが選んでその波動の世界にしがみついているからです。誰かや何かのせいにしていないで自分から波動を切り替え、幸福な波動の世界を選択したいものです。



誰かのせいにしている内は、自分が成長出来ないと私は思う。誰かのせいにするのは一番楽だけど、そういう人の語る事は常に誰かへの愚痴になるから、人間として尊敬はされないと私は思う。それを聞かされたとしても、誰も何も解決してくれないよ。





巷で良く見掛ける「あなたの事を完璧とは思っていない」とか「聖人ぶって!」とか言う人の共通点は、人としての未熟さかなぁ。誰もそんな事思っていないというのにね。こういう事を自ら口にする人って、実は根深いコンプレックスを抱えている人に多い。


こう言う人達は、実は物凄く競争心が強い人達。こうした言葉を放つという事が、それを物語っているという事に自覚が無い人達。言葉でいくら分かった風に装っていても、心の中ではいつも誰かと競争しているから出て来る言葉だと気付いていない人達だから、人として可愛げの無い人が多い印象。


ちなみにこういう人が話す事は「他者の容姿」の事であったり、「非常に片寄った正義感が入り混じった憶測からのものの見方」であったり、人が身に着けている物に対して「高級品か否か」を見定める様な品の無さがある。でも自分では自覚が無い様だ。


自覚が無いから「自分の事はいつも棚の上で他者をジャッジする」という自分の傲慢さに気付けない人達。自分が凄い思考癖を持っている事に自覚が無く、そうした自分の内面を他者に投影してしまう故に「ああ言えばこう言う」人達だから、人としての可愛気が無い。


宇宙的視野で観れば、私達は皆「どんぐりの背比べ」だと言うに。そういう意味で「お前がナンボのもんじゃい!」という視野を、私達はお互い自分に持っていた方が良い様に私は思う。


自分に取っての本物を外側に探し続けて、自分が人格者と思える誰かの金魚のフンとなり、虎の威を借る狐になった所で、自分の抱える問題は何も解決しない。


自分以外の誰かを、勝手に自分の都合で人格者に仕立て上げた所で、いつも堂々巡りに同じ事が自分の人生で繰り返されるだけだという真理を、お互い知っておいた方が良い。


究極誰に取っても「自分に取っての本物は、自分自身で成って行くしかいない」という事を、各自謙虚に知っておいたほうが良い。






シギさんにはシギさんの個性があり、セキレイさんにはセキレイさんの個性があります。

どちらにも比べる事の出来ない、それぞれの魅力があります~☆彡

(^^✿




口では「個性、個性」と言いながら、自分じゃないものに憧れて、自分じゃないものを美化したり崇拝したり妄信した所で、幸せになんてなれる訳がないと思うのは私だけでしょうか?

(^^;(^^;(^^;(^^;(^^;


自分と全く同じ人間はこの世には存在しないのに、私達は個性も性格も容姿も、気質も感性も育った環境も歩んで来た人生も、皆"唯一無二"で違うというのに、


何故私達人間は「自分を理解しないと自分が思う人」に対して不満や怒りを持つのでしょうか?何故自分の外側に自分の理解者や救世主を求めるのでしょうか?


それこそ「非常に傲慢な思考」なのではないかと私の様な人間は思います。


では、何故多くの方達が「自分が自分の救世主になろう」と思わず、「自分を理解してくれる救世主を外側に求めてしまう」のでしょうか?それは人間とは"実に怠惰な生きもの"でもあるからです。


その方が「自分の真実を見なくて済んで楽」だからです。誰かの受け売りで"頭でっかちに人生を生きる人達"は、自分の人生に自分で責任を取らなくて済むからです。


でもそうした人生を送る方達は「真の自信で自分を満たす事は永遠に無い」と私は思う一人です。

(^^;(^^;(^^;(^^;(^^;





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(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年