親である事に悩む方達へ - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
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親である事に悩む方達へ

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前回のテーマであった「結婚」というものにも言えますが、シビアな話、この世の苦しみの一つに愛憎渦巻く「親子関係」というものが、いつの時代にも確実に存在致します。


今現在、子育てに悩まれている方も多いのではないでしょうか?

( ・・) ~ ☆彡&★彡


…という事で、今回はそういう方達の為に、OSHOの本に書かれているアドバイスを二つお届け致します。

☆_(_☆_)_☆




 

【質問者】

 

多くの女性が母親であることを、ひとつの義務と考えています。

そのような態度では、子供は負担になってしまうでしょう。

どうすれば母親であることに、より大きな喜びを見いだせるでしょうか?

母親にとっても、そして子供にとっても。 




【OSHOの答え】

 

母親であることを義務と考えてはいけない。

それを義務と思ったが最後、何かが死に、とてつもない価値を持つ何かが消えてしまう。

その関係性が壊されてしまう。

それを祝福と捉えなさい。 

 

 

子供は存在からの贈り物だ。

子供に敬意を払いなさい。

ただ愛情をかけるだけでなく、敬意を払うのだ。

もし敬意を払わなければ、愛は所有になってしまう。

敬意を払っていたら、どうして所有することなど出来よう? 

 

 

尊敬している相手を、所有することは出来ない。

その考え自体が醜く、無礼だ。

人を所有することは、人を物におとしめる行為だ。 

 

 

そして、ひとたび子供があなたの所有物になってしまうと、

あなたは重荷を背負うはめになる。

その時、それは果たさなければならない義務へと変わってしまう。

母親達は、自分達がどれだけ大変なことをやってきたかと、生涯話し続ける。 

 

 

真の母親は、自分がしたことについては何一つ語らない。

しかも語らないというだけではない。

彼女は自分がそれをしたと感じることもない。

彼女はそれを楽しみ、子供に対して感謝しているのだ。 

 

 

それは子供の誕生だけではなく、同時に母親の誕生でもある。

一方では子供の誕生だが、もう一方であなたの母性が誕生を迎えているのだ。 

 

 

子供はあなたを劇的に変化させてしまった。

子供はあなたに何かを与えてくれた。

あなたはもはや同じ人間ではない。

女であることと、母親であることには途方もない違いがある。 

 

 

だから愛しなさい。

敬意を払いなさい。

そして子供の妨げにならないよう、成長の手助けをしなさい。

それは一番初めから気をつけなくてはならないことだ。 

 

 

そして、いいかい。

自分の母親から学んだパターンを繰り返してはならない。

そうなるのは自然なことだ。

なぜなら、それがあなたの知っている母親像であり、

自分の子供にも同じ行為を繰り返すだろうからだ。

そして、そうなるのはよくない。 

 

 

全く新しく在りなさい。

自分の母親から学んだことは全て忘れなさい。

新しいやり方で子供に応えなさい。

愛を与えなさい。

 

 

だが決して枠組みを与えないこと。

愛を与えなさい。

 

 

だが決して人格を与えないこと。

愛を与えなさい。

だが自由は手付かずのままにしておくこと。 

 

 

愛することが、子供の自由を侵害することになってはいけない。

こんなにも小さな子供の自由を考える人はどこにもいない。

だが、それではいつになったら考えられるだろう?

