生きているうちに自分の心を自分で浄化する - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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生きているうちに自分の心を自分で浄化する

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皆様は大きな意味での「人生の真の目的」というものを、自分の中で意識された事がありますか?

(^^✿

 

その目的というものの中に入るであろう「仕事」でも「遊び」でも、又「家族を持つ」という事も含めて、これはどの様なものでもそうなのですが、私は自分が何かを選択してそれを始める時には、その"動機"というものが凄く大事だと思う人間の一人です。

(^^✿

 

何故ならその動機が、自分が蒔く"種"になる、つまり自分の人生の中で自分が生み出した一つの"因"という事になる訳で、そこから宇宙の法則である「因果の法則」に沿って、自分の意思に関わらず(※ここ重要ポイント)、良くも悪くも「自動的にどの様な"果"を得るかに繋がって行く」からです。

\(◎o◎)/!

 

 

 

それぞれの"種"というものには、それが成長し育つまでのものが最初から全て含まれ決められているので、「カボチャの種を蒔いたのに、メロンができた」とか、「コスモスの種を蒔いたのに、ドクダミの花が咲いた」という事は有り得ないのと同様、

 

私達人間も、自分が自分の人生に蒔いた種がどういう種類のものであるかで、得られる"果"というものは、自分が一つの"因"を生んだと同時に、その結果は自動的に最初から決められてしまうという事も言える訳ですね。

 

だから無知でいるという事はとても怖い事であり、人生でもし安らぎや幸せを感じたいのであれば、私達は注意深く"自分が蒔く種"を選ぶ必要があるという事です。

 

(※ちなみに「刺激が得られるアップダウンの激しいジェットコースター」や、「恐怖を感じられるお化け屋敷」、又は「人を支配しパワハラする事に快感を覚えるサディスト的人生」や「自分を犠牲にする事が好きなマゾヒスト的人生」を体験するのが今回の人生の目的だという方は、このコラムを読まれる必要はありません。笑)

(^^ゞ

 

そして私が思うに、自分が持つ「人生の目的」というものを、どのくらい大きな視野で観る事ができるか?という事が、私達が自分の人生というものをより深く理解する為の一番大事なキーポイントになって来ると、私は自分の経験上思います。

( ・・) ~ ☆彡

 

 

 

これは昔から私が感じて来た事なのですが、私達は誰一人として"親"というもの無しではこの世に存在していません。

 

そしてそこから生まれる家庭というものには、それぞれの長い歴史から来る「家系が持つカルマ」というものが働いていて、そこには幸せに繋がる良いカルマも有れば、私達が望まない所謂"不幸・不運"に繋がるカルマというものも有る訳ですね。

 

そして多くの方々は、そういう気の遠くなる様な時間の中で、絶えず繰り返されている家系のカルマに気付かない為に、

 

その時の状況の中で、自分が「自分に取ってのポジティブな種」であると信じられる事を選択するというのが大体自分の行為の動機になる訳なのですが(※中には自分を痛め付けた相手を見返し復讐する事を目的とする種を、堂々と選ぶ方もいらっしゃいますが…)、

 

いずれにせよ、その動機=種となるものの多くは、"自分の過去の出来事"から生まれたトラウマを、自分の中で解消するつもりで取ったバランスから生まれる事が多い…というか、この世ではそういうものを動機としたものが殆どだと言っても過言ではないかもしれません。

\(◎o◎)/!

 

ですが、それをこの宇宙の法則に照らして深く洞察してみると、意外や意外、ポジティブと思って自分が選んだものが、実は「ネガティブな種」だったという事は、この世の中ではゴロゴロと転がっているという事なのであります。

(・。・;

 

ちなみにこれらは一見表向きはポジティブに見える種なので、なかなか自分でも自覚しづらいという事もあり、故に私はこれを「隠れネガティブ種」と命名しているのであります。(笑)

(^^ゞ

 

 

 

 

…と、ここまで読まれて「えッ?言っている事が良く分からな~い。その"自分ではポジティブと信じて選んでしまうネガティブな種"って一体何?」と思われた方もいらっしゃると思いますので、

 

それでは私なりに、そのカラクリというものの解説を試みてみる事に致しましょう♫

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

これは私が思う事ですが、私達は人生の目的の一つとして「生きている内に、自分の中にくすぶっている不満や怒り、哀しみや不安やコンプレックスといったものを、自分で浄化する」というものがあると思います。

 

これは謂わば「過去世からやり残したもの」を、今回の自分の人生で自力で解決・解消し、そこから卒業して次の段階に進む為にも必要不可欠な、「私達の人生に於ける最大の課題=この世に生まれた者の宿命」とも言えるものでもある為に、

