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稲垣 史朗
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閲覧数順 2024年04月18日更新

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私の転職相談における基本的な立場について

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私は45歳頃からアルバイトとして人材紹介会社で土日の転職相談に従事した。

会社がパートに依頼してアンケートを郵送して回答した人に連絡、アポイントを取り喫茶店等でお会いして1時間半位率直に話し合った。

この仕事は57歳でリストラ退職した後も続いた。視野を広めるために日本産業カウンセリング学会や日本労務学会に入会して勉強を続けた。

私の転職相談における基本的な立場は転職推進ではなく現職に留まり内部で改善に努めるべしとの立場である。

バブル崩壊後リストラが進み、会社入社後3年以内に退職する人が中卒7割、高卒5割、大卒3割と言われたこともあった。

今でも相談を受けた時にはできるだけ転職をせずに現職に留まることをお勧めしている。

なぜ自分がこのような立場なのかを考えてみた。私の父親は大企業で30年に少し満たなく退職した。若いころは転職が多かった。その父親のよく言ったことは寄らば大樹だった。兄も中小零細企業から転職を重ね大企業に入社して定年を迎えた。幅広い趣味を持ち友人が多い。私も同様に安定・大企業志向である。高校は伝統のある工業高校卒、名門私大卒、名門会社に入社後第一回目の定年を迎えた。

会社を途中で辞めないことに関しては高校時代、高校の先輩とのやり取りで思い出がある。

高校入学したのは1961年でその時は創立40年だった。いろいろ行事があったが記憶に残るのは下工40年史だった。国語の青木先生が中心になって編集された。興味を持った内容は「ある理科マンの話」と「海だ海だ」等だった。前者は熊本大学の教授になったOB、後者は京都大学経済学部教授だった佐和宣平さんのことだった。佐和先生は恩師が旧制下松工業学校を辞めた時同時に退学、県内や大阪の中学校に付いて行かれた。卒業してだいぶ時間が経過して母校で授業したことがあったという。私は大学受験のことを郵送で相談したが先生は何処でもよいので大学に進学するよう勧められた。この時内容については誤字が多いと指摘された。また下松工業学校を中途で退学したことを大変悔やんでおられた。私の性格はふたご座で決断できない人でもあるが、佐和先生のアドバイスの影響も大きい。学校や会社を中途で辞めなかった。結婚も今現在1回である。

私は人生で成功はしなかったが、失敗もしなかったと思う。最後まで勤めたことで割増退職金をもらえた。年2回企業年金を受給。退職後63歳まで固定給、68歳まで歩合給で働きその後はボランティアに従事、76歳の今も元気に過ごしている。




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