幸せに繋がる創造性 (誰もが創造者に成り得る) - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
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幸せに繋がる創造性 (誰もが創造者に成り得る)

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今回のテーマですが…。


これは最近私がコラムで、「宇宙の成り立ちでもある"創造性"というものに沿う生き方は、宇宙の一部である私達人間の幸せには不可欠」という様な事を良く述べているなぁと、自分で感じている事からです♫

(^^✿


そこで今回は、その「創造性とは何ぞや?」という事がとても良く分かる、まるでポエムの様に美しく知的に表現された私の好きなOSHOのメッセージをお届けしようと思います♡

☆_(_☆_)_☆



 

【OSHO】

 

創造性とは、その行っている活動にあなたがもたらす質だ。 


 

創造性は何かの活動と特に関係はない。

絵を描くこと、詩作、ダンス、歌といったような活動それ自体は、

創造的でも非創造的でもない。 

 

 

あなたは非創造的なやり方で絵を描くことも出来る。 

非創造的なやり方で歌を歌うことも出来る。 

創造的なやり方で床を掃除することも出来る。 

創造的なやり方で料理を作ることも出来る。 

 

 

創造性とは、その行っている活動にあなたがもたらす質だ。 

それは態度であり内なるアプローチだ・・あなたがどのように物事を見るか、という。 

 

 

第一に覚えておく事は、創造性を特別な何かと限定しないことだ。 

もし誰かが創造的だったら、その人がすることは何であれ、 

たとえ歩くことでさえ、そこに創造性があるのが分かる。 

 

 

たとえ彼が静かに坐り、何もしていなくても、その何もしない事が創造的な行為だ。 

菩提樹の下で何もせずに坐っている仏陀は、これまでの世界の中でもっとも偉大な創造者だ。 

いったんあなたがそれを理解したら・・創造的か非創造的であるかどうかは、 

あなた自身、その人自身のことだと・・そうすれば問題は消える。 

 

 

誰もが絵描きではあり得ないし、そんな必要もない。 

もし皆が絵描きだったら、それはとても醜い世界だろう。 

生きるのが難しくなる。 

 

 

誰もがダンサーではあり得ない。 

そんな必要もない。 

だが、誰もが創造的であることは出来る。 

 

 

あなたのすることが何であれ、もしそれを喜びに満ちて、愛情を持って行ったなら、 

もしあなたの行為が単なるお金儲けでなかったら、それは創造的なものになる。 

 

 

もしそれを通じて内側に成長するものがあるのなら、 

もしあなたに成長をもたらすのなら、それはスピリチュアルで創造的で聖なるものだ。 

あなたが創造的になればなるほど、あなたはより神聖になる。 

 

 

世界のすべての宗教は、神は創造者だと言って来た。 

私は神が創造者かどうかは知らないが、ひとつだけ知っている。 

それはあなたが創造的になればなるほど、よりあなたは神に近くなる、ということだ。 

 

 

あなたの創造性が最高潮に達する時、あなたの全人生が創造的になる時、 

あなたは神性の中で生きる。 

あなたがしていることを愛しなさい。 

 

 

何を行っているかに関わりなく、行っている間は瞑想的でありなさい。 

もしあなたが愛を持って床を掃除するのなら、目に見えない絵を描くことだろう。 

あなたは途方もない喜びの瞬間を生きたので、それがあなたに内なる成長をもたらした。 

 

 

創造的な行為の後、あなたは決して同じではない。 

その価値は本質的なものだ。 

些細な事柄が、愛と喜びで触れられると偉大なものになる。 

 

 

もし自分のことを創造的でないと信じていたら、あなたは非創造的になるだろう。 

信じることは、ただ信じるというだけではない。 

それは扉を開きもするし、閉じもする。 

 

 

あなたがいつも「私は創造的でない」と言い続けている為に、 

その思い込みによってあなたのエネルギーは流れなくなる。 

これは誰にでも言われて来たことだ。 

 

 

創造的であると受け入れられる人は、ごくわずかしかいない。 

百万人に一人くらいのごく少数の絵描き、ごく少数の詩人、といったような。 

これは馬鹿げている。どの人間も生まれつき創造者だ。 

 

 

