- 大園 エリカ
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
- 東京都
- クラシックバレエ教師・振付家
皆様は生活の中で、ご自分から発せられるものに「愚痴」というものがありますか?
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この世で肉体を持って生きるという事は、何事に於いても「面倒くさいのが当たり前」なのですが、でも世の中にはそういう当たり前の事を"俯瞰で理解"されていない方の方が、圧倒的に多い様に私には見受けられます。
何故ならこの世はシンプルな真理ほど"当たり前過ぎて"見落とされてしまうからです。
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多くの方が「そんな事は知っている!」と絵に描いたお餅的に"頭で分かった"様な気分になっておられたり、理解している"つもり"という勘違いから素通りされたり、又は当たり前過ぎるが故に、逆に全然気付かれなかったりするものが「この世の真理」と言われるものなのです。
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ちなみに「自分は理解している」と思う方達の中で、日常的に「愚痴を言わない」「面倒くさがらない」という知性的な方は、果たしてどのくらいいらっしゃるのでしょうか?と私は思います。
何故なら、この世の真理を本当に理解されておられる方というのは、「愚痴る」「面倒くさがる」という行為がいかに不毛で、いかに愚かな行為であるかという事を熟知されておられますから、そういう自ら"生き地獄を生む様な行為"は自然と削げ落ちておられますので、それがバロメーターになるからです。
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でもこれも、ただ表面的に「愚痴を我慢する」「面倒くさがらない振りをする」と言ったものではなく、「そういう事は自分の心を汚し、精神や肉体を疲弊させる"不毛で愚かな行為"である」という事を俯瞰で理解し熟知しているからこそ、「そういう愚かな行為は自分の為にしたくない」と自発的に自然に到達できた方が本物です。
そして自分の理解が本物かどうか、そのバロメーターになるものが、外部や他者から与えられるものとは質の違う「"自分の中から生まれる喜悦感"を本当に感じられているかどうか?」という所に在ると私は思います。
この"中から生まれる喜悦感"というものは、外からの刺激や人との比較競争から生み出される"興奮"や"優越感"というものとは違い、「自分の内面から湧き出る感謝」というもので、ここに来れた方だけが、この世に"生きながらの天国"を生み出せるのだと私は思います。
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ただこの世は常に変化し流動しておりますから、「理解したから終わり」という事はなく、喜悦感を味わう為の努力というものは死ぬまでずっと続くのです。(だから生きるという事は、誰に取っても楽ではないのです)
それは例えば「掃除」や「洗濯」、そして「料理」などの家事に例えると分かり易いかもしれません。何故なら家事は誰に取っても"やらなくてはならないものだと分かっていても、とても面倒くさいもの"でしょう?正直な話し。(笑)
掃除や洗濯などは昔と違い、殆ど「機械がやってくれる」という便利で有り難い時代に私達は生きているにも関わらず、多くの方達は相変わらず「面倒」と感じる様ですし(笑)、でも面倒くさいからと言って掃除や洗濯を怠れば不衛生な環境を生み出す事になりますし、食べる事を疎かにすれば、栄養不足や偏りから心身を不健康にしてしまうでしょう。
昨今は便利なものとして、コンビニや出来合いのお惣菜などがありますが、そういう大量生産される食べ物には多くの添加物や防腐剤等が含まれており、決して私達を健康にする良い波動の食べ物には成っていないので、そういうものを常食していれば、健康を害してしまうのは当たり前なのです。(※そういう不健康なコンディションで生きるという事は、正に「この世の生き地獄」とも言えるのではないでしょうか?)
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そしてそれよりも精神衛生上で一番悪い事は、そういう"手抜き"を選択する怠惰な自分に、自分でも気付かずに罪悪感やコンプレックスを持ってしまったりして、結局「自分自身を好きになる・尊敬する行為」から離れてしまうという事です。
何故なら人間というものは、本当は努力できるのにしない(※←ここ重要ポイントです!)という「怠惰」を選択した時に、自分の中から必然的に生まれてしまうものがあるからです。それは「頭では誤魔化せても、自分の魂は誤魔化せない=本当の意味を分かっている」からです。
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人間は元来怠け者に生まれついている生きものなので、私達はついその時に「楽」を感じる事を選択してしまいがちなのですが、
結局それが本当の意味での「心から楽しむ行為=自分を好きになる行為」に成っていない場合も多く、結果的に「一時の"楽"を選んだ為に、逆に自分が居心地悪くなる行為=自分を尊敬できない行為」に成っているならば、それは正に「生き地獄を生む行為」に成っても行くのだと思います。
何故ならどんな事でも小さい事から始まります故。
又これは、自分でできる努力を怠り、自分の代わりに面倒くさい事をやってくれる人はいないかと「他人を当てにする」という行為を好む人も含まれます。だって努力しない人が、自分を好きになったり尊敬できるでしょうか?
