マインドで自分を信じていても変化は起こせない - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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大園 エリカ
大園 エリカ
(クラシックバレエ教師・振付家)
大園 エリカ
(クラシックバレエ教師・振付家)

閲覧数順 2019年05月25日更新

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マインドで自分を信じていても変化は起こせない

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最近私は自分のコラムの中で、「自分を信じる」とワードが出て来る事が多いなぁと自分で感じているのですが、今回はそういう事を、より深い所で理解するのに相応しいメッセージを見つけましたので、皆様にご紹介したいと思います♪

(^^✿

 

ちなみに「引き寄せの法則」というものが、巷では大分前からやたら持てはやされている様ですが、でもそれを本当に現実化させて、自分の人生に生かせていると実感されておられる方というのは、一体どのくらいいらっしゃるのでしょうか?

 

自分の願望を叶える為に「自分を信じる」という事の大事さは分かっているけれど、「自分を信じているのに、ちっとも現実化しない」という方の方が、この世では圧倒的に多いのではないでしょうか?

 

 

…という事で、今回は「自分を信じているのに、何故自分の望む現実を自分は引き寄せられないのだろう?」という疑問やお悩みを抱えていらっしゃる方の為に、その解説書となる様な奥深いメッセージをお届け致します♪

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 信頼とは途方もない勇気のことだ    覚醒のひかり さんより

 

OSHO

 

 

ただ自分をひとつに引き寄せなさい。 

ここしばらくの間、まとまっていなさい。 

できるかぎり全体的に聴きなさい、まさに自分の耳になりなさい。 

 

 

ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』のなかに、 

このすばらしい一節がでてくる・・・。 

女王はアリスに、 

信じられない世界のなかに立っているアリスに言った。 

 

 

「あえて言わせてもらいましょう。 

あなた、あまり慣れていないようね。 

なぜって私、ときには朝ごはんの前ですら、 

ありえないことを六つは信じたものよ!」 

 

 

その通りだ、それがこの物語の秘密だ。 

ルイス・キャロルはここでなにか途方もなく貴いものを 

分け与えている。 

 

 

その物語の秘密は、信じることのアート、 

信頼することのアート、 

存在に「イエス」と言うことのアートだ。 

 

 

不可能なことを信じることで、 

その不可能なことが可能になる。 

それはどうやって起こるのだろう? 

 

 

事実、ものごとが不可能なのは、 

信じるだけの勇気があなたにないからにすぎない。 

ひとつひとつの思考がそれぞれ現実になる。 

 

 

そして、意識のなかで起こるすべてのことが、 外側で現実のものとなる。 

外側で起こるすべてのことは、 まず内側で起こらなければならない。 

種は内側に吸収され、木が外側に表れる。 

 

 

信じるハートがあなたにあれば、 不可能なことはひとつもない・・・

神ですら不可能ではない。 

 

 

だが信じるハートを持つことが必要だ。 

信じるマインドでは役に立たない。 

マインドは基本的に信じることができないからだ。 

 

 

マインドに信じることはできない。 

マインドは疑うことしかできない。 

 

 

疑いはマインドにとっては自然だ。 

疑いはマインドにもともと備わっている。 

頭は疑うことしかできない。 

 

 

だから、もし信じることを頭に強制し始めたら、 

その信仰はあなたの疑いを隠すだけだ。 

そこからはなにひとつ起こらない。 

 

 

が、回教徒やキリスト教徒、ヒンドゥー教徒や 

ジャイナ教徒たちはまさにそこに存在している。 

彼らの信仰はマインドのものだ…が、 

マインドに信仰は無理だ。 

 

 

マインドは信じることができない。 

マインドは疑うことしかできない。 

 

 

木から葉が生えるように、 

マインドからは疑いが生じる。 

 

 

信仰はハートから育つ。 

ハートは疑うことができない。 

信じることしかできない。 

 

 

初めのうちは、信頼はひとつのフィーリングだ。 

その最後の開花においては、実存だ。 

 

 

いわゆる信仰は頭のなかにとどまる。 

それはけっしてあなたのフィーリングにはならない。 

そしてあなたの実存にはなれない。 

 