明日になっても子供は小さいままだ。そして、明後日になっても。 

 

 

実のところ、あなたは自分の子供が自由を獲得できるような、

成長した人間であるとは絶対に考えない。

絶対に。

 

 

なぜなら、あなたと子供の年齢差は、常に同じままだからだ。

その差が20歳あれば、それはずっと20歳のままだ。

それならば事の始めから子供に敬意を払い、自由を与えなさい。 

 

 

ときに子供が泣いたとしても、心配することはない。

ほんの少しの間、一人で泣かせておきなさい。

いつも慌てて、準備万端待ちかまえている必要などない。

それは愛のように見えるが、実際あなたは子供の自由に干渉している。 

 

 

子供は時々泣くことを単純に楽しんでいる。

それが自分自身を表現する唯一の方法だからだ。

わめき、泣き叫ぶ、それが彼の言語だ。

泣かせておきなさい・・・何も悪いことはない。 

 

 

その子は世界と関係しようとしているのだ。

あやしたり、すぐに乳を与えたりしてはいけない。

空腹でない時に乳を与えるのは、麻薬を与えるに等しい。 

母親達は乳を一つの麻薬として使う。

 

 

乳を飲み始めるやいなや、子供は泣いていたことを忘れ、眠りに落ちる。

それは心地よいものには違いないが、あなたが干渉をし始めたというしるしだ。 

子供が本当に乳を欲しがっているのでなければ、放っておきなさい。

 

 

そうすればプライマル・セラピー(感情発散療法)など必要なくなるだろう。

プライマル・セラピーで泣き叫んでいるのは、幼児期に干渉され、

一度も泣き叫ぶことを許されなかった人達だ。 

 

 

子供にあらゆることを許し、自分自身であることを感じられるようにしてごらん。

子供の行く道から少しずつ手を引いてごらん。

手を貸してやるのはいい。

だが育みながら、子供がひとりでに成長するよう、見守ってごらん。 

 

 

時々、子供が間違ったことをやろうとしていると感じた時でさえも、

あなたは判断を下す立場にはない。

あなたから見て子供が間違ったことをしていたとしても、

それは単に「あなたから見て」というだけの話だ。 

 

 

それはあなたの意見であって、子供は間違っていないかもしれない。

その子はあなたの意見に従う為に、この世に生を受けたのではない。 

 

 

子供は無力だから、あなたの意見を押し付けるのはいともたやすいことだ。

子供の生死はあなたにかかっていて、彼はあなたの言うことを聞かなくてはならないからだ。 

あなたが「止めなさい」と言ったら、どんなにそうしたいと思っていても

子供はそれを止めなくてはならない。

あなたに逆らうのは危険だからだ。 

 

 

真の母親は、自分の子供に大きな自由を与える。

たとえ母親の意に反することをしようとしたとしても、その子は自由を与えられる。 

 

 

子供にはっきり言っておきなさい。

「それは正しくないというのが私の考えだけど、お前がそれをするのは自由だよ」と。

子供に自分自身の経験を通して学ばせなさい。 

そうやって人は真の成熟を迎える。

 

 

でなければ人々は幼稚なままだ。

年の数は増えるかもしれないが、彼らの意識が成長することはない。

肉体的な年齢は50歳かもしれないが、頭の中は7歳で止まったままだ。

そうしたら彼らは成長するのを止め、ただ従うだけになる。 

 

 

あなたの愛を与え、経験を分かち合いなさい。

だが、決して何も押し付けないこと。

そうすれば、その子は素晴らしい人間に育つだろう。 

 

 

成長する為には保護することと、しないことの両方が必要だ。

庭師が草木を育てるのを見てごらん。

彼は手を貸し、そして草木を保護する。

だが日の光に当たり、雨に、嵐に、さらされるという自由も与える。 

戸外に待ち受けるあらゆる危険から守る為に、草木を屋内に入れたりはしない。

家の中に入れた草木は枯れてしまう。

 

 

温室の中の植物は不自然だ。

そして私たちは過保護な親達のおかげでみな温室育ちになる。 

子供を守ってはならない。

守らず放っておきなさい。

 

 

影のようについてゆきなさい。

世話をしてやりなさい。

そして危険過ぎる時には守ってやれるよう、バランスを取るよう心がけなさい。 

だが、それほど危険ではないと感じた時には、好きにさせておきなさい。

 

 

子供が成長すればするほど、より大きな自由を与えなさい。 

 

 

 

 

【OSHO】

 

