
- 藤井 雅子
- メンタルエステ ココロの部屋
- 東京都
- 心理カウンセラー
対象:心の不安・性格改善
最近野菜が高くてビックリします。先日、スーパーで値段を見て思わず固まってしまいました。気のせいか、まわりにいる人たちも野菜売り場を呆然とさまよっているように見えました
さて、コミュニケーションにおいて誤解が多いと感じることのひとつに、媚びと愛想の混合があります。
この2つはぜんぜん別のものです。
媚びというのは相手の機嫌をとるためのふるまいですが、愛想というのは自分が機嫌よくふるまうことです。
人に媚びてしまうのは、自分に自信がなく、他人からの評価が自分の価値だと思いこんでしまっていることが多いように思いますが、いかがでしょうか。
「私を好きになって」「私を嫌わないで」と自分への評価をおそれて相手の顔色をうかがって気に入られようとする=自分より他人を優先する、つまり自分のことは後回し、それってとても消耗しますよね。しかも、その割には報われないことも多く、悪循環になりがち
媚びというのは「私を好きになって」という見返りを求める自己アピールです。だから、うまくはまればいいけれど、リスクも大きい。警戒されたり嫌悪されたりする可能性もあります。
人間関係は、仲よくならなければいけないものではありません。無難でOK。つまり、プラスである必要はなく、ゼロでいいんです。また、好かれるか嫌われるかの二択でもありません。たいていは「どちらでもない」です。そして、好き嫌いは各人の感覚的なもので、押しつけられると良くも悪くも人は過剰反応しがちです。
一方、愛想よくするというのは、仲よくなることを目的にはしていません。表面的に気持ちよく接すれば目標達成、その場さえ円満に過ごせればよくて、個人的な感情は考慮しません。
機嫌よくふるまっていると、結果として他人から好感をもたれることも多いですが、他人に好かれることが目的なのではなく、わかりやすくいえば、不要な敵をつくらずその場の居心地をよくするために必要な社交スキルだと思います。
愛想よく人に接するのは、「私は平和を望んでいます」「私は無害です」「だから安心してね」をアピールするようなもの。相手からの評価や機嫌を気にするというより、相手に無駄な警戒心を抱かせない=快適な雰囲気づくりのようなイメージです。まあ、相手の反応以前に、ニコニコしていると自分が気分いいんです。
だから、愛想がなさすぎる人、不愛想な人は要注意です。
リアクションが薄い人は、本人にその気がなくても相手を緊張・警戒させてしまっている可能性があります(最近は「不機嫌ハラスメント」ということばもあるくらいです)。
本当はすごくやさしい人なのかもしれませんが、自ら話しかけてほしくない空気を発してしまっているので、わかってもらうチャンスも少なく誤解されやすくなります。場合によってはマイナスの印象からのスタートになってしまうかもしれません。
そうしたリスクをわかったうえで薄いリアクションをとっているならいいのですが、もし寂しさや孤立感などがあるようなら、もう少し愛想よくふるまうことを試してみてもいいかもしれません。
「意味がない」「無駄」と言う人は誤解しています。社交スキルは円滑な社会生活のためのマナーのようなもので、身につけていないと思わぬところで損をします。
アサーションもそうですが、スキルは身につけるまでが面倒、それはわかります。でも、スキルなので練習すれば無難なレベルにはできるようになります。
もし人づきあいに苦手意識があるなら、少しだけでも愛想よくしてみることを試してみてはどうでしょう。ノーリスクなんですから
まとめ。・媚びと愛想は違う・媚びは下心、愛想は社交スキル