 

これは否応なくどなたも避けては通れないものであり、これこそが実は「人生の最大目的」であるのではないかと私は思います。

( ・・) ~ ☆彡

 

 

 

なのですが、多くの方達はこの絶対必要不可欠な「人生の最大の目的課題」から、目を背けようと必死になります。

(^^;(^^;(^^;;

 

それが何故かと言うと、その課題に取り組む事という事は、今まで自分の中で見ようとして来なかった「自分の心の中の闇」を直視する事になるので、非常に痛みを伴うと感じる事が多いからでしょう。

 

でもこの「痛み」というものも又幻想で、その正体を見てしまえば「何て事ないもの」という事が判明するのですけれどね~。(※本当に人間というものは臆病な生きものなのだなぁと私は思います)

(・・;)

 

 

 

ではここからは、"自分ではポジティブと信じて選んでしまうけれど、実はネガティブな種"の具体例をご説明して参ります♪

☆_(_☆_)_☆

 

 

世の中には、自分の親も含めた自分以外の他者の生き様を見て「自分の反面教師にした」という方は結構多いのではないでしょうか? そしてこれは一見前向きでポジティブな事の様に誰もが思う事でしょう。

 

でも私はその動機の"根"に在るものを観るのです。つまりその動機の根に在るものは、他者への怒りから来る「否定」というネガティブなものから始まったものであるという事ですね。

 

この世に多いケースとしては、自分の親や人生の先輩などの姿を見て「私はこういう事をする人間にだけはなるまい」という思いを持って、子供を育てたり人と接したりするという例が分かり易い例ではないかと思いますが、

 

一見ポジティブに見えるその選択の裏を観てみると、実はそれは自分に嫌な思いをさせた存在に対しての「復讐心」という怖いものが、自分で気付かずに潜んでいるケースだってあるのです。

 

そしてそういう根を持つものが、子育てや人と接する時の行為の動機=根になっているならば、その結果は何処へ?という事なのでございますね~。(※言っている意味、通じておりますでしょうか?)

(◎_◎;) 

 

自分ではポジティブに前向きに対処したつもりなのに、実はそれが怒りや憎しみ、或いは哀しみの連鎖として続いて行く原因になっているという、この見えづらいカラクリこそが、家系の根深いネガティブなカルマを終わらせる事ができない最大の要因にもなっているという事です。

"(-""-)" 

 

 

 

自分の中では「子供や他者に取って良かれ」と思って取る行動も、それはあくまで「自分の人生の経験から自分が感じた事が動機」となっている為、

 

そういうものには関係がない、全く出発地点の違う別の人生を歩む子供や他者からしたら、それは「要らぬお節介」であったり、「過干渉」や「独善的な恩着せがましい行為」にもなってしまっているというケースも正直多く、

 

それがお互いの「何故私の思い遣りが分からないのか!」「何故自分の思いをぶつけるだけで、私の気持ちを分かってくれないの!?」「自分はこんなに与えているのに感謝されない」「この人は自分の与えたいものは与えて感謝しろと要求するけれど、私が本当に欲しいものには絶対目を向けてくれない=愛がない」

 

…等々からから生まれる「自分の善意が通じない」「自分が本当に欲しいものを与えてもらえない」という悲しい行き違いから生まれる、相手に対しての不満や怒りや哀しみが「家族の諍いの元」になっている事も世の中ではとても多いのです。

(◎_◎;)

 

ですので、自分の中のそういう悪しき連鎖に各自自分で気付き、それを各々自分自身でリセット=浄化して、完全なニュートラル状態という"ゼロ地点"に立ち戻れた人間が初めて、本当の幸せに繋がる「純粋な動機」というものを、自分の行為の"根"とする事ができる様になる

 

…という事ではないかと私は思います。

( ・・) ~ ☆彡

 

 

 

では"純粋な動機"と成るものは何か?というと、それは「自分以外の存在を介さない自立した動機」という事になります。

 

つまり頭で考えた理屈=他者を反面教師にした「こうあらねば」とか、「こうするべき」だとか、そうしないと自分の人生を否定する事になる恐怖から「こう思い込みたい」とか、

 

又は自分のコンプレックスが原因である「優越感を得る為に、他者の生き方を否定する」等からの動機ではなく、

 

単に心から「好きだから♡」とか「楽しいから♫」という、つまり「自分の中から生まれる純粋な動機=情熱」というもの以外に、自分も他者も真の幸せに繋がる根は無いのでは?という事です。

(*^^*) ~ ♡

 

 

 