子供達を見てごらん。 

すると子供達が皆、創造的だと分かるだろう。 

私達は少しずつ子供の創造性を壊していき、間違った思い込みを押し付け混乱させる。 

私達は、子供をどんどん経済的で政治的で野心的にしていく。 

野心が入り込むと創造性は消える。 

 

 

野心的な人間は創造的にはなれない。 

どんな行為でも、その行為自体を愛することが出来ないからだ。 

野心家は絵を描いている最中でも、その先を見ている。 

彼は「私はノーベル賞をもらえるだろうか?」と考えている。 

彼はいつも未来にいる。 

 

 

しかし創造的な人は常に現在にいる。 

私達は創造性を壊している。 

誰も非創造的に生まれついてはいないが、私達は99%の人を非創造的にする。 

しかし、責任を社会に転嫁するのは役に立たない。 

 

 

要は自分の人生を自らの手に持つことだ。 

間違った条件づけや、子供時代に与えられた催眠術の自動暗示を落とすことだ。 

全ての条件づけを浄化しなさい。 

そうしたら突然、あなたは自分が創造的であることが分かるだろう。 

在ることと創造的であることは同じ事だ。 

 

 

在る、ということと、非創造的なことは繋がらない。 

だがその不可能なこと、その醜い現象が起こっている。 

なぜならあなたの全ての創造性の源泉に栓がされ、塞がれ、壊され、 

あなたの全エネルギーは、社会が儲かると考える活動に無理やり向かわされているからだ。 

私達の生への全ての態度は金志向、権力志向だ。 

 

 

そして権力は破壊的で、創造的ではない。 

お金を追いかける人は破壊的になる。 

なぜなら、そのお金は多くの人から取られたものだからだ。 

 

 

その時にだけあなたはお金を持てる。 

権力とは、すなわち多くの人々を無力にし、壊してしまうことだ。 

そうして初めて権力を持つことが出来る。 

これらは破壊的な行為だ。 

 

 

創造的な行為は世界に何かを与える。 

創造性は世界から決して何物も奪わない。 

創造的な人は世界の美しさをさらに増す・・ここかしこに歌や絵・・ 

創造的な人は世界をより躍動的にし、より楽しくし、より愛で満たし、より瞑想的にする。 

 

 

彼がこの世を去る時には、より良い世界を残して死んでいく。 

世の人に知られようと知られまいと、それは関係ない。 

彼はとてつもなく満たされて去っていく。 

彼の人生は何か本質的な価値のあるものだったからだ。 

 

 

私は別に、創造性が権力や名誉やお金をもたらすとは言っていない。 

創造性があなたに厄介事を引き起こすかも知れないし、 

貧しい人生を生きざるを得ないかも知れない。 

 

 

私があなたに約束出来るのはただひとつ、あなたは内側深くで 

可能な限り最高に豊かで喜びと祝祭に満ちている、ということだ。 

あなたの生は祝福の生になるだろう。 

 

 

外面的には、あなたは成功しないかも知れない。 

だが世間のいわゆる成功は、内なる世界の深くでは失敗ということだ。 

自分自身を失ってしまったら、全世界が 

自分の支配下にあっても、それで何をするというのだろう。 

全世界を所有したとしても、自分を持っていなかったら何をするというのだろう。 

 

 

創造的な人は、自分自身の存在を持っている。 

彼は主人だ。 

お金や権力、名誉を追いかける人は乞食だ。 

彼はいつも物乞いをしている。 

彼は何ひとつ世界に与えるものがない。 

 

 

与える人でありなさい。 

あなたが可能なものは何であれ、分かち合いなさい。 

私は些細なことと偉大なことの間に、何の区別もつけない。 

 

 

もしあなたが心から笑うことが出来たら、誰かの手を取りなさい。 

それはとても偉大な創造的な行為だ。 

あなたのハートに誰かを抱き寄せなさい。 

そうしたらあなたは創造的だ。 

 

 

ただの愛に満ちた一瞥が、その人の全世界を変えることが出来る。 

自分が非創造的だという信じ込みを捨てなさい。 

どんな風にこの信じ込みが作り出されたかは分かる。

 

 

あなたは大学の金メダル受賞者ではないかもしれない。 

クラスで一番の成績ではなかったかもしれない。 

あなたの絵は評価されなかったかもしれない。 

あなたが笛を吹いたら、隣人が警察に通報したのかもしれない。 

 

