「そういうものだから」という思考停止の落とし穴 - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
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「そういうものだから」という思考停止の落とし穴

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今回のコラムは、職場などで「パワーハラスメント(※パワハラ)」と呼ばれるものに付いての考察でございます。

(^^ゞ

 

「組織」という、謂わば"閉じられた社会"とも呼べる様な環境の中で、パワハラを受けた側がなかなか声を上げる事ができなかった不健全な時代とは違い、

 

今の時代はパワハラを受けたと感じた者が、会社や個人を訴えるという様なニュースなども良く目にする様になりましたし、それだけ以前よりオープンで健全な時代に成りつつあると感じていらっしゃる方達も多いのではないでしょうか?

(^^✿

 

 

 

…という事で、今回はこの「パワハラ」と呼ばれるものの原因というのが、一体何処から生まれているのか?という事を、私なりに考えてみたのでございます♪

☆_(_☆_)_☆

 

そして私の出した結論から申しますと、そういうものを生み出す大きな要因には、私は上の立場の者達の「そういうものだから」という思考停止があると感じています。

 

これは会社でなくても、所謂「嫁姑問題」とか「家族間で生じる確執の原因」とも私は感じているのですが、

 

この「そういうものだから」という、自分の頭で考えなくなった大人達=自分の目でものを見なくなった大人達の無意識というものが、パワハラや家庭内暴力というものを生んでいる元凶に、知らず知らず成ってしまっているという事実に付いての考察なのでございます♪

(・。・;

 

 

 

こういう思考停止された方達の持つ感覚というものには、

 

実際自分達が「指導」や「教育」と称したパワハラをしていても、本人達はそれに気付けなくなるという無感覚=無神経にも通じる不健全な歪みを中に持つという特徴がありますが、

 

(※そのパワハラというものの正体は、実はそれぞれの方がプライベートで抱えるストレスや満たされない思いからの行為なのですが…)

 

つまりそういう感覚を生み出しているのは、実はこの「そういうものだから」という思考停止だというのがカラクリだという事なのですね。

 

つまりそういう事実に気付けなくなるほど、本人達の感覚が麻痺してしまっているので、(※これは或る意味、彼らが私生活で抱えている悩みや葛藤の深さを物語ります)

 

それが「パワハラ」を行う上の立場の者達が、無意識に根底に持っている「自分(達)は絶対に間違っていない(※と思いたい含む)」、或いは「そうであっても、そうでなかった様に持って行く」という傲慢な思考や行為を生み出しており、

 

つまり「パワハラを受けている者の立場に立つ」という、人としての優しさが欠如した傲慢さにも繋がっているという事ですね。

 

 

 

ですのでこういう方達というのは、自分より立場が下の者が何を言っても無視して、自分の主張を押し通す・押し付けるという特徴があります。(※これを「パワハラ」と申します)

 

ちなみに、こういう方達に共通するもののバロメーターとしては、自分達より立場が下の者から、自分達が指示した事へ(※船頭が多過ぎる事から生まれる矛盾等含む)疑問を持たれる事を異様に嫌がるという特徴や、

 

下の立場の者には「今後に必要だからする確認」を受けた時に、先輩や上司としての沽券に関わるのか何なのかは分かりませんが、

 

何故かその相手に対して「素直さがない」とか「柔軟性がない」という、非常に便利な言い訳を状況によって見事に駆使しながら、絶対自分より立場が下の者の立場に立とうとせず、

 

「指導を受ける側は、どんなに理不尽な事を要求されても、ただハイと言っていれば良い」とばかりに、自分は常に絶対であるかの様に振る舞うという事が挙げられます。

 

そうして酷い時には、自分達の事は棚の上で、下の立場の者に「ああ言えばこう言う」「こう言えばああ言う」というレッテルを張り、

 

時にサディスティックと思えるまでのパワハラ行為をやり続けるという事が実際にあるのです。(※これは、それだけそういう事をする方達の心の闇が深いという事でもあります)

(-"-;

 

 

 

何故この様な事が多くの場所で人知れず行われてしまうのかと言うと、それは彼らの潜在意識に巣食う思考に「私はそういうものを我慢して来たのだから、それがここでは常識で当たり前」とか、

 

「自分はそうだったから、後から入って来た者も同じ様に我慢するのが当たり前」「社会とはそういうもの」という様な不健全な思考=自分の頭で考えない=自分の目でものを見て、心で考えない思考というものが無意識に根底に有る為であり、

 

それが彼らの全ての判断のベースに成ってしまっている為に、その「愛不在」という落とし穴に気付かず、(※本当の優しさを持った人間は、自分がされて嫌だった事や辛かった事は、人にはしたくないと思うものですし、それが負の連鎖を断ち切る行為にもなるのです)

 

実際は「自分達の満たされない私生活のストレスの発散」から生じさせているパワハラを、「愛の鞭」であるとか、「期待しているからこその厳しい指導」などと言い訳し、自分や自分のお仲間を自ら美化してしまう事に誰も気付いていないからなのです。(※これが思考停止の怖ろしい所なのです)

(◎_◎;)

 

 

 

ちなみに、パワハラを行う側が自分達で主張判断される様な「愛の鞭」であるかどうか、又本当に「愛在る厳しさ」であるかどうかというのは、

 