ちなみに私がそういうものを判断する時のバロメーターに、波動の軽さというものがあります。

(^^✿

 

この波動というものは、その人が持つ雰囲気というものと同じで誤魔化しが効かないものですから、いくら表向きにはポジティブな言動や行為でもってキレイにお化粧してみた所で、

 

そういうものからは、本当に人に幸せや喜びを与える事ができる「軽やかで清らかな波動」というものは決して生まれないものだからです。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

 

 

つまり親子関係であっても、どの様な関係であっても、

 

自分の過去の苦しみに囚われて、絶えず頭の中で「嫌な思いをした自分」「苦しかった自分」等にフォーカスし続ける事から生まれる行為からは、本人の「人の苦しみを癒してあげたい」という意に反して、自分でも気付かずに「重たい波動」が生み出されてしまっているという事なのです。

\(◎o◎)/!

 

こういうものは目には見えないものなのですが、そういうものが行為の"根"に巣食っているものには、人はどこか偽善的な押し付けがましさというものを理屈ではなく、肌で感じてしまうものなのです。

 

そうして生まれる「視野の狭さから生まれる"独り善がりな善意"」というものには、その根から自動的に発せられる矛盾というものがあるので、そういうものを動機にされる方から放たれる波動には、多くの方がどこかスッキリとしないモヤモヤ感を持ってしまうという事は充分考えられますから、

 

私達は「生きている内に、自分を浄化する」という事は、本当の人生を生きる為にも大事な事ではないかと、私自身は思う訳なのです。

(・。・;

 

 

 

では「どの様に浄化すれば良いのでしょうか?」という事ですが…。

 

これは多くの人間が必死に避けて通りたいものの一つの様ですが、残念ながら楽な方法というものはなく、自分に怒りや不満や悲しみを感じさせた相手に対して、間に人を入れないで当事者同士で直接話し合う&ぶつかり合う事以外は方法はありません。

\(◎o◎)/!

 

ですが多くの方が臆病で、そういう面倒に巻き込まれたくないと嫌厭する事から、自分の気持ちに蓋をする事で更に相手への不平不満や憎しみを募らせるか、誰かを間に入れて解決に持って行こうと画策したりする訳ですが、

 

私からすると、それは自分達の家系のカルマをもっと複雑化するだけで、更に長期化させるという事でしかありません。

(◎_◎;)

 

 

 

その様に「相手と直接向き合う事を避ける」という人の多くは、そういう自分の悩みや苦しみから逃れたい思いで、スピリチュアルにハマったり宗教や霊能者に頼ったりするというのもお決まりのパターンな様ですが、

 

結局そういうものは「一時しのぎの偽の解決法」でしかなく、結果何の解決にもなりはしないのですが、そういう事実に気付けていない方達もこの世にはゴマンといる様です。

(-_-;)

 

又その他に良くあるパターンとしては、解決できない自分の苦しみから逃げる為に(…って、それは自分が怖がって相手と直接対峙しない事から解放されない苦しみなのですが…)、

 

自分の妄想の中に逃げる(※その多くは、自分を幸せだと自己暗示にかける)という手法を取られる方も、これ又大変多い様ですが、

 

そうして自分の苦しみ=課題から逃げている限り、自分の家系のカルマを永遠と終わらせる事ができない訳ですから、結局何に逃げ込んでも"苦しみの連鎖"は続いて行ってしまうという事であり、

 

もし自分の代で問題が解決できなければ、その重荷は自分の子孫に残され、受け継がれてしまうという事に成って行くのですから、

 

やはりお互いの幸せの為に、私達は勇気を持って「相手から逃げない=自分から逃げない」という浄化方法=根本解決にトライされる事を、私㋱はお勧めしたいと思います。

(^^✿

 

 

 

…という事で、その自己浄化を実行するに当たり、「その方法に付いて知る」という意味でも、「人間というものは、何故これほどまでに自分の中の痛みに触れる事を怖がるのか?」という、そのカラクリに付いて理解するという意味でも、

 

これは多くの方の参考や助けになるのではないかと私が感じた素晴らしいメッセージを、最後にお届けしようと思います。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

居心地よくしなさい、寛ぎなさい。 自分を苦しめる必要はない

 

OSHO

 

いったん内に向かう道に従うと決断したら、

いったん瞑想者になると決意したら、

いったん今や内なるものが自分を呼んでいる、

「私は誰か?」の問いを探索し探究しようと 決意したら、

 

 

ごくリラックスした方法を選びなさい。

必ず自分の内なる旅を快適なものにしなさい。

これがこの上もなく重要なことだ。

通常、誰にもこの最初の間違いが起こる。

 

 

人々は、自分の内なる旅を不必要に複雑で不快なものにし始める。

これが起こるには、ある理由がある。

生活の中で、通常人々は他人に腹を立てている。

通常の生活で、彼らは他人に対して暴力的だ。

普通の外向的な旅の中で、彼らはサディストだ。

 

 

他人を苦しめることを楽しみ、他人を負かすことを楽しみ、

他人を凌駕すること、他人を征服することを楽しむ。

彼らの喜びは、ひたすら他人に劣等感を持たせることにある。

これが、あなた達の外向的な旅の何たるかだ。

 

 

人が内側に向かう時、問題が起こる。

この怒り、敵意、攻撃、暴力をどうするか?