 

が、なにかがあなたの「実存」にならないかぎり、 

それは観念的な夢にすぎない。 

それはエネルギーの浪費だ。 

 

 

だが、信じるには危険を冒すことが必要だ。 

このことを知ったらあなたは驚くかもしれないが、 

疑いはとても臆病だ。 

 

 

普通、あなたがたは、勇気のある人は疑い、 

臆病な人は信じると聞かされてきたにちがいない。 

それもある意味では真実だ。 

 

 

頭での信仰は臆病だ。 

それに、あなたがたは頭での信者たちしか知らない。 

だからそれは現実にかなっている。 

 

 

モスクや教会や寺院に入ってみると、 

臆病者でいっぱいなのがわかる。 

だがほんとうの信仰は臆病ではない。 

ほんとうの信仰は大いなる勇気、雄大さだ。 

 

 

疑いは恐怖から生じる。 

それがどうして勇敢になれるだろう? 

疑いは恐怖に根づいている。 

疑いが生じるのは、自分を防御したい、 

自分を守りたい、安全でいたいという思いがあるからだ。 

 

 

不安定ななかに入っていく用意ができて初めて、 

未踏の領域に入っていく用意ができて初めて、 

どんな地図も持たずに自分の舟を未知のなかにすすめる 用意ができて初めて、

あなたは信頼することができる。 

 

 

信頼とは途方もない勇気のことだ。 

そして、勇気ある人しか宗教的にはなれない。 

 

 

宗教的な人しか「イエス」とは言えないからだ。

 

 

 

 

 

「 Lavender 」

CICELY  MARY  BARKER  「Flower  Fairies  シリーズ」より

 

 

 

今回のテーマのキーワードは

 

疑いはとても臆病だ(※頭での信仰は臆病だ)。

疑いは恐怖から生じる。 それがどうして勇敢になれるだろう? 疑いは恐怖に根づいている。

 

信仰はハートから育つ。 ハートは疑うことができない。 信じることしかできない。

だが、信じるには危険を冒すことが必要だ。

 

そして

 

勇気ある人しか宗教的にはなれない。

 

という所に、大きなヒントが隠されている様に私は思います。 

 

 

ちなみに今回のOSHOの言う所の「宗教的」とは、自分の中のに存在する各々の信じる道=ハートからの信仰=夢や希望を指していて、何かの宗教に所属するという意味ではなく、比喩としての表現と捉えると、彼が云わんとする所の深い意味が理解し易いと思います♫

(^^✿

 

そう解釈すれば、最後の

 

宗教的な人しか「イエス」とは言えないからだ。

 

という表現されている所の深い意味=今回のテーマの答えが、各自で汲み取れる様に思います。

 

 

そうして改めて以下の所を読んでみれば、「自分を信じているのに、何故自分の望む現実を自分は引き寄せられないのだろう?」という疑問に対する答えが、明確に理解できる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

 

 

疑いは恐怖から生じる。 

それがどうして勇敢になれるだろう? 

疑いは恐怖に根づいている。 

疑いが生じるのは、自分を防御したい、 

自分を守りたい、安全でいたいという思いがあるからだ。 

 

 

不安定ななかに入っていく用意ができて初めて、 

未踏の領域に入っていく用意ができて初めて、 

どんな地図も持たずに自分の舟を未知のなかにすすめる 用意ができて初めて、

あなたは信頼することができる。 

 

 

信頼とは途方もない勇気のことだ。 

そして、勇気ある人しか宗教的にはなれない。 

 

 

宗教的な人しか「イエス」とは言えないからだ。

 

 

 

 

ちなみに今回の内容は、前回や前々回のコラムの内容にも深い所で全部リンクしていて、

自分的には「とても面白いなぁ!」と感じています♫

(*^^*) ~ ☆彡

 

 

何か「行き詰まっている」と感じた時は、今までの「こうせねばならない」という価値観を捨ててみる

再び子供になるためには、子供は世間に毒される必要がある

 

 

 

 

 

 

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natural & elegance

長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年