指導した立場の者が判断する事ではなく、指導を受けた本人が「どう感じたか」というのが答えであるのではないかと私は思います。

( ・・) ~ ☆彡 or ★彡

 

良く自分達の為の"大人の事情"から、「苛めは無かった事にしたい大人達」というのが世間でも最近は問題視されておりますが、

 

「された側が苛めや嫌がらせと感じた時点で、苛めは成立する」という、そういう観方をされる方達というのも、この世の中には同時に存在しているのです。

 

 

 

これは私が思う事ですが…。

 

こういう思考停止した視野の狭い大人達が作る社会や家庭から、この日本社会の「苛めの構造」というのが出来上がっていて、それが子供達の社会の中で昔から常に問題になっている「苛め問題」というものに連鎖していると、私は痛切に感じています。

 

なのに皮肉にも、そういう大人に限って「子供の苛め問題」や「パワハラ問題」「子供や動物に対する虐待行為」等に付いて蘊蓄を語る事が好きだったりして、あれこれ自分の偽善的な考えを述べては議論を交わしていたりするのですが、

 

私の様な人間からしたら、「本当に本気で動物虐待や子供の苛め問題や、社会のパワハラを無くしたいと願うのであれば、まずはそういう思考停止している己を変えんかい!」と、思っちゃう訳なのでございます。(笑)

(^^ゞ

 

 

 

 

 

宇宙から観たら、パワハラをする人間の持つ「つまらない拘り=沽券=エゴ」というものが、いかにちっぽけで馬鹿みたいなものかと私には思えて来ます。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

 

 

「そういうものだからという思考停止」を自分の中で当たり前にしてしまい、そういう社会の価値観に何の疑問も持たず、自分より立場が下と思える人間に対して苛めやパワハラを行う人間というのを観察しておりますと、

 

そういう方達というのは、実は「私生活で幸せを感じていない」という共通点があるという事に気付かれると思います。何故なら本当に幸せを感じ、満たされて生きている人間というのは、そういう行為を他者にはしない=する必要がないからです。

(^^♡

 

無知故に、他者への苛めやパワハラを「自分の私生活の不満やストレスの捌け口」として無意識に利用する彼らは、そういう自分の常に満たされない思いを生み出しているのは、実は「自分自身の生き方から来ている」という事実に気付けていないのですね。

(^^;

 

 

 

その様な人間も存在する反面、同じ状況の中であっても「他者への思い遣りを常に忘れない人間」というのもいらっしゃる訳ですが、

 

そういう方達の特徴としては「立場や年齢を超えて、人として魂は皆平等である」というベースが(※意識的であれ無意識であれ)その方の中に在り、

 

故に、こういう方達は常に「自分と他者の人格を尊重する」という価値観から生まれる、美しさや品格を伴った行為を生み出す方達なのです。

 

彼らはお互いの立場というものを超えて、「与え合う」「譲り合う」「助け合う」「感謝し合う」という美しい精神が基盤にあるので、

 

宇宙の法則に従い、そういう方達というのは必然的にそういうものを人からもお返しされる方達でもある為、

 

彼らはその自分の生き方から、「人生で幸せや感謝を感じられる人=この世を自力で天国にする才能を持たれた方達」という事が言えると思います♪

(*^^*) ~ ☆彡

 

 

 

ちなみに"優しさ"や"愛"などいう言葉で表現される曖昧なものは、その方、その方の価値基準により判断がコロコロ変化するものですが、

 

世の中には「人を傲慢にさせたり駄目にする優しさ」というものも存在致しますし、

 

逆に人の魂を無知から目覚めさせ、「自分の与えたものが自分の受け取るもの」という宇宙の法則=真理に気付かせてあげる様な優しさ=時に厳しさを伴った慈悲という、

 

正にパワハラとは相反する、相手が「自分の力で幸せになれる事に気付かせる事のできる美しい行為」というものも存在致しますが、(※誰もが分かり易い「慈愛」より、こうした「慈悲」の方が上級編で難しいと言われます)

 

いずれにしても私達は「自分の持つエゴ」に気付かなければ、そういうものへの正しい判断力を持つ事は非常に難しいのだと私自身は痛切に思います。

(-_-;)

 

 

 

色々な経験をする中で、自分のエゴに気付く事ができ、それが自然に剥がれ落ちた人だけが、本当の意味で「他者に慈愛&慈悲というものを持てる人間」に成れるのではないでしょうかというのが、今回のコラムの結論でございます♪

 

そういう洗練された人間の特徴として共通するものに、

 

自分や相手の個性を欠点とは捉えない。(※個性を欠点と感じてしまうのはエゴの仕業です)

自分や相手の個性と人格を慈しみ、生かし、感謝する。

 

という"愛在る価値観"を持っているというものがありますので、皆様も是非参考になさって下さい♫ (※自分に与えていないものは、他者に与える事はできないという法則♪)

(*^^*) ~ ♡

 

 

 

「自らを幸せにする事ができる人=この世の真理に目覚めた人間=自分の不幸や不機嫌を他者のせいにしない自立思考を持った大人の人間」にしか、本物の愛を他者に持つ事はできないと、私自身は感じているのです。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

 

 

 

 

 

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舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年