「恥」の概念〜日本人の貞操観念3〜 - 家事事件 - 専門家プロファイル

榎本 純子
神奈川県
行政書士

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対象:民事家事・生活トラブル

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「恥」の概念〜日本人の貞操観念3〜

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夫婦関係改善のために 日本の家族のカタチ
前回日本人の貞操観念2では、日本人には元々貞操観念と言えるほどのものはなく、明治後期から昭和20年前後だけ、一時的に厳しかったのでは、という仮定のお話でした。

では、日本人は全く欲望を制限してこなかったのか?

私は、違うと思います。
そして、欲望を制限してきたものこそ、「恥」の概念ではないか。

このシリーズ初回浮気は文化?〜日本人の貞操観念〜で引用したように、「村人総出でセックスしまくっていた」日本人に「恥」の概念があった、と言われてもピンとこないかもしれませんが。

私は、「恥」の対象が、セックスそのものではなく、別の部分に働いて、それなりの秩序を作ってきたのではないかと思うのです。

前の引用を再度引用すると。

子供ができたとしても、だれのタネのものかわからず、(中略)大正初めには、東播磨あたりのムラでも、ヒザに子供を乗せたオヤジが、この子の顔、俺にチットも似とらんだろうと笑わせるものもいた。夜這いが自由なムラでは当たり前のことで、だからといって深刻に考えたりするバカはいない 『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』by 赤松啓介


つまり、「だれのタネの子どもかわからない」ことは、恥ずかしいことではない。
けど、それを「深刻に考える」のは、恥ずかしいこと。

いわゆる、「恥」とか「世間の目」とか「みっともない」とかの概念です。
この概念があったから、「村人総出でセックスしまくって」も、大きな問題は起こってこない。

西洋の「神」に比べると、随分あいまいでわかりにくい概念ですが、ちょっと前までの日本人には、絶対にあった。
私も子どもの頃は、親に「恥ずかしいからやめろ」とか「世間が許さない」とか言われると、反発しまくったものです。

恥って何?
世間って誰?なんて。

でも今にして思うと。
その裏には、必ず「人様に迷惑をかけることをしてはいけません」という目的が隠れていたように思います。
人に迷惑をかけると、恥ずかしいしみっともない。
世間に顔向けができない。
だから、そういうことをしてはいけません。

確かに、世間よりも「神」のほうが規範としてわかりやすいかもしれない。
神のほうが絶対的で、善悪がはっきりしている。

それに比べ、世間はあいまい。
でも、このあいまいな基準でやってこれたのは、それが日本人の感性にあっていたからでしょうね。

でも、いまやその「恥」の概念もなくなっていると感じるシーン、多く目にします。
これは仕事上のことでなくても、日常生活の中で、保護者として子どもの学校に行ったりする中で、切実に感じていること。

だからこそ、家族間のいろんなトラブルも増え、しかも解決しないのではないかという気がします。
次回は「家族」の話になる予定。

前にも書いたけど、「じゃあ今の私達は、どういうふうに家族を作っていけばいいのか」というところにたどり着く予定です。