深~い恋愛観はお好き? - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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対象:文化・芸術

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深~い恋愛観はお好き?

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先日「オールドソウルの恋愛観」というものに触れたコラムが、なかなか好評だった様なので、今回はオールドソウルに関わらず、恋愛というものに関して深~く掘り下げた内容のものをお届け致します♫

(^^✿

 

恋愛というものに対して、ここまで深い観方をする方というのは、あまりいらっしゃらない様に私はお見受け致しますが、芸術家の端くれである私㋱は、今回のメッセージの中の「自分の中の男性性と女性性」というものには、とても共感できる部分があるのでございます。

☆_(_☆_)_☆  

 

 

 

OSHO のメッセージより

 

 

 【或る男性からの質問】

 

どうして私は女性に、私を受け容れるか拒絶するかを決める主導権を許してしまうのでしょう? 

私は内心この古い型にうんざりしています。私は脱け出したいのです。


 

 

【OSHO】

 

知っているかね…?

女性は妄想に駆られた男を愛するものだ。

彼女たちは、いつも妄想に駆られた男を、

誰か、狂っていて正気ではない相手を探し求めている。

 

 

なぜなら狂気はとても魅力的だからだ。

気のふれた者、妄想に取り憑かれた者にはある磁力がある。

彼にはさまざまの可能性や夢が満ちあふれている。

女性は夢想家を愛する。

 

 

そして男たち?

男たちは自分を地上に引き留めておくために、正気の女性を愛する。

さもなければ、彼らはほんとうに狂ってしまう。

 

 

女性は大地を体現している。

男性には女性が必要だ。

なぜなら、彼は自分自身の実存に根を持っていないからだ。

 

 

彼には女性が、暖かな大地が、暗い土壌が必要だ。

彼はそこに自らの根を持ち、地上に根ざしたままでいられる。

彼は恐れている…

彼には翼はあるが、根がない。

 

 

彼は恐れている…

もし地上にしがみついていなければ、逝ってしまうかもしれない、

無限の空のなかへ消え、二度と戻ってこないかもしれない、と。

その恐怖ゆえに人びとは女性の後を追いつづける。

 

 

そして女性には翼がない。

彼女は根を、偉大な根を持っている。

女性は純粋な大地だ。

 

 

彼女は、独りでいたら、

けっして未知なるもののなかへ飛び込むことはできないだろうと恐れている。

女性は男性のような夢想家にはなれない。

女性が偉大な詩や歌を創らなかったのはたんなる偶然ではない。

 

 

彼女たちには翼がない。

彼女たちは実に世間的だ。

きわめて実利的で、きわめて現実的だ…。

そして正気であることは言うまでもない。

 

 

彼女たちはいたって正気だ。

彼女たちが詩を書かないのはそのためだ。

詩を書くためには、いくらかの狂気を持たねばならない。

いくらかの錯誤や誇大妄想を持たねばならない。

そうして初めて詩を書くことができる。

 

 

女性は詩ではなく、洗濯物のリストを創る…、

買物のリスト。彼女の関心は身近なものにある。

彼女は近所の人びとのことを話す。

彼女はヴェトナムやイスラエルのことなど気にかけない。

彼女はそういう人びと、男たちを笑うだけだ…。

 

 

どうして彼らはそんなことに関心を持つのかしら? 

あんなに興奮して! イスラエルで何かが起こっていても、それはイスラエルの話でしょ……

なぜあなたが心配するの? 

おとなりの奥さんがどこかの男と駆け落ちしたのよ、

それが現実問題だわ、それこそとっても身近なことよ。

 

 

女性たちは福音書には関心がない。

彼女たちの興味の的はゴシップだ。どちらの言葉も同じ語源から来ている。

遠くのものについてであればゴスペルだ。

身近なものについてであればゴシップだ。

 

 

卑近なものについてであるならゴシップ。

究極なるものについてであるならゴスペル。

 

 

男は女なしでは生きられない。

そうなったら彼は根を失うからだ。

彼はただの放浪者になる。

 

 

そうなったら彼はどこにも属さない。

女のいない男を見るがいい。

彼はどこにも属していない。

 

 

彼には家がない。

彼は流木になる。

波間に漂いどこへでも…、どこかで女にひっかからないかぎりはね。

そのときは家庭が生まれる。

 

 

そう、女なしで生きた男たちもいた…

仏陀、あるいはイエスのような人。

が、彼らも女性なしで生きたのではないというのが真相だ…。

彼らは、彼ら自身の存在のなかにより深い女性を見いだした。

なぜなら男性は男と女の両方であり、女性も女と男の両方だからだ。

 

 

そうでなければならない。

あなたは2人の人物――父と母からやって来るからだ。

あなたの父親はあなたのなかの男に寄与した。

あなたの母親はあなたのなかの女に寄与した。

誰もが50パーセントは男であり、50パーセントは女だ。

 

 

あなたが自分の内側に向きを変えて、そこにあなたの女性、

あるいは男性を見いださないかぎり、あなたは外側を見ざるをえない。

外側のものは代用品だ。

 

 

あなたは私に尋ねている。

「どうして私は女性に……主導権を許してしまうのでしょう?」

彼女たちがいなければ、あなたは狂ってしまうからだ。

 

 

そして同じことが女性たちにもあてはまる…。

男がいなかったら、彼女たちはまともすぎる。

そして、行きすぎた正気もまた、別の種類の狂気だ。

 

