
- 大園 エリカ
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
- 東京都
- クラシックバレエ教師・振付家
最近私は「これが年齢を重ねる恩恵というものなのか?」と自分で感じる事があるのですが、それは若い頃の様に「傷付くという事があまりない」という事です。
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「これはどういう事なのだろう?」と自分で思ったのですが、多分以前より本当の意味で「人を愛する」という事が理解できているからなのかもしれないと自分では感じています。
(*^^*) ~ ♡
どの様な関係性であれ、「誰かを愛して傷付いた」という経験をお持ちの方は、きっと沢山いらっしゃるのではないでしょうか?(※はい!私も若い頃は、人を真剣に愛した為に「身体中が痛い」と感じるほど傷付いた経験をした事があります)
( ・・) ~ ★彡
でもその「傷付く」という感覚は、一体何から生まれるものなのか?という事を分析される方というのは、そんなにいらっしゃらないかもしれませんね。
(・・;) !
ちなみに良く「恋は自分本位なものであり、愛は相手本位のものである」という事が言われますが、どの様な人間関係も、基本は同じなのだと私は思います。
自分本位とは「自分が相手を愛する=相手からの見返りを求める」という事であり、相手本位とは「愛は与えっぱなし=相手からの見返りを求めない」という"無償の愛"の事を指しているのだと思います。
( ・・) ~ ★彡 or ☆彡
つまり、もし誰かを愛した事により、「自分は傷付いた」とか「相手から傷付けられた」と感じたならば、それは「相手から自分が愛される事を期待するから起こる痛み」という事です。
\(◎o◎)/!
そういう自分本位の「相手の自由意思を無視した愛の強要」という無意識な心理=エゴが潜んでいる場合、その「相手を無視した自分勝手な欲求」が叶えられなかった時、人は「傷付いた」と感じてしまうというカラクリですね。
つまりこれは与える時に、実は最初から「私はこれだけのものを与えるのだから、それに見合うものを自分に返して欲しい」という、相手に対しての要求=自分本位のエゴが混じっているという事であり、
「これだけ尽くしているのだから、相手は私にそれなりのものを返してくれるのは当たり前」という心理が根本にあり、
それで「相手が自分の欲しかったものを自分に与えない」と感じた時に、人というのは勝手に「自分は相手から傷付けられた」と感じてしまうという事です。
もし自分の中でそういう結果に行くならば、それはつまり最初から自分が相手に与えるものは、実は愛ではなく「自分を愛してもらいたい為の自分本位の行為」であったという事なのです。
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自分が相手に与えたものは、本当は「自分がしたくてした行為」であるにも関わらず、その結果として「相手が自分の望むものを、自分に与えてくれない不満」というものが生まれているのだとしたら、それは本物の愛ではないという事です。
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何て柔らかいオーラを放った写真でせうか~♡
(*^^*) ~ ♡ ♡ ♡
私は以前に本を著した事がありますが、それは自分の経験から気付かされた"愛の真理"というものを体現した感動を、誰かにお伝えしたいと思ったからなのだと思います。
☆_(_☆_)_☆
自分本位であればあるほど、「愛する相手を勝手に加害者に仕立て上げ、自らを被害者にしてしまう」という悲劇のヒーロー・ヒロインの心理が働いてしまうという事を理解できれば、
実は「傷付く」という事は、自分の中の「愛の不在を認識させてもらう経験」でもあるのだと、私達は気付いて行くのだと思います。
\(◎o◎)/!
どの様な人間関係であれ、自分の願望より相手の幸せを無条件で望む自分という「真実の愛を体現する自分」に出会えた時、人は自分自身に感動し、自分を尊敬する事ができる=愛する事ができるのではないでしょうか。
「相手から受ける痛みを感じる自分」を超えて、「相手の幸せを心から望む自分」というものを経験できると、自分の中に眠っていた"真実の愛"がそこから芽吹いて、そして大きく花開いて行くほど、人として輝いて行くのだと私は思います。
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡
ちなみにこういうお話しをすると、「自分を犠牲にする事が愛だ」と勘違いなさる方達がいらっしゃるのですが、
「自分を大事にできない者は、他者を大事にする事はできない」「自分を愛する者にしか、他者を愛するという事はできない」という真理も見落とさないで頂きたいと私は思います。
この基本が抜け落ちた時、与える愛は悲しみや無力感を味わう「犠牲の愛」となり、そういうものからは誰も幸せを感じる事ができなくなります。
そういう形の愛からは、「愛する喜び」という輝きは味わえませんので、そこがバロメーターになります。
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡
もし人を愛する時に、愛する喜びよりも、嫉妬から来る"苦しみ"や"怒り"、"寂しさ"や"悲しみ"の方を感じて、拗ねてイジけてしまったり、相手や相手の愛する人に"逆恨み"という思い違いの感情を感じてしまう方達は、
まず相手に出会う以前から自分の中に存在している、そういう痛みや悲しみ(※実はこれは自分と親との関係や、家系のカルマというものから来ています)を自分自身で癒さないと、
一足飛びに他者に対する「真実の愛=無償の愛=与えっぱなしの愛」には辿り着けないというのが、私達の人生のカラクリの様でございます。
☆_(_☆_)_☆
なかなか難しい課題ではありますが…。
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このコラムの執筆専門家

- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年