
- 大園 エリカ
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
- 東京都
- クラシックバレエ教師・振付家
巷では良く「あなたの為を思って」とか、「あなたはこうすべき(感じるべき)だ」と仰る方を目に致しますが、「それって自分の為の他者への過干渉なのでは?」と感じられた経験はございませんか?
( ・・) ~ ★
そしてそういう方ほど、「親切にした自分に感謝しないのは、相手がおかしい」という独りよがりな思考をお持ちだったり致します。
(^^;(^^;;(^^;;;
…という事で、今回はその様に表面に"お為ごかし"というお化粧を施した「偽の親切=お節介」という、人の心に届かない、人の心を窮屈にさせる「過干渉」に付いて考察してみたいと思います。
☆_(_☆_)_☆
ちなみに今回は、「叶姉妹」の姉として有名な、叶恭子さんの名言をお届け致します♫
(^^✿
叶姉妹に付いてですが、私の印象では彼女達を好きな人と嫌いな人にハッキリ分かれる様なイメージが強く、特に私の周りでは「サイボーグみたいで気持ち悪い」とか「エグ過ぎて、逆にセクシーさが感じられない」と感じている人達も多い様なのですが、
私的には「彼女達は自分の個性を良く知っていて、そういう自分達にとても似合う生き方を極めていらっしゃる方達」という、謂わば"一つのアートを観る様な感覚"なので、良いも悪いもなく、
特に私はそういう表に見えるキャラ的なものよりも、むしろ恭子さんという方の有り余る知性から来る哲学に一目置いている所が大きいですし、又彼女達が持つ独特で強烈な華やかさを観るのは、アートとして好きでしょうか♪
(*^^*) ~ ☆彡
叶恭子さんの名言より
やっかいであるのは、「あなたのためを思って」という言葉で、
他人の価値観を押し付けられることです。
押し付けると言う方向性をはらんでいる以上、
その言葉が一見、どんなに配慮に満ちているようであったとしても、
それはあくまでその方の価値観の親切さなのです。
そして最もやっかいなのは、それを自分できづくことができません。
そう、「人のことに口を出さない」というラインを一歩でも越えたとたん、
「親切」は「押し付け」に変わってしまうことがあるのです。
真の「親切」と「思いやり」は、どのような関係であっても相手に敬意を払い尊重し、
自分と他人様は違うということを知ることが、
おもいこみや押し付けのない、心地よい関係を生むのです。
薔薇も人間と同じ様に、色や形よって印象がかなり違う多種多様性がありますよね~♫
(*^^*) ~ ☆彡
ちなみに私の思う恭子さんという方の印象は、
この様な華やかで情熱的な薔薇でしょうか♪
(^^✿
もしくは
こんなイメージ?(※やっぱり赤い薔薇♪)
(^^ゞ
そして、もし自分を薔薇に例えるとしたら…
私はこんな感じに思われる事が多いのかなぁ?という薔薇はこんな感じ?
…あ、誰ですか?「それは大きな勘違い」という方はッ!(笑)
"(-""-)"
私が自分でそう思うのは、ダンサー現役の頃に頂いた花束には、こういう華やかなピンクか、もっと淡~いピンクの薔薇を頂く事が多かったというのが理由なのですけれど…。(※薔薇って本当に魅力的で芸術的な花ですよね~♡)
ちなみに当時は、「貴女には白薔薇や白ユリが似合う」と言って下さったファンの方もいらして下さったのですよ~。(※あくまでも当時のお話し。笑)
(^^;
ですが私自身は、自分は「薔薇の花」というイメージではなく、何となく「ガーベラ」の様な花のイメージかしら?と思ったりしてました。(※いや、エリカだから、そのまんまEricaの花なのかも。笑)
だってバレエ界には物凄く派手なオーラを放つ「大輪の薔薇の花」を連想させる美しいバレリーナなど、沢山いらっしゃいましたからね~♪
でも大輪の薔薇には持てないイメージを持つ美しい花も沢山ある訳で、私は自分の個性はどちらかというと、清楚さとかであるとか、女性らしさである優しい可憐さとか品格、清潔感とか透明感、
そして隠そうとしても自然に滲み出てしまう"上質な色香"というものが"舞台上での自分の個性"と自負しておりました♫(※くどい様ですが、あくまでも当時のお話しデス。笑)
☆_(_☆_)_☆
そして年齢を重ねた今の自分を薔薇で例えるなら、
やはり、こんな薔薇が似合う女性に成りたいという所でしょうか♫
(*^^*) ~ ♡
花の好みが千差万別な様に、人の生き方も価値観も千差万別…なはずなのですが、実は自分の人生で自由を感じられていない人ほど、人に自分のやり方や価値観を押し付けたがるものなのです。
自分と全然違う人生の学びがある人に、頼まれてもいないのに勝手に自分の人生を基準にした思考から人を諭したがる、実にお節介な行為を好む方も多いですし、(※何を何時どう感じて行くかは、その人自身のものであるはずなのですが…)
酷いものになると「私もそうやって我慢して来たのだから、あなたもそうすべきだ。我慢して当然だ!」という最悪なケースもあります。(※普通は自分がされた嫌な事は、他者にはしないというのが真の思い遣りと優しさではないかと思いますが、こういう所にその人のお人柄や人格が一番現れるのでしょう)
\(◎o◎)/!
そして恭子さんの仰る通り、そういう「自分のエゴな思考癖に全く気付いていない」という方が非常に多く、又それ故にそういうお節介を「親切」と勘違いされている人間が殆どというのは、
残念ながらこの世の真実の一つであると、私自身は感じております。
( ・・) ~ ★
本当は人の事を諭す前に、「狭い視野に囚われ、窮屈さやストレスを感じている自分を解放させる」という課題が先なはずなのですが、とかく人間というのは「お節介に過干渉に他者を諭したがる」のは何故なのかというと、
私達人間の根底には無意識に、愛には程遠い「自分の方が優れているという優越感を感じたい」という性(サガ)が潜んでいるからなのでしょう。
「人の心に届かない自分の親切」には、ご本人も気付いておられない、こんな根(エゴ)が裏に隠されているからであり、それは本人が無意識であっても、人というのは本物の愛には敏感なものなので、魂の深い部分で皆見破ってしまうからなのです。
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自分の人生で本当に自由を感じている人には本物の愛があり、自分と同じ様に他者の自由意思や感じ方を尊重しますから、相手に求められてもいないのに、人を窮屈にさせる思想を勝手に人に押し付けるお節介などしないはずですので、
もし誰かの要らぬお節介に悩まされている方は、そこをバロメーターにされると良いと思いますし、そういう相手には「自分がされたくない事」として、毅然とした態度で直接ハッキリお伝えになる事も、自分を楽にする一つの方法です♪
(^^✿
ちなみに本当に素敵な人ならば、必要と感じた時にこちらからアドバイスを聞きたくなるというのが自然な形ですし、そういうケースのみが"人の心に届くアドバイス"になる事が可能なのです。
(*^^*) ~ ☆彡
人からもらうアドバイスとは、本人が求めてこそ、その方の心に入るのであって、
他者に「自分の思想が正しい」とばかりに強制し、無意識であっても無神経に過干渉に押し付けた時には、「土足で人の家に勝手に上がらないで下さい」と相手にドアを閉められるのは当然なのです。
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このコラムの執筆専門家

- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年