今度はひとりだ。

つまり、彼は自分自身を苦しめ始め、自分自身に腹を立てることになる。

 

 

それが、あなた達のいわゆるマハトマ達だ・・

外の世界に向かう旅はサディズムの旅だった。

内側に向かう旅はマゾヒズムの旅になる・・自分自身を苦しめ始める。

 

 

そしてそこには、ある密かな喜び、

自分自身を苦しめることの倒錯した喜びがある。

歴史を調べてみればあなたは驚くだろう。

人間が自分に対して何をして来たかが信じられないだろう。

 

 

あらゆる愚かしさが起こり得たのは、単純な間違いのせいだ。

そしてその間違いとは、人生で、あなたは

他人の生を難しくしようとするということだ。

内側に向かい始めると、この古いマインドが

自分の生を難しいものにしようとする可能性がある。

 

 

いいかね、内なる探求者は快適でなければならない。

それは快適な状況でしか、リラックスした状態でしか何事も起こり得ないからだ。

緊張し、不快な状態にあればマインドは心配し、

あなたは静かな空間の中にいない。

 

 

お腹が空いていて、どうして静かなスペースになどいられるかね?

ところが人々は断食することを教えて来た。

そして彼らは、断食が瞑想の役に立つと言う。

時には断食が、より健康になるのに役立つことはあるだろう・・

肉体から数ポンド、ぜい肉を取ってくれる・・

だが、断食は瞑想の助けにはなり得ない。

 

 

真ん中にいることこそが、正しい道だ。

黄金の中庸だ。

飢えを感じないように食べたらいい。

しかし、食べ過ぎて眠くなる程には食べてはいけない・・

それで瞑想は容易になる。

中庸はあらゆる道、あらゆる状況で従われなければならない。

 

 

居心地よくしなさい、寛ぎなさい。

自分を苦しめる必要はない。

無用な困難を作る必要などない。

 

 

怒りの、暴力の、攻撃のマインドを捨てなさい。

そうして初めて内側に入って行くことが出来る。

寛いだ意識の中でこそ、人はもっともっと内側に漂って行き始めるからだ。

 

 

全面的な寛ぎの中で、人は最奥の中心に到達する。

 

 

 

 

自分を見つめる旅に出たケロケロ君?(笑) 

 

 

 

生きている内に、他者=自分から逃げないで自分の内面と向き合い、自分の浄化の為にやれる事をしないと、又次の人生でも同じ宿題が待っているだけだと私は思うのですよね~。

(・_・;)

 

私はそれが嫌なので、決して他者からも自分からも逃げませんし(…つうか、逃げられるものではありませんし)、又自分に対して心無い事をする存在に対しては、

 

その方の無知(※自分のした事は自分に返るという宇宙の法則を知らないからできる事)を理解しつつ、相手に気付いてもらう為に、毅然と「して欲しくない事」として直接伝える、又は相手に聞く耳が無ければ、自分の思う慈悲でもって行動で意思表示する主義なのですが、

 

それは何故なのかというと、私はそれを「自分を犠牲者に仕立て上げる事で、相手を加害者にする」という事を選択しない優しさだと思うからです。

( ・・) ~ ☆彡

 

 

 

自分がこの人生でクリアしないといけない課題は、この世に生まれた時からブループリントで決まっているのですし、避けていたって解決される訳ではありませんし、誰かが代わりにやってくれる訳でもないのですからね~。

 

今回の人生で自分が直面している課題は、いつか必ずクリアしなければならない課題でもありますし、クリアしなければその課題から卒業する事はできません。

(・・;)

 

でもクリアしてしまえば、二度と同じ宿題を課される事はないという事でもあるのですから、だったらできるだけ早くサッサと浄化を終わらせてしまった方が、残りの人生が楽で自由になる♪と思いますし、

 

私は実際にそれを実践して来た人生なのですけれど…

 

 

 

皆様は?

(^^✿

 

 

 

 

 

 

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(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年