 

だが、こういうことがあったからといって、自分が非創造的だと間違って信じてはいけない。 

おそらくあなたは、他人をマネしたからそうなったのだろう。 

 

 

「創造的であること」に対する考え方は、非常に限定されている・・ 

ギターやフルートを演奏するとか、詩を書くというような。 

だから人々は詩という名目で、くだらないことを書き続ける。 

 

 

あなたは自分は何が出来て、何が出来ないのかを見つける必要がある。 

あなたが暗闇で手探りしなければいけない、というのは分かる。 

それはあまりはっきりとしてはいない。 

 

 

だが、生とはそういうものだ。 

それはいいことだ。 

 

 

そのまさに探究の中で何かが育つ。

 

 

 

 

 (※ポストカード より)

 

「ブナの林」Ⅰ(1902年)  クリムト

 

 

絵というものは不思議なもので、同じ景色を見ても、その人、人の感性により、全く違う感動的な新たな世界が生み出されます。

 

でも本当に人の心を感動させるものというのは、物真似や受け売りでコピーされたものではなく、その人、人のオリジナルである"自立した創造性"が根底に在る時ですね~♫ 

 

絵に限らず、そういうものは"人に飽きられる"という事がないのですが、それは何から来るかと言うと、嘘物と本物が持つ波動の違いから来るのです♫

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

 

 

例えば私のコラムを読まれた方の中には、「大園さんのコラムは面白いので、何度も読み返したくなる魅力がある」と言って下さる方が昔から結構多いのですが、

 

もしそうなのだとしたら、それはきっと私がコラムを書く時に「ワクワクして楽しんで書いている」という事から生まれる波動や

 

或いは自分の人生経験から得られた信念を、情熱を持って「渾身で書いている」という事から生まれる波動が、目には見えないけれどコラムに乗っているからではないかと私は思います♫

(*^^*) ~ ♡

 

 

 

これはどの様なものもそうだと思いますが、そういう波動が生まれる時というのは、その根底に在るものが"人からの受け売り"や"美味しいトコ取り"という「人から盗む・奪う」という様な軽薄なものではなく、

 

常に学ばせて頂いた相手には敬意を持ち、尚且つ周りの人間や流行に流されず、

 

"常に自分の目でものを見て、自分の頭で思考する"という「自分の人生経験から俯瞰で得られた独自の感性と感覚から生み出された」という時であると私は思います♫

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

この世には誰一人として「自分と同じ人間」も、又「自分と全く同じ人生経験を持った者」もいないのですから、つまり「誰もがオリジナリティーを持った創造者に成れる」という事でもあるのです!

\(◎o◎)/~☆彡☆

 

そしてこういう"創造的な生き方"に目覚めた人が、「この世で一番幸せを感じられる充実した生き方」をされる方達ではないかと私は感じておりますから、今回のOSHOのメッセージには、私もとても共感できるのです♫

(*^^*) ~ ♡

 

 

 

反対に、どんなに信仰心が厚く、どんなに才能に恵まれて、どんなに栄華を誇る時期があったとしても、自分を持たずに崇拝者や他者の受け売りやコピーで生きる人達の辿る末路には共通点がある様です。


それは「年齢を追う毎に被害妄想が強くなり、必ず精神を病んで行く」という事です。

(^^;


"自分を持たない"という事は、自分の目でものを見ない=自分で責任を取らなくて良い生き方を自ら選択しているという事でもありますし、それは責任回避をしていると同時に"自分を蔑ろにしている"という事と同じなのですから、


そういう「自分の人生を生きていない人達」の末路には同じ結果が待っているというのが、感情を持たないクールでシビアな宇宙の法則の様であります。

( ・・) ~ ★


ちなみにこういう方達にはもう一つ共通点があって、それは「そういう自分に気付けない」という"知性と謙虚さの欠如"です。

\(◎o◎)/!




…ですが、そういうものを理解できる「知性」を養えるかどうかというのも、その人、人のそれぞれの因果の法則に沿っているだけなので、他人が助けてあげられる事は何もないのですよね~。

(^^;


「自力で気付く」という事ができない限り、"自身で自分を救えない"という事も、私達に平等に与えらえたシビアでクールな宇宙の法則なのであります。

(・。・;






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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年