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…と、今回は分かり易い様に家事を例として取り上げてみましたが、これは「仕事」でも「人間関係」でも同じ事で、結局「自分を好きでいられない人」というのは、何をするにも楽しめなくなる・楽しく感じられなくなって行くという事です。
この世の当たり前である面倒くさい事に対して、無知ゆえに勝手に腹を立てて、自分の外側に対して「愚痴」を言ってみた所で、それは本当の根本解決法にはならないという事なのです。
自分が原因を作っているのも関わらず、そのストレスを間違った解消方で解決しようと「愚痴」を言う様になったり、必要に迫られて何かをする場合でも「仕方なく不機嫌にやる」という様な「感謝の無い行為」に成ってしまう人は、私からしたらそれは正に「生き地獄の負のループに入ってしまった人」と目に映るのです。
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これは私が自分の経験上感じる事ですが、この世は「自分でできる事=才能」が多い人、つまり「努力する人」ほど楽しめる遊園地なのだと思います♫
(*^^*) ~ ♡
どんな小さいものでも本気で努力した人間は、しない人より才能を授かる分、他者に対してコンプレックスを持ちませんし、才能を持っている人を「彼らも自分と同じ様に努力で身に付けた」と理解できる分、素直に気持ち良く認め、相手に対して敬意を持つ事ができます。(※才能とは努力から得られるものです。これは前世からの繋がりというものを視野に入れれば、より理解も深まります)
努力をする事から得られる喜びを知った人は「楽しみながら努力できる」というご褒美をもらいますから、努力する事に苦を感じる事が少なくなる(=天才に通ず)のも、この世を天国に変える術になりますし、
努力する事から得られるご褒美「自分が好きで尊敬できる人」は、他者の成功も本心から喜べる人が多いですから、「楽ではないこの世を、生きながらの天国にしてしまう」という素養を沢山持つ事になるのです。
\(◎o◎)/!
シビアですが、"自発的な努力無き人生は才能を授からず、故に本当の生きる喜びを味わえない"というのが、この宇宙の公平さであり、自然の摂理であり、私達人間が生きる意味は、正にそこに有ると私は感じます。
ですが、どんなに才能を持っていても、結局私達には常に"今"しかないので、「今の自分にできる努力」というものを継続しないと、「自分を好きで居続ける」という事は不可能であるという現実が、この世の"面倒くさい"所なのでございます。(笑)
「今の自分にできる努力」というのは、それぞれの方が自分で選んだ人生に於ける「使命」や「役割り」に則した生き方をしているかどうか?という事ですので、「生きながら天国に住む」為には、それぞれに努力される道を自分で見つけて行く事が重要です。(※これは年齢とは関係なくできる事でもあります)
その答えは「各自が各々見付けるもの」ですが、それは「案外身近な所にある=即、し始める事が可能」なものというか、そこからしか始まらないというのが、私からの幸せ(充実感)へのヒントです♫
そしてどんなに小さな事でも、例え人が誰も評価してくれなくても、不思議な事に「努力を(やるからには"楽しんで"が理想デス♫)継続する」という事自体が、自分への信頼と自信を生むという事もお伝えしておきます♫
それと共に「自分が好きになる=自信を持つ」までに成る為には、自分の行為に対してはどんなものでも「やるからには本気の努力=或る種の覚悟」というものも必須条件であるのだなぁというのが、私が自分の経験上から得た真理でもあるという事も、重ねてお伝えさせて頂きます♫
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この沢山のビルの中には、一体どれだけの人達の生活の営みがあるのでしょう?
その方達の中で「この世を天国にする叡智を授けられた方」は、果たしてどのくらいいらっしゃるのでしょうか???
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡
どうせ生きるなら、お互い天国を感じて生きたいものでございますなぁ♫(笑)
(*^^*) ~ ♡
このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年