子どもたちに対して、あなたにできることはひとつしかない。

それは、あなた自身の生を分かちあうことだ。 

 

 

子どもたちに、自分もまた親から条件づけを受けてきたことを話しなさい。 

特定の理想に従い、特定の制限の中で生きてきたこと、 

そして、こういった理想や制限のために、 

すっかり生を無駄にしてしまったことを話しなさい。 

 

 

そして、自分はおまえたちの生を損ないたくない、 

完全に自由でいてほしいと、話しなさい。 

親の自分から自由でいてほしい、と。 

なぜなら子どもたちにとって、 

あなたは過去そのものを表しているのだから。 

 

 

子どもたちに、そう伝えるには勇気がいる。 

父親と母親には、途方もない愛情が必要とされる。 

 

 

「お前たちは、私たちから完全に自由でいなければならない。 

私たちに従うのではなく、自分自身の知性に基づいて行動しなさい。 

たとえ道に迷ったとしても、盲従したまま、 

いつも正しいことをするより、はるかにましだ。 

 

自分の考えで行動して間違いを犯し、そこから学ぶほうが、 

他の人に追従して間違いを犯さないよりはいい。 

間違いを犯さなかったところで、 

人に追従する以外は何ひとつ学ぶことにならない。 

そして、人に追従することは害になるだけだ」 

 

 

これは、あなたに愛があれば、いともたやすいことだ。 

私に「どうすれば」と訊かないことだ。 

「どうすれば」という質問は、手順や方法論、 

テクニックを求めているということだ。 

だが、愛はテクニックではない。 

 

 

子どもたちを愛し、彼らが自由であることを楽しみなさい。 

彼らが間違いを犯すままにさせ、どんな点で間違いを犯したのか、 

自分で理解できるように手助けしてやりなさい。 

 

 

子どもたちに、こう言いなさい。 

 

「間違いを犯すことは悪いことじゃない。 

いくらでも、たくさん間違うがいい。 

これこそが、より多くのことを学び続ける方法だからだ。 

 

だが同じ間違いを何度も繰り返してはいけない。 

そんなことをしても、馬鹿になるだけのことだ」 

 

 

結局これは、私から単純な答えを得て済む問題ではない。 

あなた自身が、瞬間から瞬間へと子どもたちとともに生き、

些細なことにおいても、彼らに最大限の自由を与え、 

 

 

あなた自身が、答えを見つけ出さなければならない。

 

 

 

 

 

何か、ほのぼのとする写真が撮れました♫ (笑)

(*^^*) ~ ♡




親であるという事&子供であるという事。

そこに何かしらの葛藤で悩まれている方の方が、実はこの世では多いのではないでしょうか?(※私もかつてはその一人でした。今はその学びは完全に卒業できおりますが…♫)

(・_・;)


今回のメッセージの中で、私が一番感動的だった所は、


ただ愛情をかけるだけでなく、敬意を払うのだ。

もし敬意を払わなければ、愛は所有になってしまう。

敬意を払っていたら、どうして所有することなど出来よう? 

 

尊敬している相手を、所有することは出来ない。

その考え自体が醜く、無礼だ。

人を所有することは、人を物におとしめる行為だ。 

 

という所です。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 


そしてこのメッセージは、親子関係に限らず"全ての人間関係"に当てはまるものではないかと私は感じます。

(^^✿


そしてそれが実際に生活の中で実践できる様になる為には、まず私達は「自分自身の人格」というものに対しても、やはり敬意を払う必要があるという事も…です♡

(^^♡


私達はまず「自分自身に敬意を持つ事」で、初めて他者にも感謝というものが持てる様になるという"隠された真理"を知る必要があります。


そういう事を理解し、そう成れた時に初めて私達は、「自分自身に与えたもの=敬意を、自分以外の人間にも持てる様になる」というのが、この宇宙の法則なのであります。~☆彡

(*^^*) ~ ☆彡☆彡☆彡







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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年