 

正気もすぎると、苦しくなる。

あまりにまともだと、あなたは歌えない、あなたは踊れない。

それゆえに、女性は自分の代わりに夢みることができる誰かを必要とし、

男性は自分の代わりに家庭となりうる誰かを必要とする。

 

 

これは必要不可欠だ…、

あなたが自分の内側にもうひとつの極性を見いださないかぎり、絶対に。

 

 

男性が内側にもうひとつの極性を見いだしたら、彼は全一的なオーガズムになる。

そうなったら外を見る必要はない。

それでもあなたは女性たちを愛しつづけることができる。

だが、執着はない。

 

 

そしてあなたは、所有したり、所有されたりすることはない。

自らの内なる統一に気づいても、それでもあなたは男性たちを愛しつづける。

が、それは強迫観念ではない。

 

 

それはまさに分かち合いだ。

そうなったら愛は歓びだ。

そうなったら愛はまったく違う質を帯びる。

 

 

さもなければ、そのなかには熱のような何かがあることになる。

その熱はそこにあらざるをえない、ある心理学的理由がある。

 

 

独りでいることができなければ、

当然、あなたは女性あるいは男性の前で無力さを覚える。

独りでいることができなかったら、そのときには、

あなたの女性はあなたにとって必要なものだ。

 

 

そのときには、あなたは彼女に依存している。

そしてあなたは悩む――。

あなたの自立は失われる。

 

 

あなたが悩むのは、『彼女』があなたにひじょうに大きな力を及ぼしているからだ。

あなたは彼女を許せない。

そして彼女も『あなた』を許せない。

なぜなら、あなたなしでは、彼女はたんなる大地にすぎないからだ。

 

 

大空は消える。

星は消える。

あなたがいなければ、彼女はただの大地だ――暗く、誰かを待っている。

誰かが来て、自分の存在に花を咲かせてくれるのを待っている。

誰かが自分の芳香を解き放ってくれるのを待っている。

 

 

恋をしている女性と、そうでない女性を見たことがあるかね? 

彼女たちは違う匂いがする…。

実際、彼女たちは違う匂いがする。

彼女たちの香りは違う。

 

 

独りのとき、女性はまわり中に悲しみを漂わせている。

憂うつで、淋しげで、わびしげで、絶望し、ただ不安だ。

恋に落ちるやいなや、彼女は花咲きはじめる。

何かが即座に開く。

 

 

そうなると彼女には美しさがある。

恋をしていない女性は萎縮する。

閉じてしまう。

彼女は閉塞状態で暮らしはじめる。

 

 

彼女は扉と窓を閉める。

待つ人は誰もいない――、なぜ窓や扉を開けておく必要がある? 

彼女は一種の墓場に住みはじめる。

彼女はもはや生きていない。

 

 

彼女は死にはじめる、彼女は自滅的になる。

数学だけでは、算術だけでは、正気だけでは充分でない。

 

 

バランスを保つためには何らかの詩が必要だ。

 

 

 

 

 

「愛」(1895年) GUSTAV  KLIMT(1862-1918年)

《ウィーン市歴史博物館》

 

クリムトの描く男女の姿には、やはり高尚なエロティシズムが在るのでございます~☆彡

(^^✿

 

 

 

自分の中の女性性と男性性の統合が取れた「自立した者同士の恋愛」は、きっと巷の恋愛とは一味も二味も違う深い愛の経験ができるのだと私は思います♫

(*^^*) ~ ♡

 

これは良く言われる事なのですが、過酷な日常を送るプロのバレエ・ダンサーという者は、己を磨けば磨くほど「男性は女性性に近付き、女性は男性性に近付く」と言われます。

 

私は見た目は非常に女性らしいと言われるのですが、確かに中身は結構"男前"であったりするので(笑)、一般の女性が好む様な噂話とか、ゴシップにはあまり興味がないですし、

 

悩みが生じた時には、不平不満の愚痴を誰かに聞いてもらうという様な、不毛な「女性的ストレス解消法」というものは好まず、

 

その自分の悩みが何処から来ているかを自分で分析し、「どうしたらそれを根本解決できるか?」という所に最初から取り組む様な所も、男性的であったりするかもしれません。

(^^✿

 

 

 

そう言えば以前、透視能力のある方から何故か勝手に透視されて、

 

「エリカさんは本当はとっても女性らしい人なのに、男にならなければ乗り越えられない試練が有って、貴女の守護霊(※指導霊)が、とても厳格な顔をした老年の男性に入れ替わっていた時期がある」

 

「でも今は、母方の先祖である柔和でとても品のある着物を着た女性が、微笑ましく貴女を抱き締めたりして見守っている」と言われた事がありましたっけ♫

\(◎o◎)/!

 

自分の守護霊やご先祖様も、究極は自分自身だという説もありますから、確かに自分の意識が変化すれば、目に見えない世界でもそういう事は起きているのかもしれませんねぇ!

(^^✿

 

 

あれから大分経ちますので、今はどの様な存在が私を見守って下さっているのかは分かりませんが…。

もしかしたら、又色気の無い男性になっているのかも?(笑) …って、

 

女性として"おばさんのおじさん化"は、あかんやろ~~~ッ!

(^^;;

 

 

 

はい♫

この先しわしわのお婆ちゃんになっても、

女性として、いつまでも初々しい乙女心は忘れずにいたいものでございます。

(^^♡

 

 

 

 

 

 

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(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年